19話 男子は演劇部に入らないの
「おい、何隠れてんだ。出てこい、ガミエ」
―――ばこん。
部長の呼びかけに応えるように、スチール製の扉が中から押されて音を立てた。そして、
「ふぅぅぅぅぅぅぅぅ」―――ぎぃぃぃぃ。
開いた扉に縋りつくようにして、すでに半泣き状態の
「なんか、お前に顔を会わせるのが気まずくて朝からずっと部室の掃除道具入れに隠れてたんだと」
いや、そこは部室でいいだろう。なんでわざわざ掃除道具入れに?
「おら、こっちこい、ガミエ。わざわざ来てくれたんだからちゃんと謝れ」
「ふぅっ…………うぬっ、ふぬぅっ、ふむぅっ……」
一歩一歩、タイルに足跡を刻むかのように歩いてくる桃紙さん。首の骨が折れるほど俯けた顔は頭皮まで真っ赤っかだ。
……無理もないわなあ。あんなことがあった昨日の今日だし。未遂に終わったとはいえ、思春期真っ只中の女子高生が男子と一緒に個室に入って実行寸前までいったんだ。平常心でいろという方が酷だろう。
「ほら、謝んなさいよ」
ようやっと僕の前まで辿り着いた桃紙さんの背中をミシェルさんが小突く。桃紙さんはビクリと肩を痙攣させると、涙のいっぱい溜まった目で僕見上げ、ぶるぶると震える唇を開いて、
「せ、せ、
「もういい、もういい! もういいよ、桃紙さん!」
痛々し過ぎるだろ、この子。
「僕の方こそごめんな、桃紙さん。その………なんかごめんな」
「そんな、なんで瀬野くんが! あたしの方こそ、ご、ごめごめごめごめ………」
「いいって、マジで! 気にすんなよ、実際漏らしたわけじゃないんだし」
「はひー!」
精一杯のフォローのつもりだったけれど、桃紙さんの顔面が爆発した。
「な、なんてこと言うの、
精一杯慰めたつもりなんです、おねーちゃん!
「はひっ、はひっ、はひぃぃぃ~~~」
なのにどうして桃紙さんはぶっ壊れそうになっているのだろう。目玉をぐるんぐるんに回して、赤い顔が今にもはち切れそうだ。
「ったく、めんどくさい女ね~。あんなもん連れションみたいなもんじゃない。どんだけ自意識過剰なのよ。それともなに? まさかあんた本当に漏らしてたの?」
「はうっ!」
……すげえ、ミシェルさん。デリカシー0。
「ちょっと、ミシェル!」
「うわあああああああああああああ――――――ん、ミシェルさんのばかああああああああ―――――!」
校舎が倒壊するような泣き声を上げて、安寧の暗闇(掃除道具入れ)へと逃げ帰った。
ああ、結局今日も泣いちゃったよ。可哀想に、あんなに涙を我慢してたのに……。
「ったく、すぐに泣くんだから。涙は女の最後武器でしょ、安売りするんじゃないわよ」
「ミシェルが悪いんでしょ、もう!」
すくめられたミシェルさんの肩をぺしりとはたいて、羽織は掃除道具入れの扉を叩く。
「ガミエ、出といで。泣いてちゃだめでしょ。ガミエが謝りたいっていうから、ふうちゃん、わざわざ来てくれたんだよ。ちゃんと自分の口で謝りな」
「はい……」
――ばたん。
あ、出てきた。意外にすぐ出てきた、桃紙さん。なんだ、羽織の言うことにはやけに素直に従うんだな、この子は。
「ほら、行くよ、ガミエ。歩ける?」
「ううう、うにさぁん……」
羽織に肩を支えられながらまたぐずぐずと舞い戻ってくる桃紙さん、涙と汗とその他女子としての名誉を守るために明言できない様々な体液でべたべたになった顔をハンドタオルで拭ってもらいつつ、
「ぜ、瀬野ぐん……ぎ、昨日は……迷惑がげてごべんなざい」
桃紙さんはツインテールが床に擦れるくらい深々と頭を下げた。
「ああ、うん。もういいって、全然気にしてないから」
「ホ、ホント? ホントに怒って……なかった?」
……いやまあ、怒ってたけどさ。本当はめっちゃ怒ってたけどさ。
なんだろう、この子を見てると色んなことがどうでもよくなる。全てを忘れて抱き締めてあげたくなる。危険だ。この子は危険だ。僕の中で十五年かけて醸造されたお兄ちゃん的庇護欲を暴力的なまでに掻き立てる。
そして、桃紙さんは唇を噛みしめながら、真っ赤に染まった目で僕を見上げ、
「……もう、嫌になったよね?」
「え?」
「サンデーゴリラ、嫌になっちゃったよね。入ってくれないよね……?」
……ぐおふっ。
おい、ちょっと待て。それはずるい。このタイミングでそれはずるいぞ、桃紙さん。そりゃ入りたくはないよ。だって、あからさまに変な人ばっかりだし、白塗りだし、でもでも……。
「なーなー。入ってや、瀬野っちー。一緒に芝居やろーやー。絶対楽しいで、なーなー」
返答に詰まる僕の右手にちゃーさんが纏わりついてくる。
ああ、だめだ、この人も危険だ。抱き締めたい感でいえばこの人の方が勝る。本当に年上なんですか、あなた。前世、小動物ですか。
「もうこうなったらまどろっこしいことは抜きよ、一年坊主。わたし達はあんたが欲しいの。部活に入るならサンデーゴリラよ。はいと言いなさい」
自らチャームポイントと言うだけお
「さあ観念なさいな、坊や。あたしの歌の続き、聞きたくないの?」
「あ、それは大丈夫です」
うん、ミシェルさんは、別に大丈夫だな。後は……。
「蓮ちゃん……」
羽織か……。
何だよ、その眼は。やめろよ、普段はねーちゃんパワー全開で偉そうに命令してくるくせに。その眼、そのすがるような感じが、何より強制力が強いってわかってるのか。
「まあ、そういうわけだよ、少年」
最後の仕上げとばかりに、
「見ての通り俺達サンデーゴリラは、100%ウェルカムでお前のことを歓迎してんだ。これが最後だ、少年。俺達と一緒に芝居やろうぜ」
一光さんの眠そうな目に初めて光が宿った気がした。
サンデーゴリラの視線が一点に集中する。僕はその一つ一つを順繰りに受け止め、
「蓮ちゃん………」
最後に羽織と目を合わせた。いつも見慣れたその顔が一瞬にして真っ白に塗りつぶされる。唇が大きく大きく開かれる。僕の顔を飲み込むほどに………。
「すみません………僕には無理です」
全員分のため息が重なり合った。
失望が沈黙となって第二音楽室を塗り固める。僕はぐっと両手を握り締めて針のような沈黙をやり過ごした。
「そっか……。オッケオッケー! わかったよ、少年。ありがとな」
重苦しい空気を振り払うように、一光さんがぱんと一つ手を打った。
「まあ、あれだ。気が変わったらいつでも来いや。俺達はいつもここにいるしよ」
「はい……」
笑いながら僕の背中を叩く一光さん。不自然なほどテンションが高いのは、多分、僕に気遣ってくれているんだろう。そんな一光さんが一番寂しそうにも見えた。
「よーし、もうお終いだ。お前ら、少年を解放してやれ」
「う~。何でやねん、瀬野っちぃ。うちらのこと嫌いなん? うちは大好きやで」
「殺すー。この一年、殺すわー」
「やめろって。おい、ガミエ、少年を外までお送りしろ」
ちゃーさんとお鈴さんの襟首を掴みながら一光さんが桃紙さんを振り返る。
「あ、はい。わかりました。えっと………行こっか、瀬野君」
「ああ、うん」
正直見送りなんて必要なかったけれど、まさか断るわけにもいかないので僕らは連れだって廊下へ出た。
「………今日はありがとう、瀬野君」
僕の後に続いて廊下に出た桃紙さんは、後ろ手に音楽室の扉を閉めてそう言った。
「ああ、うん。どういたしまして」
なんと答えていいか分からず足元に視線を落とす。桃紙さんのつま先がワイパーのようにキュッキュとリノリウムを擦っていた。
「それじゃあ、行くわ、僕」
「あの、瀬野君」
二人の言葉が同時に零れてかち合った。
「最後に一つお願いがあるんだけどいいかな?」
強引に言葉を続けたのは桃紙さん。僕が顔を上げると、桃紙さんは入れ替わりに目を伏せた。
「あたしさ、もうこれからは勧誘とかしないからさ、教室ではその………普通にしてもらえると嬉しいなぁって」
「普通?」
コクリと頷く桃紙さんの唇が微かに震えている。
「ほら、お隣同士じゃん、あたし達。それでその、ガンガン避けられてると、やっぱ………キツいから」
「あ………うん」
「良かった。ありがと……」
俯きながら桃紙さんは今日初めての笑顔を見せると、
「将棋部、頑張ってね」
全く頑張るつもりのない僕の部活を応援して音楽室に戻って行った。
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