24話 ダンスはもう本当に地獄
「よーし、体もほぐれたことやし、次はダンスでもしよかー」
阿鼻叫喚の柔軟体操が終了し、晴れやかな顔でちゃーさんが宣言した。
「うげぇぇ⁉ ダダダ、ダンス? ダンスなんかやるんですか、演劇部って!」
対照的に僕の顔は青ざめる。
「いや、やるに決まってるやんか。ビビり過ぎやって、
……あったよ。だから嫌なんじゃないか。苦痛でしかなかったあの授業のことはもう思い出したくもない。高校に入ってやっとあの地獄から解放されると思ったのに……。
「なんのダンスがええかな、ウニ? いっそダンスバトルでもやろっか?」
「いきなりハードル高すぎるって、新歓の時のやつでいいんじゃない?」
伸ばされまくった体をさすりながら
「別館ホールでやったやつですか! あれカッコよかったですよねー。覚えたいです!」
「おう、新歓ダンスか。にひひひ、カッコよかったやろー。ウチがフリ考えてんからな」
「えっと、新歓ダンスって………」
「ああ、そっか。
「おう、あるぞ!」
ちゃーさんはいそいそと鞄からCD―Rを取出し、第二音楽室に残置されたオーディオセットに挿入した。うっそ、マジでやるんですか、ダンスとか。聞いてないよ。
「ほな行くでー。フォーメーション移動なしでフリだけなー」
「んー」
プレイボタンを押してパタパタと駆け戻ってくるちゃーさん。部屋の中央では羽織がすでにスタンバっている。
「きゃー! ウニさん、ちゃーさん、頑張ってー! ほら、レント君も拍手拍手」
「え、ああ、うん」
くそう、急にテンション高いな、桃紙さん。一年生コンビの拍手が鳴り響く中、スピーカーが誰もが知っているポップナンバーのイントロを奏でる。そして、いきなり訪れるサビを待って、
「簡単やからよう見ててな、瀬野っち☆」
ちゃーさんが、さっと手を振り上げた。
………それから、およそ一分半。
「はい、最後は好きなポーズでフィニーッシュ、ど――――ん!」
唐突な爆発音で曲が打ち切られ、ちゃーさんは片足上げたカンフーのようなポーズで、羽織は思い切り可愛い子ぶった投げキッスで踊りは終わった。
「きゃー、きゃー! 素敵ー! ウニさん可愛いー! ちゃーさんカッコいいー!」
「ひゃー、やっちゃったやっちゃった。恥ずかしい恥ずかしい」
テンションMAXの桃紙さんに煽られまくって、羽織が赤い顔をパタパタと手で扇ぎ、
「ウニはすぐ可愛い子ぶるからなー、似合うからええけど。あ、どうやった、瀬野っち。簡単やったやろ?」
ちゃーさんが汗ひとつかかない顔で振り返る。
「え……ああ、うん……うへへへへへ」
どこがだよっっっっっ!
そう叫びたい気持ちを堪えようとすると、気持ちの悪い笑い声が涎のように零れ出た。
なんだ、あれ。ムズいよっ、早えーよっっ、ワケわかんねーよっっっ!
理解できたのは最初に腕を真上に上げるところまでだ。そっこから先は、つまりフリの99%は動きを追うのも覚束ず、目の前をサラサラと流れていくだけだった。
いや、カッコいいのはわかるんだよ? 可愛いのもわかるんだよ? でも、やるの? あれを? 僕が? 汗が、考えただけで汗が止まんねーよ、うへへへへへ………。
「おもろい顔すんな、瀬野っち。大丈夫やって。見た目は派手やけどやれば簡単なのがちゃーダンスの特徴やねんから。ウチが優しく教えたるわ」
「ほ、ほんとですか! 優しくですよ! 絶対優しく教えてくださいね、絶対ですよ!」
「お、おう。必死やな、自分」
そりゃ、必死にもなるよ。カナヅチの人間がプールの飛込みを恐れるように、運動音痴の人間がフライのキャッチを恐れるように、ダンス音痴の人間にとってダンスのフリ移しほど恐ろしいものはこの世にない。
「よーし、ほな始めるでー。ちゃー先生のダンスレッスンやー♪」
部屋の隅にパーテーションのように折りたたまれていたキャスター付きの鏡をゴロゴロと引っ張っくるちゃーさん。身の丈よりも大きな鏡をえっちらおっちらと運ぶこの小動物のような先輩の手によって、僕のダンスに対するトラウマが完治不能なレベルにまで悪化することを、この時はまだ知る由もなかった。
「ほな、まずは曲なしでフリだけ教えるからなー。後ろへ並べ、野郎ども」
鏡の正面、ど真ん中の位置にちゃーさんが陣取り、僕と桃紙さんはそれぞれ左右に分かれて斜め後ろに立つ。
「最初ちょっとイントロあるからそこは無視な。各自ふんふんしてればええわ」
両手をお尻の上で組み、リズミカルに踵を浮かせるちゃーさん。おそらくあれが、ふんふんという状態なんだろう。
「んで、唐突にサビが来るからそれに合わせて腕をにょーん!」
う、腕をにょーん? 真上に上げればいいんだよな?
「んで、次のドラムのズクズクターンに合わせて、腕と腰をズクズクターン!」
ズ、ズクズクターンに合わせてズクズクターン?
「ほいで、首から足にぐねぐねぐね~。足をじゃかじゃか、腕をうぃんうぃん」
ちょ、ちょ、ちょ、ちゃーさん! ちゃーさん!
「最後にグルって回って、右にツィーっつって、どーん! はい、覚えた? 次行くで」
「待って待って! ちゃーさん!」
「ああ? なんやねん、瀬野っち。いちいち止めんなや、しばくぞボケ」
「優しく! 優しくですよね、ちゃーさん! あの、ちょっと早すぎてついて行けなかったんでもう一回最初から教えてもらえませんか?」
「ええー、しゃーなしやで、もー。まず、腕をにょーんや」
頬っぺたをぷくっと膨らませながら、右手をビシッと上に突き出すちゃーさん。
「ビシッとちゃうわ! にょーんやゆーてるやろ!」
そのニュアンス重要だったんですか⁉
「んで、腕と腰をズクズクターンや」
ちゃーさんの短い腕が胸の前でクロスされたかと思いきや、素早く翻って後頭部をすくってまた胸の前に戻ってくる。と、同時に腰が大きく円を描く………。
「え? え? なんすか、今の。胸の前で手で×を作って頭に行って……あれ、腰はいつ動くんですか、クロスの前? 同時? スタート位置は前ですか、横ですか?」
「はあ? そんなん知るか。とにかくズクズクターンに合わせたらええねん。ほいで、首ぐね、足じゃか、腕うぃん、以上や」
「早いですって! え、足が左右左で………あれ、足が動いている間、手はどこに置いてたらいいんですか?」
「あー、もうごちゃごちゃうっさいねん! こんなもんフィーリングや! とにかくがむしゃらに踊れ! 気合じゃ、気合ー!」
だ、だめだぁぁぁぁぁ! この人教えるの、超下手だ――――!
ああ、胸が! 胸がぎゅるんってなる。中学時代のダンスのトラウマが疼きだす。何でダンスうまい人って、ニュアンスでしてか教えてくれないんですか。なんで細かく聞いたら怒るんですか。
「え、レント君。今のマジで出来ないの……………嘘だよね?」
なんで、ダンスが出来ない人を虫でも見るような目で見るんですか。
「まあ、ええわ。取りあえず曲つけてやってみよかー」
なんで、わからないって言ってるのに曲を流そうとするんですかぁぁぁ! もういやだ、助けて、おねーちゃーん!
「ちょっと、ちゃー。いきなり曲で合わせるなんて無理だよ。蓮ちゃんは素人なんだからちゃんと教えてあげないと。さ、蓮ちゃん、見ててあげるから、一人でやってみて」
はい、来た、このパターン!
優しいと見せかけて実は最も殺傷力の高い素人殺し、ザ・晒し者! ここまで来たらもうゴールは見えた。衆人環視の中、それでも羽織の手拍子に合わせて踊り切った僕に待っているセリフは………。
「……ラジオ体操みたいやな」
はい、いただきましたー! フルコンボいただきましたー! ボッキボキだよ。元々ポッキーのようだった僕の心がもうボッキボキのサックサクだよ。ちくしょー、ダンスなんか大嫌いだー!
「おっかしいなー。あんなにカッコいいフリなのに、なんでレント君がやると気持ち悪いんだろう。とても同じフリとは思えないんだけど」
「蓮ちゃん、ずっとサッカーやってきたから体の動かし方がスポーツ寄りになっちゃうじゃないかなあ。だからリズムが悪くて、表現力がなくて、躍動感がなくて……」
だから、分析はっ! 心折れてる人の面前で分析は勘弁してください、お二方!
「つーか、そもそもフリ自体が違うねんて、瀬野っちは。もっと腰を大きく動かして、ズクズクターンやんか」
改めて出だしのフリを実演して見せてくれるちゃーさん。確かに腰の動きとキレがハンパない。
「えっと、こうですか?」
僕も僕なりに精一杯腰を回してみるものの、
「ちゃうちゃう、そこはお腹やんか」
腰の固い男子はどうしても、腰を動かすという感覚がわからない。
「もー、じれったいな、よう見いや!」
瞬く間に沸点を突破したちゃーさんが、ガッとTシャツを胸の下までめくり上げた。目の前でちゃーさんの薄っすらと腹筋の割れた白いお腹が剥き出しになり、短パンのウエストからはみ出たワンフィンガーのパンティーラインが……
「腰を動かすっていうのは、こう!」
おおおお、動く動く。うねるうねる。だ、だ、だめですよ、ちゃーさん、はしたない! 小学生みたいなナリして男の前で素肌晒してそんなに激しく腰振っちゃ!
「ちなみに、後ろから見ると、こう」
後ろとかっ! ちゃーさん後ろとかっ!
「どう? わかった、瀬野っち?」
「はい、後ろの方が断然エロいです!」
「どこ見とんねん!」
見ろと言われたから見ていたのに、ちゃーさんにグーで腹を叩かれた。
ああ、ダンス大好き……。
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