18話 演劇部員はみんなやってる


「いやー、れんちゃんとこうやって並んで校舎を歩くのって初めてだよねー。なんか新鮮で緊張するわー」


 放課後。制服と体操服が入り混じる廊下を歩きながら、羽織はおりは満面の笑みでそう言った。

「女子小、女子中も楽しかったけど、やっぱ共学はいいね。弟の成長も間近で確認できるし、生意気に大きくなっちゃって、蓮ちゃんのくせに。このやろ! このやろ!」

 ぴんと伸ばした右手の手首を身長計のように折り曲げて、ぺしぺしと頭を叩いてくる羽織。

「あー、やめろよ、鬱陶しいな」


 くそー、羽織のやつめ、上機嫌だな。

 終礼直後、ダッシュで家まで逃げ帰ってやろうと教室を飛び出したら、そんな浅知恵などお見通しだと言わんばかりに羽織が廊下で待ち構えていた。

多分、自分のとこの終礼はすっぽかしてきたんだろう。なんだ、この強引さは。どうして、そこまで僕を連れて行きたいんだよ。

「はー、男の子はこうやってどんどん大きくなっていくんだね。何かおねーちゃん、寂しいわー」

……大きくなったのはお前だって一緒だろう。階段を一段下る度にぶるぶると震える胸の塊を見下ろして心の中で毒づいた。



昨日と同じコースを辿って特別教室棟の一番奥へ。途中で羽織がクラスメートと先生に捕まり、それぞれ十分ほど立ち話をしたために到着はやや遅れた。

「うにだよー。入るねー」 

 太鼓を叩くように両手でトトンとノックして、第二音楽室の扉を開く羽織。昨日を思い出して少し身構えていたけれど、今日は誰も飛び出してこなかった。


羽織の肩越しに中を覗くと、部屋の中央で一人佇むおりんさんの後ろ姿が見える。学校指定のジャージを履き、上は黒のTシャツ姿。その他の部員達は、その向こうの長机にずらりと並んで真剣な眼差しを送っていた。もうすでに部活が始まっているのだろうか、一見して緊迫したムードが感じ取れる。羽織は唇に当てがった人差し指を僕に示しながら、足音を殺して僕を部屋の中に導いた。


「……Dete……ive」


 不意に、お鈴さんの薄い唇の間から微かな呟きが漏れた。何と言ったのかまでは聞き取れない。多分英語だ。そして、もう一度。


「Detecti………」


役に入り込んでいるのだろう。分厚いくまがべっとりと張り付いた両目は虚空を漂い、同時に刃のような緊張感を周囲に放っている。 

 そして、三度目。お鈴さんのお腹が僅かに膨らみ、カッと目が見開かれ、


「ディテクティィィィィ――――――――――ヴッッッ」


 溜めこまれた空気が絶叫になって吐き出された。

「そこまで、お鈴の優勝!」

「なんやねーん、またお鈴やんけー」

「勝てる気がしないわね、お手あげよ」

 一光いっこうさんが手を叩くと、緊張感から解放されたようにちゃーさんとミシェルさんが口々に呻いた。

「うーん、これで八連覇かあ。さすがに強いなあ、お鈴ちゃん」

「なあ、羽織。今の何よ」

 ため息をつく羽織の耳に口を寄せる。

「ああ、ワンシーンGPだよ」

ワンシーンGP……?

「映画やお芝居のワンシーンをどれだけ忠実に再現できるかを競うというサンデーゴリラ伝統の大会だよ」

 設立二年目の劇団に伝統だと?

「ちなみに今のは、映画『セブン』で警察署に出頭してきたジョン・ドゥが呼びかけを二回無視されて三回目に切れる有名なシーンだね」

「知らん知らん、そんなシーン」

 マニアックすぎるだろ、大会が成立するのかよ。

「お鈴ちゃんにとっては思い入れのあるシーンなんだよ。覚えておいて、蓮ちゃん。役者は誰でも最低一つは魂レベルで完コピできるシーンがあるの。演劇界の常識だよ」

 人差し指をぴんと立て、とびきりのウィンクをぶちかまして見せるおねーちゃん。

「そうなんすか。さすが演劇部は変わった練習があるんだな」

「練習? ああ、違う違う。これは暇つぶしに遊んでるだけだよ」

「遊びかい!」

 じゃあ、何で静粛を求められたんだよ、さっき。


「おお、キレよくツッコんでるやつがおると思たら、瀬野せのっちやーん!」

 ようやく僕の存在に気付いたらしいちゃーさんが、机をびよーんと飛び越えて抱きついてきた。

「来てくれて嬉しいわぁー、瀬野っち。昨日はごめんな、酷い目に合わせもーて。もう二度と遊びに来てくれへのちゃうかと思て心配してたんよー」

まあ、実際そのつもりだったんですけど…………てゆーか、距離が。出会って二日で距離が近い! これが噂の関西人スキル、間合いゼロか。

「本当にごめんなさいね、一年くん」

 コアラのように纏わりつくちゃーさんを引き剥がし、お鈴さんも謝罪を述べる。なぜか思い切り胸を張りながら。

「でも、悪気があったわけじゃないのよ。歓迎しようとした気持ちが暴走したというかさ。まあ、この通りだから許してあげてよ、わたし達を」

 どの通りなんだよ。どんだけ上から目線で謝ってくるんだ、この人は。

「よく来たわね、坊や。お詫びにあたしの歌を披露してあげるわ。うーつくしーさーはー罪~~~~♪」

「選曲選曲! 本当に謝る気あるんですか!」

 歌いたいだけだろ、ミシェルさんは。


「いや、マジでマジで。悪かったと思ってるよ、少年」

 そうしないと立てないのだろうか。一光さんは昨日と同じようにぶら下がるようにして僕の肩に腕を回し、

「まあ立ち話もなんだから、座れ座れ」

 昨日と同じように椅子を勧め、

「飲め飲め」

 昨日と同じようにほうじ茶を机に置き、

「書け書け」

 昨日と同じように入部届を横に添えた。

「だから書かないですよ、入部届はっ! なんですぐに入部させようとするんですか」

「そりゃあ、あんたが欲しいからに決まってるでしょ」

 『太』とつけるにはやや細すぎる腿を机の角にもたせかけ、お鈴さんが堅そうな黒髪をかきあげる。

「学生劇団はどこも万年男子部員不足よ。うちだって男の新入りは喉から手が出るほど欲しい。特に、あんたみたいなタイプはね」

 ………僕みたいな? 言葉の意味がわからず振り返ると、

「えっと、だから、とにかくウチは新入部員が一人しかいなくて困ってるの。だから、蓮ちゃんが入ってくれたら嬉しいなってことよ」

 羽織が大げさな笑顔を作ってそう答える。眉間に寄った微かな皺を慌ててかき消したように見えたのは、僕の気のせいだろうか。 


「で、どうかな、蓮ちゃん? 蓮ちゃんが入ってくれたらガミエも喜ぶと思うし」

「ガミエ………って桃紙ももがみさんのことだよな? そう言えば桃紙さんって今日学校休んでたけど……」

「いや、来てるのは来てるんだよ」

 一光さんが面倒くさそうに部屋の隅の掃除道具入れを振り返った。

「おい、何隠れてんだ。出てこい、ガミエ」

 

―――ばこん。


 部長の呼びかけに応えるように、スチール製の扉が中から押されて音を立てた。そして、

「ふぅぅぅぅぅぅぅぅ」―――ぎぃぃぃぃ。


 開いた扉に縋りつくようにして、すでに半泣き状態の桃紙さんが現れた。

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