44話 こういう先輩マジでいた。


 翌朝。

「んんっ?」

 校門から言い知れぬ悪寒を感じて足が止まった。


 一人ぼっちのしょっぱい朝食を済ませ、朝練に向かう上級生達の列に交じって通学路に寝ぼけ面を晒していたけれど………………なんだ、この眠気も吹っ飛ぶ禍々しい気配は。現在時刻は六時五十分、早く行かないと内田先生の朝練に遅刻する。しかし足が、足が全く動かない。どうしよう、恐らく内田先生は遅刻に厳しい。一分でも遅れれば何を言われるかわからない。しかし、足が! 

などと逡巡していたら、


「おーっす」

 後ろ頭を鞄で叩かれた。

「いった! 何す――んぐっ」

 そして、振り返った瞬間に口を掌でふさがれる。

「騒ぐな、レント。おりんにバレるぞ」

 目の前まで顔を寄せてそう言うのは、通学路にごまんと溢れる寝ぼけ面の中でも断トツのクオリティを誇る、ひょろりと背の高い縮れ頭。

一光いっこうさん? え、お鈴さんって………」

「お前も感じるだろ? 校門の向こうから漂ってくる、ただならぬ妖気」

 妖気って。


「お鈴が前の道で網を張ってる。俺が何とかしてくるから、お前は五分待ってから入って来い」

 そう言い残してフラフラと歩き出す一光さん。

「あ、あの、一光さん!」

 慌ててその背中を呼び止めると、

「あー、あー、わかってるよ。放課後、待ってるぜー」

 一光さんは振り返りもせず、面倒くさそうに手だけを上げた。


 ………あの人は、本当に心が読めるんじゃないだろうか。校門に消えていく後姿を見送りながら、そんな思いを打ち消すことができなかった。



「えっと、どうっすか、先生?」


「うーん」

 沈黙耐え切れずに尋ねると、内田はパンを咥えながら唸り声を上げた。

 女子テニス部の軽やかな号令が聞こえる旧別館前、先着してモソモソとパンを齧っていた内田は朝の挨拶もそこそこに踊れと命令し、鞄から二個目のパンを取り出した。色々と言いたいことを飲み込んで、取りあえず、言う通りに踊ってみたのだけれど………


「う――ん」

 内田はうんうん唸るばかり。心なしか表情も硬いような。いや、こいつは元々こんな顔か。なんだよ、もー。何か言えよー。不安に駆られるだろうがよー。

「ど、どうよ?」

堪らずに押して尋ねると、

「いいんじゃない」

内田はようやくそう言った。

「マジで?」

「少なくとも、昨日までより全然いい」

「よっしゃあああああ――――――――!」

 両手を天に突き上げた。やった、やったぞ、このヤロー! 腹の底から快哉を叫んで飛び跳ねる。二度、三度、ええい、ついでに四度だ、っしゃあああ、おら――――! 


「ちょっと、埃が舞う。喜びすぎでしょ」

 迷惑そうにパンを手で守る内田。

「いや、喜ぶわ! 言っとくけどな! 初なんだぞ! 人生で初なんだからな、ダンスを褒められたの! これが喜ばずにいられるかー、うっひょー! むっはー!」

「そ、そうなんだ………え、人生で初?」

 何だか内田が憐れむような目で僕を見ている気がするけど、今は許してやろう。何せ僕は気分がいいんだ。昨晩、百回踊った甲斐があったってもんだぜ、ぐへへへ。


「何で百回も踊ってるのよ、バカじゃないの?」

「いや、お前がやれって言ったからだろ!」

「言葉の綾よ、そんなもん。普通やんないでしょ、そんなこと言われても」

 内田は呆れたようにそう言うと、まさかの三個目のパンを鞄から取り出し、

「ねえ、何でそんなに頑張ったの?」

 袋を破りながら僕に尋ねた。

「………え?」

 ドキリとして内田の顔を振り返る。

『サンデーゴリラを辞めるつもりだったくせに』、そう言われた気がしたからだ。



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