27話 本番前の緊張って、最高


「おはよー」、「うーす」、「あー、ねみー」

 

 ひんやりと湿った空気の中、気だるげな挨拶が交わされる朝の校門。

仰々しいフォントで『県立伊吹高校』と掘り込まれた門柱を抜けると昇降口までおよそ20Mの石畳が続く。

左手にグラウンド、右手に銀杏並木を望むこの道を学校側は『銀杏ロード』と呼ばせたいらしいが、生徒達は普通に『前の道』と呼んでいた。

 

伊吹高校では仮入部期間の四月いっぱいまで新入生に朝練参加の義務はない。なので、荻丸おぎまるのように進んで練習参加を申し出る稀有な例外を除いて、大半の一年生は強制入部させられる部活の朝練にわざわざ出てきたりはせず、この時期この時間の前の道には、新入生の行列が出来上がることになる。


 まだ高校生に馴染みきっていない浮ついた集団に交じって一際目を引くのが、

「こ、こ、こ、こんな大勢の前で踊るんですか、僕ら?」

 肩から下を黒いベールですっぽりと覆った黒ずくめの怪しげな一団――言わずと知れた我らがサンデーゴリラのゴリラ野郎どもだ。


「やっばー、緊張して来ちゃったー。フリ飛んだらどうしよ」

 僕の横で通行人の数を数えていた桃紙ももがみさんが、あわあわとフリの確認を始めた。

「客の前でフリを見せるな。大勢の前でやるから意味があるんでしょ、今更ビビってんじゃないわよ、新入りども」

 黒づくめが異様に似合うおりんさんがギラギラと目を光らせる。

「ビ、ビビッてなんかいないですもん! ねえ、レント君?」

 いや、ビビッてるに決まってるでしょうよ。超ビビッてますよ、そりゃ。人前で何かやるなんて生まれて初めての経験だし、何より昨日振付教わったばっかなんだよ、僕は。


「あ、そうだ、許可は? 二週間前に取らなくちゃいけないという先生の許可は下りたんですか?」

 サンデーゴリラの中で唯一制服姿の一光いっこうさんを振り返ると、

「おう、ばっちりだ」

 座長は眠そうな声で親指を立てて見せた。

「嘘でしょ、なんで取れちゃうんですか」

 ゆるゆる過ぎるだろ、ウチの学校。

「学校の許可じゃなくて、先生の許可ってところがポイントだな。学校だと会議にかけられるからごまかしはきかねーけど、先生一人でいいなら交渉次第でなんとかなる」

「交渉次第って、どんな……」


「むほほほ、一光くんじゃな~い。おはよう~~」

 その時、独特の笑い声で会話の流れを断ち切ってきたのは……うわ、校長先生じゃん。

「おはようございます、澄子すみこ先生」

「のほほほ、今日から発表? 頑張ってね、先生も応援してるから~~」

 なんだろう、今年で還暦を迎える名物校長の澄子先生、今日はやけに肌ツヤがいいな。髪の毛の綺麗だし、声にも張りがあるような……。

「それにしても許可をありがとうございました、澄子先生。おかげで助かりました」

「もほほほ、いいのよそんなこと。あなたは規則に則ってちゃ~んと二週間前に許可を申請したのだから、お礼を言う必要なんて何もないわ~。それじゃあ頑張りなさい、るほほほほ。また……よろしくね」

 意味深なウィンクで意味深なセリフを強調して去っていく澄子先生。


瀬野せの………どんな交渉したか知りたいか?」

「結構です!」

 ああ、もう、なんなんだよ、この人は。許可が貰えずに中止になるのが最後の希望だったのに。

 ああ、だめだ。いよいよ逃れられないと思うと膝の爆笑が止まらない。沈まれ、僕の膝よ。なにぃっ、押さえた手にまで震えが伝播しただとぉぉ!

「何ガタガタしてるのよ、情けない。心配しなくても誰も坊やなんか見てないわよ~~」

 そう言って、金髪のロングヘアーをかきあげるミシェルさん。ルージュののった唇が艶やかな笑みを作り出す。

「あのミシェルさん。朝から疑問だったんですけど………なんで女装してるんですか?」

「ああ? 誰が女装してるってぇぇぇ?」

 ええー、めっちゃキレられたし。してるじゃん、女装。ヅラもメイクもそうだし、ベールで見えないけどスカートに胸パットまでバッチリだ。


「いい、坊や? ミシェル蛯名えびなは女優なの。だからこれは女装じゃなくて正装よ、正装!」 

「はあ、そうなんすか。いや、確かにめちゃくちゃ似合ってますけど」

 見た目といい、身のこなしといい、もはや女性にしか見えない。

「そうでしょうとも。安心しなさい、この美貌でお客さんの視線は全部アタシが引きつけてあげるから。坊やはせいぜい背景を頑張ることね。ほほほほ」

 鬱陶しいほど上機嫌だな、ミシェルさんは。その自信がどっから出てくるんだろう。

「ふんがー! おい、スタートはまだか、一光! もー、始めようやー。なー、なー!」

 そして、上機嫌な人がもう一人。ちゃーさんは今にもベール引きちぎりそうだ。

「おう、そうだな。そろそろ行くか。いけるか、お鈴?」

「いつでも」

「よっしゃ。じゃあ、行くぞ、野郎ども」

 腕時計を眺めていた一光さんがラジカセのボタンを押しこんだ。


「え? え? ウソウソ、もう始まんの? 待って待って、ちょっと待って!」

 なんて言って曲が止まるはずもない。ややあって、ラジカセのスピーカーからガリガリのロックサウンドが吐き出された。そして、歪まくったギターに合わせ、


「おらああああ、朝から死んだような目ェして歩いてんじゃねえぞ、一年ども――!」


 お鈴さんがメガホン型のハンドマイクでがなり立てた。

 本番が始まった。

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