35話 でも男は一人で吉野家行くような子が好き


「あなた!」

「んがっ!」


 薄暗い路地の壁に背中から叩きつけられ、顔の真横にバシッと手を突かれた。

 おお、このシチュエーションは全国の女子高生の憧れ、壁どんじゃないか。

ステーキ丼からの壁どんとは、お前もただ者じゃないようだな、内田ヒャド子。

でも普通、女子が夢見ている壁どんは、やる方じゃなくてやられる方じゃないのかい?


「あなたっ!」

二回目の『あなた』でさらに顔が近づいた。長い睫毛が内なる感情を表わすかのようにしゃきんと尖っている。

「見た?」

「え?」

「見たよね………さっき」

低く抑えた声で尋ねる内田。

「え、えー? 見たって何をー? お、おう、よく見たらお前内田じゃん。いたの? 全然気付かなかったよー。はははは」

取りあえず、先ほどの演技プランを続行してみるものの、

「しっかり二十秒ほど目が合ってたんだけど、そんなごまかしが通ると思ってるの?」

 内田の眼光は鋭さを増すばかり。うっそ、そんな長いこと目ぇあってました、僕ら?


「ぐぐぐ……」

 内田は憎々しげに唇を噛むと、壁どんの構えを崩して力なく項垂れた。

「最悪だ。よりによってあなたみたいな人間に見つかるなんて………」

 そして、震える声で言う。いや、みたいって何だよ、みたいって。これでも見なかったことにしてやろうとしたんだぞ。

「迂闊だった。通学路の牛野屋に寄ることの危険性は十分理解していたはずなのに。だからこそいつも断腸の思いでスルーして来たっていうのに……………何よ、店舗期間限定メニューって。あんなの反則じゃない、ルール違反でしょ」 

 君と牛野屋の間にどんな協定があるかは知らないけどさ。

「しかも、その限定メニューが『きのこたっぷりステーキ丼』だなんて。そりゃあ、あたしはお肉の次にきのこが好きだけど、好物に好物を混ぜればいいってもんじゃないでしょう。節操なさすぎよ」

「いや、牛野屋は内田の好みを把握してないだろうと思うけど」

「それがまた夢のように美味しいんだもん、許せないわ」

 どうすれば良かったんだよ、牛野屋は。


え、てゆーか………………誰だ、君は。本当にあの内田なのか? 

突然イメージ変わり過ぎだろ。僕の知ってる内田はこんなお喋りじゃないぞ。もっと言葉少なに嫌なことを言うやつだ。常にクールで、冷めてて、教師相手にも焦ることがなくて、もちろん、力づくで男を暗がりに引きずりこむようなタイプじゃない。

 やっぱり、似ている誰かじゃないのか、こいつ。やべーよ、なんか怖くなってきたんですけど。僕の野生のカンが告げている。これ以上こいつと関わらない方がいいと。


「ただ一つ、上にゴマがふってあるのがいただけないわ。あれのせいでせっかくのきのこの触感がぼやけてしまうのよ」

「うん、そうだな。僕もそう思うよ。早速店長に教えてあげるといいよ。それじゃあ、僕はこれで。御機嫌よう」

憤然とする内田の横をとびきりの作り笑顔ですり抜けると、

「どこいくの」

素早く手錠のように手首を掴まれた。

「ど、どこって帰るんだよ、学校に」

「学校………」

その言葉を聞いた途端、内田の顔がサッと青ざめる。


「みんなに言いふらすつもりなのね、あたしと牛野屋の関係を!」

「言うわけないだろ、そんなこと」

「さっき、みんなに教えてやろうって言ってたじゃない!」

変な小芝居が裏目に出た!

「うう、終わった。こんな最低男のせいで。学校中に言いふらされる。インターネットにばら撒かれる。もう、外に出れなくなる………」

「いや、大げさすぎるって、どんだけ被害妄想強いんだよ。今時、女子だって一人丼くらい普通じゃん」

「ううう………」

 苦しげに顔を歪めて唸る内田。震える瞳の奥に様々な感情が渦巻いているのが見えた。

「ま、まあ、内田のキャラからしたら普通じゃないのかもしれないけどさ。とにかく誰にも言ったりしないから、手を離せって」

 諭すようにそう言うと、内田の手は観念したようにスルリと僕の手首から外れ、

「スマホ見せて」

 そのままズボンのポケットに突っ込まれた。


「うおおぁ、な、なにしてんだ、お前!」

「見せてよ。どうせヤバいデータが入ってるんでしょ? 特殊な趣味の画像とか動画とか! あるんでしょ、見せてよ。それでおあいこじゃない」

「ちょ、やめろって! 何でそんなもん見せなきゃいけないんだよ」

「抑止力よ!」

「何を言ってるんだ、お前は!」

 四、五分前からずっと何を言ってるんだ、お前! やっぱりカンは正しかった、こいつまともじゃないよ。つーか、力強いな、おい。あ、ミリッていった! 今、ズボンがミリッていったよ! 裂ける裂ける、裂けるって!


「見せろー、スマホ見せろー!」

「だー、もう、いい加減にしろー! 男のズボンのポケットに手ぇ突っ込むとか、恥じらいがないのか、お前はー!」

「――はっ」

 無我夢中で放ったその言葉は、内田の凄まじい馬力を一瞬で消失させた。

「は、恥じらいがない………?」

 そして、両目がギラリと光る。

 あ、やべ。一人牛野屋を目撃された女子に、このセリフはマズかったか。

「あるよ、あるに決まってんじゃん………だから、だからこんなに……ずっと…………」

「あ、いや、違うんだ、内田。今のはそういうことじゃなくてさ」

「あ、あんたなんかに………あんたなんかに何が………」

 ブルブルと怒りに身を震わせる内田。マズい、この感じマズいぞ。こういうタイプの子がキレると一番怖いんだ。これもしかして、あれか? 後々クラスメートに、『大人しそうな子でした』、『あんな酷いことするような子に見えませんでした』とかモザイク付きで証言されるパターンなのか? ああ、路地! 何でこんな薄暗い路地にみすみす入っちゃった、僕!

そして、大人しそうで酷いことをするように見えなかった内田は、刃のような怒気を全身に漲らせ、鋭い眼光を一閃させたかと思うと、


「………ふうっ」


 ペタンとその場にしゃがみ込んだ。

「……え?」

「ふえええええええええええ―――――ん!」

 そして、膝に顔を埋めて嗚咽を漏らして泣き出した。


いや、そっちかよ……。

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