42話 録画禁止の先生とか、なんなん?


 こうして、ドクター内田によるダンスレッスンが始まった。


「ほら、またそこで遅れた。次のフリをイメージしてないからよ」


 内田の指導は優しくない。声を荒げるわけではないけれど、メスのように鋭利な言葉が躊躇なく欠点を抉り出すので下手な怒鳴り声より心に刺さる。

けれど、


「いい? ここのフリは手数が多くて戸惑うと思うけど、重要なのは右肘だけよ。肘から上は単にそれについていってるだけだし、左手も足も同じ動きを繰り返してるだけ。右肘の動きに集中してクリアすれば楽勝よ」

 非常に具体的でわかりやすい。

指示通りに体が動くか動かないかは別として、とにかく言われることにいちいち納得がいく。それまで目的地すら見えなかった暗闇に、一条の光が差し込まれるようだった。

 そして、夢中で光を追いかけているうちに、あっという間に時間は過ぎ。


「よし、これであらかたオーケーね。じゃあ、ここまでにしましょうか」

 先生がオペの終了を宣言した頃には、もうすっかり日も傾いていた。

「うーす、ありがとーございましたー! ぐはー、疲れたー」

 石畳に尻餅をつき、そのまま大の字に寝転ぶ僕。シャツの襟をバタつかせ、汗ばんだ素肌に風を通した。手足が重い。いつも踊っているフリのはずなのに、疲労の感じ方が全然違う。

「本来使わなきゃいけない筋肉を今まで全然使えてなかったってことよ。ちゃんとストレッチしてから寝なきゃだめよ」

 内田も顔の汗をタオルで拭うと、ペットボトルの水を一口含み、

「じゃあ、明日もこの場所で朝六時ね」

 こともなげにそう言った。


「うえっ、明日もやんの⁉」

 しかも、朝六時? 疲労も忘れて飛び起きる僕。

「やるに決まってるでしょ。まだ正しいフリを理解しただけなんだから。これからしっかり体に入れないと。そんなに部活休めないし、短い間に集中して仕上げるわよ」

「あ、いや、でも、実は僕、部活は………」 

「心配しなくても明日の朝には終わらせるわ。そのためにも、家で百回練習してきて」

「ひゃ、百回って! 嘘だろ⁉」 

 今ですらヘロヘロだというのに!

「やりたかったら二百回でもいいけど? あ、そうだ。やる時はちょくちょくお手本動画確認しながらやるのよ。でないとまたズレちゃうから」

「ん? お手本動画? ってなに?」

「何って、フリ移しする時に動画を撮影させてもらうでしょ、普通」

 ほほー、内田さんちにはそんな文化が……。

「まさか、ないの……?」

 内田の眉間にグランドキャニオンのような起伏が生まれる。

「ええっと、お手本動画なる言葉を今初めて聞いたくらいでして……」

「信じられない。もう、いいわ。じゃあ、あたしが踊ってあげるからそれを撮影して」

 そう言って内田がもう一度袖をまくり上げようとした時だった。


 ――ディロリディロリディロリ。ディロリディロリディロリ。


内田の鞄からスマートフォンの着信音が聞こえてきたのは。

「あっ」

 途端に顔色を変えて鞄に飛び着く内田、

「もしも――っ」

 スマートフォンを耳に当て、直後にビクリと肩を震わせた。

……誰からだろう、どうやら相手はかなり怒っているようだ。

内田がしゃがみ込んだままごにょごにょと話すので、言葉は断片的にしか聞き取れないけれど………。

「……今学校………ママ、ごめっ………だめ、パパには………ごめんなさい」

ああ、十分だ。断片だけで十分だ。なるほど親御さんか、確かにもういい時間だもんな。

「それじゃあ」と言って電話を切る内田。表情はあまり変わらないけれど、両目がしっかり涙目だ。

「あの、瀬野せの君。悪いんだけど………」

「ああ、いいよいいよ。早く帰りなよ」

「う、うん、それじゃあ」

 あわあわと鞄を取り上げ、そそくさと去って行く内田。

「じゃーなー、内田ー。あんがとなー!」

 その小さな背中に向かって大きく手を振った。


いやー。

めっちゃ怒られてたな、内田。お母さん怖いのかな。「ママ、ごめっ」だってさ。いつも強気なヒャド子さんが随分弱気になっちゃってまあ。

「ママ、ごめっ……うへへへ。ママ、ごめっ……うひひひ。ママ、ごめっ……」

 何だかそのフレーズが気に入ってポーズを取りながら連発していたら、

「ちょっと」 

うおー、戻って来たあ! いつの間にかヒャド子さんが後ろに立っていたあ! 

「スマホのアドレス教えて」

「え?」 

殴られるかと思ったら、内田が突き出してきたのは鉄拳ではなくペンとメモ帳。

「アドレス? そのために戻ってきたの? 早く帰らなくていいのか、内田?」

「そう思うなら早く書いて」

「ああ、うん。LINEのIDでいいか、あ、いや、何でもない………………ごめん」

「………何で謝ったの?」

「ごめんなさい、何でもないです。ごめんなさい」

あっぶねー。お友達ガチで0人説の内田さんがSNSとかやってるわけないよな、あっぶねー。


手帳にサラサラとペンを走らせて内田に返す。内田は開いたままのページをじっと見つめ、

「………only road runer winter0727 @dodomo.ne.jp………なにこの気持ちの悪いアドレスは。データが腐りそうでスマホに登録したくないんだけど」

 ゴミでも見るような目で僕を見た。

「う、うるさいな、データが腐るか!」

後、キモくねーから! 超カッコいいから! 絶対キモくねーから!  

「ランナーのスペルにNが足りないのは、自分は自然数の世界に収まらない虚ろな存在だというアピールと理解していいのよね?」

「早く帰れよ、バッキャロー!」


 ちきしょー。こいつの率直すぎる指摘は、レッスン以外じゃ痛すぎる。


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