21話 ホールが二つある学校とかマ?


「だーーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」


 サンデーゴリラ一同の大爆笑が廊下に爆ぜた。


「って、うおーい、何で笑ってんですか、あんたら!」

 腹を抱えてごろごろと廊下を転がる部員達。

「いや、笑うわ! 笑うにきまってるやろ、こんなもん。急に真っ赤になったかと 思たら何言い出すんよ。もー、あんた大好きやわ」

 僕以上に顔を赤くしたちゃーさんがバシバシと床を叩く。

「やだもー。れんちゃん、面白すぎ……」

「何言ってんのよ、瀬野せのくん。キ、キスとか……」

「ったく、ませた坊やねえ。学生演劇にキスシーンなんてあるわけないでしょ」

 羽織はおり桃紙ももがみさんもミシェルさんも涙を拭いながら笑い転げる。


「いや、あったでしょ! 新歓フェスで思い切りキスしてたじゃないですか、しかも白塗りで!」

「はあ? 白塗り? 何それ。やんないわよ、そんなこと。演劇部じゃあるまいし」

 さっきまで一緒になって笑っていたおりんさんが、僕の最後の一言で急に不快そうに眉をしかめた。

「は? 演劇部じゃあるまいしって………演劇じゃないですか」

「あんな奴ら一緒にすんな! 殺すぞ、ガキ!」

 ええー、めっちゃ怒られたし。

なんだ、これ。何か会話が食い違ってるぞ。演劇部なんだよな、サンデーゴリラって。自分達で言ってただろう、学生劇団だって………。

「ああ、そういうことか。何かおかしいと思ったわ」

 クエスチョンマークを浮かべまくる僕に向かって一光いっこうさんがパチンと指を鳴らした。


「これあれだ、演劇部と演劇同好会がごっちゃになってるパターンだ」


「はい?」

同時に、「あー、どうりで」という空気が部員達の間に広がっていく。

「え? 演劇部? 演劇研究会? え?」

 ただ一人、僕だけがその空気を吸収できない。一光さんはそんな僕の肩に手を添えて、

「いいか、よく聞け、少年。何度か言ってると思うが、俺達サンデーゴリラは演劇研究会だ。んで、非常にややこしい話ではあるんだがな、うちの学校には俺達とは別に演劇部もあるんだよ」


 ……おう?


「お前が新歓フェスで見たのって、演劇部の方じゃね?」

 ……おおおう?

「ちょっと、うに! あんたちゃんと説明したのよね?」

「ええー、したよー」

 お鈴さんの疑いの眼差しに、心外そうに口を尖らせる羽織。

「ねえ、蓮ちゃん。言ったよね、あたしらは演劇研究会だって。別館の新歓パフォーマンスも見てくれたんでしょ?」

「別館? いや、ホールだろ、新歓フェスやってたのは」

「だから、それは演劇部じゃん。おっきな伊吹ホールで文化部新歓フェスに出てたのは演劇部。んで、あたしがパフォーマンスやるから見に来てねって言ったのは、別館地下の別館ホール………って言ったよね?」


「……え?」

「……え?」


 クエスチョンマークつきの呟きがユニゾンし、僕と羽織は同時に目をパチクリと瞬かせた。

「あー、これは瀬野っち間違ったなー。うにのせいやー」

「うに~~。一年生にホールなんて言ったら伊吹ホールに行くにきまってるでしょ」

「ええー、そんなー」

 ちゃーさんとミシェルさんにじっとりとした視線を浴びせられ、羽織が泣きそうな声を上げる。

「ちょちょ、ちょっと待ってくださいよ、先輩方」

やはり、色々と行き違いがあったようだ。羽織の言い間違いか、僕の聞き間違いかはこの際どうでもいいとして、取り急ぎ確かめなくてはいけないことがある。

「あ、あの、確認なんですけど、つまり僕が新歓フェスで見たのは演劇部で、サンデーゴリラは白塗りとかキスとかそういうことは……」

「するわけないでしょ、ばからしい」

 三週間噛み続けたガムでも吐き出すように、お鈴さんが吐き捨てた。

 

……な。


「なんだよもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 今度は僕が廊下を転げる番だった。

「おお、すげーリアクションだな、少年。もしかして、あれか? 少年が頑なに入部を断ってたのって、俺達を演劇部だと思っていたのも理由の一つだったのか?」

「ふんぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 もはやまともに口もきけないので、回転の速さと数で一光さんの質問に否と答える。

 一つじゃないよ。それが理由の全てだよ! そして、ここ一か月の懊悩の原因だよ! 

「ふっっっざけんなよ、もおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 返せよ、この一か月の精神的苦痛と時間的損失と悪夢的苦痛と睡眠時間の損失を! 誰か現金に換算して返してくれよおおおおお!

「な、なんやよーわからんけど、えらいトラウマやったみたいやな瀬野っち」

「床がみるみる内に綺麗になるわね」

 リノリウムが発火する勢いで床を転げ回る僕を、憐みのこもった目で見下ろすミシェルさんとちゃーさん。

「ご、ごめんね、蓮ちゃん。でもあたし間違えたことは伝えてない……よね?」

「うるさいっ!」

「痛いっ」

 往生際悪く己の無過失を言い立てる羽織の頭に、お鈴の割と本気のチョップが下された。


「あ、あの、瀬野君。忙しそうなとこ悪いんだけど、ちょっといいかな?」

 まだまだ転がり足りない僕に遠慮がちな声が降ってくる。寝転んだまま顔を上げれば、目の前でしっかりとスカートを手で押さえつつしゃがみこんでいたのは、

「桃紙さん……」

「瀬野君の中でどんな行き違いがあったのかよくわからないけど、とりあえず、サンデーゴリラに入るための障害なくなったってことでいいんだよね?」

「え? ああ、えっと……」

 そういうことに………なるのかな?

「じゃあ、改めて言うね」

 桃紙さんは僕に考える時間を与えずにさっと手を差し伸べると、


「瀬野君、いや、レントくん。あたし達と一緒にお芝居しよ?」


 優しく降り注ぐ木漏れ日のような笑顔でそう言った。

 この子は………本当にタイミングがずるい。そして、笑顔がずるい。

 周りを見回すとみんなも笑っていた。ちゃーさんもミシェルさんもお鈴さんも一光さんも羽織も。それがなんだか照れ臭くて、

「……仮入部からでよければ」

 僕は眉をしかめながら、桃紙さんの手を取った。


「「「「よっしゃあああ――――!」」」」


 そして、サンデーゴリラの歓声が爆発する。

 ああああ、言っちゃったー! やっべー、言っちゃったあ! いいんだよな? これでいいんだよな? もう知らねーぞ。

「だーっはっはっはっ、よく言ったぞ、少年。もう絶対逃がさねーからな!」

 今度ばかりはぶら下がるのではなく、グイっと引き込むように肩に腕を回す一光さん。

「よろしくなー、瀬野っち。キスシーンやりたかったらいつでも相手したるからなーって、うっそー」

 胸に飛び込んできたちゃーさんが、ちゅーするフリして口の中に飴玉をほうり込んできた。

「ったく、随分焦らしてくれたわね、クソガキのくせに。その分こき使うから覚悟しな」

 お鈴さんは相変わらずの憎まれ口で目をギラつかせ、

「涙は下手だけど、笑顔の方はまあまあね。いざとなったらちゃんと使いこなせるんじゃない、女の武器」

「そ、そんなんじゃないですよっ!」

 ミシェルさんに肩をつつかれて、桃紙さんが顔を赤くする。

「蓮ちゃーん!」

 そして、やっぱり最後は羽織だ。今月最大のビッグスマイルを爆裂させると、

「なんか色々誤解があったみたいだけど、とにかく入ってくれて嬉しいよ。わからないことがあったら、なんでも聞いていいからね?」

最後はいつものおねーちゃん面で、僕の頬を両手でグニッと挟み込んだ。


次から次へと目まぐるしく色を変えるサンデーゴリラの面々。うるさくて、慌ただしくて、色とりどりで、初めてこの部室にやってきた時と全く一緒だ。やっぱりびっくり箱のような連中だよ。


「よーし、それじゃあめでたく新入りも入ったところで、今日も気合い入れて稽古するわよ、野郎ども!」

「おー!」、「ふー!」、「よっしゃー!」、「やー!」、「いえーい!」

 お鈴さんの号令に思い思いの返事を返す部員達。

「返事はどうした、クソガキ!」

「うぇっ⁉ は、はい!」

 僕も、そんな様々色の一つになることが出来るのだろうか。

 ずっと待ち望んでいた世界の変化は、元気よく大声で返事をした今この瞬間、始まったのかもしれない。


新しい僕の世界…………それが白塗りでなくて本当に良かった。


 

――そして。


「はーい。じゃあ、次、スタッカート行くわよ。さんはいっ」

「あっ! えっ! いっ! うっ! えっ! おっ! あっ! おっ………」

午後の運動場に響き渡る発声練習の声。

鍛え抜かれた役者の喉から打ち出される声はグランドの端の端まで軽く届き、ノック中の野球部を、ランニング中のバスケ部を、スパイク練習中のバレー部を、陸上部を………つまりグラウンド上にいる全生徒を振り向かせた。

「はい、次、ロングトーン! さんはいっ!」

 ……え、ちょ、なにこれ。何やってんの、僕ら。

「おらー! 下向くな、坊や! ちゃんと顔上げなさーい!」

 練習を取り仕切っていたミシェルさんが、鬼の形相で詰め寄って来た。

「い、いや、でも。み、みんな見てますし……」

「当っっったり前でしょうが! 舞台度胸つけるためにわざわざグラウンドで発声練習やってんのよ。見られなくてどうすんの。むしろ、グラウンド中の視線を集めるつもりでやりなさい!」

「いや、もう十分集まってますって!」


なんだよ、これ。演劇部って文化系じゃないのかよ。何、この体育会系のノリ⁉ ああ、見てる。みんなが見てる。てゆーか、サッカー部に見られてるのが何よ恥ずかしい! 超ニヤニヤしてるもん。たった一日で辞めたやつが、何かバカなことしてるって超ニヤニヤしながらこっちみてるもん! くそー、こんなことなら正体がわからない分、白塗りしてる方がまだましだよ! 

と、その時。


「笑うナ――――――――――――――――――――!」


サッカー部の一隅で爆発する怒鳴り声。こ、この片言はまさか………

「たった一日でも仲間になればファミリーだヨ! ファイトするファミリーを笑うやつ、男じゃないネ!」

 ラ、ラ、ラ、ランゴンテ―――――――!


 こうして、僕の新しい世界の第一歩は、まさかの白塗りへの渇望と、アルゼンチン留学生への感謝と共に踏み出されるのだった。

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