31話 ファンって何?


「ふふ……ふふふ」


 すっかりと日の暮れた帰り道。川沿いの歩道にくすくすと笑い声が漏れる。

「いつまで笑ってんだよ、羽織はおり

「いや、久しぶりにれんちゃんのモノマネ見たからおかしくってもう………ふふふ」

「うけてたの羽織だけじゃねーか。お前以外全員ぽかーんだったぞ」

 あの後スベったモノマネの説明をさせられるのがどんだけ辛かったか。

「ごめんごめん。でも、本当に久々だったね、黄粉饅頭のマネ。あれを見たのは小学生以来だよ」

「やったのだって小学生以来だよ」


 ついでに、こうやって羽織と一緒に下校するのも小学生以来だ。

あの頃は毎朝同じ班で登校して、帰りも特に待ち合わせたわけではないけれど、自然とどちらかがどちらかに追いつき一緒になることが多かった。

しかし、小学校を卒業した羽織が中高一貫の女子校に進学してからは、通学も下校も完全に時間が合わなくなり、中学校の制服を着た羽織と並んで道を歩いた記憶はない。羽織がもし、公立の高校に戻って来なかったから、こうしてまた同じ道を帰ることもなかっただろう。 


「前に一緒に帰った時は、お互いランドセル背負ってたんだよな、僕ら。変わらないのは川の流れだけか」

 街灯の明かりをキラキラと跳ね返す伊吹川、その水もあの頃に比べると随分濁った気がする。

「うん、そうだね。そう思うと三年なんて………あ、あっという間の、ぐふっ……ぐはははは。だめだ、お腹痛い。あははははは!」

「しつこっ! 思い出し笑い、しつこっ!」

 くそう、せっかくの花鳥風月を織り交ぜたいいセリフが台無しだよ。


本当に今日はろくなことがない。初めてのダンスはボロボロだったし、最下位で罰ゲームさせられるし、モノマネはスベるし。しかも、かなり高い確度で明日も同じ目に合うことが確定している。

「あーあ、おりんさんが入部希望を断ったりしなきゃよかったのに」

「え、なんで?」

 独り言のつもりだったけど、自分が思うより遥かに大きく思いが声に出ていたようだ。

「なんでって、それは………」

 

――部員が集まったら、ゲリラライブをやらなくて済むから。


「蓮ちゃんは、踊るのが嫌?」

 僕の心を見透かすように羽織が問いかけた。

「いや、そういうわけじゃないけど………ただ、せっかく希望を出してくれた人が可哀想かなって」

 いつのも癖だ、僕はいつも羽織に本心を隠す。

「そっかあ、蓮ちゃんは優しいね」

 そう言って羽織は小さく微笑んだ。

 唇を微かに尖らせながら、首を気持ち傾け、目を伏せる。何かを喋りたがっている顔だ。言うべきこと整理している顔。僕は黙ってそんな羽織の隣を歩く。


「蓮ちゃん、あたし達去年も部員勧誘のゲリラライブをやったって言ったでしょ?」

 羽織が再び口を開いたのはそれから数分後、お互いの家の玄関がそろそろ見え始める頃だった。

「それで入部希望がいっぱい届いて、でも、お鈴ちゃんが全員門前払いしちゃったって言ったでしょ?」

 改めて整理するととんでもない話だな。

「でも、その話ちょっと違ってて、本当はみんな一回ちゃんと入部してるんだ」

「え、そうなの? 入部希望者全員?」 

「全員。だからあの時は、一時だけだったけど三十人以上の大所帯になったの」

「一気に三十人って。それって滅茶苦茶すごいじゃん」 

「うん、滅茶苦茶すごいっていうか………すごい滅茶苦茶になっちゃった」

「滅茶苦茶に………?」

 不意に羽織が足を止めた。僕は勢いで二歩進んでから振り返る。街灯の明かりを背に浴びた羽織の影が足元まで伸びていた。


「あたし達さ、すごく嬉しかったの。だって、そうじゃん。仲間を増やそうと思って一生懸命にライブやったんだもん。それでいっぱい人が来てくれて、一光いっこうもお鈴ちゃんもちゃーもミシェルも、みんなすごい喜んだんだよ。でも、あの人達全然やる気がなくって。稽古中もあたしと話そうとばかりして、一光の指示もお鈴ちゃんの注意も全然聞いてくれなくて………」

「ああ………」

 何となく想像がついてきた、サンデーゴリラに起こった惨劇の。


「本当に何なんだろうね、あの人ら。何回も止めてって言ってるのに、演技中に話かけてきたり、姫姫って囃し立てたり、写真撮ったり、物盗ったり………」

「物を盗る?」

「うん、飲んでた水とかタオルとか、何回もなくなった………」

「最低じゃねーか!」

「挙句、新しく入って来た人同士で派閥作って喧嘩とか始めちゃったり」 

 あーもう、酷過ぎる。最低の中でも最低過ぎる。

「もう、全然部活になんないの、それである日お鈴ちゃんが………」

「ブチ切れて全員追い出したと」

 首肯する羽織。


 なるほど、お鈴さんの言っていた去年の二の舞ってこういうことか。確かに、あの入部届を読む限り、彼らに真面目に演劇に取り組む意志はなさそうだ。

「なんでだろうなー。なんなんだろうなー。あたしだって女だから、男の子に好きになられたら、そりゃあ嬉しいけど。でも、なんで………なんで嫌がることするんだろなー」

 踵でガリガリとアスファルトを擦る羽織、表情は影になってはっきりと見えない。

 いったい、どんな気持ちなんだろう。自分達の立ち上げた劇団が自分のせいで滅茶苦茶になるというのは。どんな気持ちで羽織はあの部室に通っていたんだろう。

「そりゃあ、羽織のファンを入部禁止にしたくもなるわな………」

「うん。だからね、蓮ちゃんがサンデーゴリラに入ってくれて、あたしすごく嬉しかったよ。あ、そう言えば、どうだった? 初舞台の感想は?」

 暗い雰囲気を作ってしまったことを自覚したのか、羽織は強引に明るい方向へと話題を転調させた。


「どうだろな、よくわかんねーや」

 しかし、その話題は僕にとっては明るい材料ではなかったりする。

「最初はそんなもんだって。カッコよかったよ、蓮ちゃん」

「嘘つくなよ」

「ホントだって。ま、確かにいっぱい間違ってたけど………」

「早いよ、バラすのが。嘘つくならつき通してくれよ」

 てゆーか、同じ舞台で踊っていた羽織が僕のことを見る余裕なんてないだろう。

「へへへ、大丈夫大丈夫。明日はもっとうまくいくから。だから、明日も頑張ろっ!」

 笑いながら僕の背中を叩くと、羽織はダダッと駈け出して、幅跳びのように地面を蹴って宙を泳いだ。プリーツスカートがふわりと風に翻る。着地地点はピッタリ宇仁島うにしま家の外玄関前。

「じゃ、また明日ね、新入り小僧!」

「おお、またな、先輩」

しゅびっと手を上げる羽織にそう返すと、おねーちゃんは急に顔を曇らせ、

「送るだけで何もしないなんて…………蓮ちゃんのいくじなしっ!」

 くどいほどの大げさな身振りで言い捨てて、家の中に駆け込んでいった。


 おお、久しぶりに見た。羽織のお隣さん限定ギャグ『送ってねーよ』。

なんか無理矢理ポジティブな感じにまとめあげて帰っていきやがったな。

………実際、無理をしているのかもしれない。サンデーゴリラの活動が自分のせいで無茶苦茶になったのは、何も去年だけの話じゃない。

『コールはやめてください!』

ゲリラライブのお客さんに必死に叫んでいた羽織の顔が頭に蘇った。

「明日はもっとうまくいく………か」

 羽織が帰り際にかけてくれた言葉は、あるいは自分に言い聞かせたかったのかもしれない。そんなことを思いながら、宇仁島家の玄関に残った羽織の残像を見つめていると、


「邪魔っっ!」

「ふんぐわっ!」


 ポニーテールの小学生に思い切り背中を蹴り飛ばされた。

「いきなりなにすんだ、美愛みあ!」

「道の真ん中で鼻の下伸ばして他所の玄関見てんじゃねーよ、バカ兄貴! 通報されるだろ」

「は、鼻の下なんか伸びてるかあ!」

 仮に伸びてたとして後ろにいたお前に見えるかあ!

「兄貴、結局サッカー部辞めて演劇部に入ったらしいじゃん」

 件の鼻の下を貫くようにして、ずびしと人差し指を突き出す美愛。

「ああ、まあな。羽織に聞いたのか?」

「………そーゆーの恥ずかしいからやめてよね」

「はあ?」

 美愛乃は言いたいだけ言ってしまうとさっさと瀬野家の門をくぐり、ドアの音を響かせて家の中に消えていった。


 あ、あの、クソガキめぇ…………ちょっと可愛いと思って調子に乗りやがって。なるほど、羽織の言う通りだ。確かに明日はもっとうまくいくだろう。

 

 さすがに今日より悪い日が明日に待っているとは思えない。 

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