36話 男は基本的にチョロイ


「ふええええええええ――――――ん!」


 路地裏に内田の泣き声が響き渡る。

「え………ええええ、ちょ、内田、え、内田?」 

 慌てふためいて話しかけてみるけれど、返って来るのは啜りあげる音としゃくりあげる声ばかり。

 あー、泣いてる。これは完全に、泣いている。ウソだろ、ここで泣く? 絶対殴られると思ったのに、いちいち予想外過ぎるだろ。


「ご、ごめん、内田。さっきのは言い過ぎたよ。ごめんなさい!」

 何て今さら謝っても遅いよな。最悪だ、クラスの女の子泣かせちゃった。おねーちゃんのお小言破っちゃったよ。どーしよ、これどーしよ。

「ほ、ほんと、マジでごめんって! 泣くなよ、内田。言わないから、マジで誰にも言わないから。何でもするから許してくれよ」

「ふぅ、うう………ほんとに………何でもしてくれるの?」

「おう、するする、何でもするよ! あ、そうだ、スマホ見るか? いいよ、ほら」

 ブレザーのポケットからスマホを抜きとり内田に差し出す。泣き止んでくれるならこれくらい安いもんだ。別にやましいデータなんて………………ぎっしり入っているけれど、健全な男子高校生なら許される範囲だろうよ。


「………じゃあ、踊りが見たい」


「え?」

 しかし、内田の口から出て来たのは、またしても予想外の言葉だった。

「ダ、ダンス………って?」

「あなた達が朝夕前の道でやってる、あのダンス………あれが見たい」

 そう言うと、内田はようやく顔を上げ、真っ赤に充血した眼で僕を見つめた。

「だめかな?」

「いや、いいけど。なんでそんなもん?」

「………あなたのダンスを見てると、元気になるから」


――え?


「あんな恥ずかしいダンスを堂々と人前に晒して生きている人がいると思うと、ちっぽけな悩みなんてどうでもいい気がしてくるの」

「悪かったな、恥ずかしくて!」

 紛らわしい言い方するんじゃないよ! 危うくトキメクところだっただろうが。あっぶねー。ぎりぎりトキメいてなかったわ、今。あー、危ねー。

「だから、お願い。ダンス見せて。何でもするって言ったでしょ。でないと、あたし………また………」

「あー、はいはい、やるよ。やりますよ」

 別に毎日やってることだし、スマホのデータを見られることに比べれば、拍子抜けするほどお安い御用だ。


「やったー、ありがとう。じゃあ、こっち来て」

 内田はパッと表情を輝かせると、手の甲で涙を拭いながら僕を路地の明るいところに導き、

「じゃあ、どうぞ」

 スマートフォンのカメラを構えた。

「え、撮影すんの?」

「うん。いくよ、3、2、1、キュー」

「早いな、おい」

 撮影開始の機械音にせっつかれ、とりあえず踊り始める僕。

路地は狭い。両手を広げるのもぎりぎりなのでかなり動きは制限されるけれど、とにかく二分三十秒を、曲を口ずさみながら本意気で踊り切った。


「ルルル~の、ララララ~♪ 最後は好きなポーズでフィニッシュっと! はい、終わり。これでいいか?」

「お疲れ様、確認するからちょっと待って」

 手早くディスプレイに指を滑らせる内田。ややあって、青白い光を放つスマートフォンから僕のくぐもった声が再生される。


『早いな、おい。じゃあ、いくぞ…………』


「うん、ばっちり。しかし、改めて見てもひっどい踊りね。あたしがレッスンしてあげようか?」

「いらねーよ」

 元気になった思った途端にこの態度かよ。

「まあいいか。大事なのは踊りよりもロケーションだもんね」

 そう言って、内田はスマホを鞄にしまう。

「ロケーション?」

 ………て、何だったっけ? 場所のことか?

 あれ、そう言えば内田に導かれるままに路地の明るいところで踊ったけれど………『路地の明るいところ』って、なんだ?


「うげっ!」


 光源を見上げて、思わず声が漏れた。日の暮れかけた路地の一角を仄かに照らすのは、薄暗い路地に相応しい薄暗いお店のネオン看板………。


『ゲイストリップ・上腕二頭筋シアター』 

 

 ………おい。

なんだ、これ。ウソだろ。僕、こんな看板の下で踊っていたのか。

「これで、おあいこね………瀬野せの君」

 そして、そんなものを撮影されていたっていうのか。スマートフォンに照らされた内田の笑顔が、ゾクリとするほど冷たく見えた。

「う、内田。まさか、お前………」

「抑止力よ」

「はっ――」


 はめられたあああああああああああああああああああああああ! 


 なんてこった、これがあいつの狙いだったのか。弱みを握る。健全な男子高校生のスマホに収められた健全なコレクションなど比較にならない程の、圧倒的な弱みを………。

『涙は女の最後の武器でしょ』 

 いつぞやのミシェルさんの言葉が、遠ざかっていく内田の足音に重なった。

信じられない。この僕を欺くなんて………内田ヒャド子。


あいつ、嘘泣きうますぎる。



「た、ただい………んぐ」

ようやくたどり着いた家の扉があけられなくて、ドアノブを引く手が冷徹な閂の感触にはじかれた。


ああ、カギ開けるの忘れてた………。

右のポケットを探ると左肩にかけていたカバンがどさりとずり落ちた。

………ふう。

拾い上げようと腰を曲げるとそのまま膝が崩れ落ちた。ああ、だめだ。立ち上がる気力もない。


今日は最悪だった。

ホントになんて日だ。

お鈴さんに八つ当たりに怒鳴られ、蹴られ、半裸を見せつけられたと思ったら、下着を投げつけられ、かと思えば内田にウソ泣きに心をもてあそばれ、弱みを握られ、脅迫され………。


今日一日でどれだけの女のいやなところ見ただろう。なんだなんだ、本当にもう。俺は女性不振になるためにサンデーゴリラにはいったのか。

「ふう」

ため息交じりに扉を開くと、


「おにいちゃーーーーーーん!」


栗栖くりすが泣きべそかいて飛びついてきた。

「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん、あのね、あのね、ひどいの、美愛みあちゃんがひどいの、子供じゃないんだからもう一緒にお風呂入ってくれないっていうの。栗にはもうお兄ちゃんしかいないよ~~~。うえ~~~~~~ん」

「栗………」

俺は抱き着いて泣きじゃくる栗の頭をそっと撫でた。


「お前はいつまでもそのままでいてくれ……」

「泣かされてるんですけど!」


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