7:それは遠い炎の行方(3)
「あ、あまっ、アマルティア――女神さまっ!」
「聖女さまも!?」
慌てふためく武闘神官たち。
無理もない。揺れる髪。話すたび、優雅に動く腕。岩山を蹴上がる鹿のような脚。彫刻や絵画の想像力を超えた、隙のない美貌。
珍妙な出で立ちこそそのままだが、もはやそれで正しいのだと思える。
彼らの仕える女神ではないにしても、その域にある何か以外に考えようがなかった。
「うぬらも嘘吐きよの。本当に儂を女神などと、崇めてはおるまい? いや咎めたのではなくな。己のことはきっちりと、己で知っておくのが良い」
信仰する当人から、それを嘘だと言われる。どんな気持ちだろうと思うが、クレフに思い当たる同等の持ち物はなかった。
彼らに壊されたのだ。
目の前に居る男たちが直接ではないだろう。しかしひとり一人が、その大きな力を形作る欠片には違いない。
クレフを狙って嫌がらせをしろと、ベアルも命じはしていない筈だ。
それでも一人で抱えるには余りあるほどの災難が降り注いだ。その責任を誰に求めるかとなれば、やはりベアルに。さらには聖職者となる。
「何を見え透いた虚言に惑わされているのだ! 聖女は大昔に死んだ! 女神が顕現するなど、そうそうあるものか! 何より私は知っている。その女は間違いなく、魔神王だ!」
首に当てられた刃の存在は忘れたのか。どんな指示にも従う忠実な神官たちを、ベアルは焚きつける。
相手は非力な男と、怪しげな言葉を並べる女が二人。どうにかしろと。
「う、うわあぁ!」
ベアルの直衛をしていた男が、殴りかかった。どうしたものかクレフは一瞬迷い、ベアルの顔をそちらに向けさせる。
男の顔にも迷いがあった。女神とか聖女とかよりも、クレフのほうが殴りやすいと判じたのかもしれない。
しかし届かない。アマルティアが指を弾くと、鋭く風が鳴った。それが離れた男の身体を突き飛ばす。
「うぬらが最初に、どうしてその道へ入ったかは知らん。じゃが今は、ベアルの説く世界に酔うておるな。儂を女神などと、方便に使うのは好きにすれば良い。が、理想だけで目の前を見ずでは己を滅ぼすぞ」
武闘神官たちは互いに顔を見合わせ、合間にベアルへも視線を向ける。
まだこの総大司教への畏敬は健在のようだが、アマルティアに太刀打ちするのは難しい。それにあと五歩ほどの位置で膝をついた、魔神たちの説得力がこの上ない。
「次は、うぬじゃ」
「オレ?」
殴られる順番がなぜか回ってきた。と思ってしまった。
そうではない。みなが嘘吐きという話だ。
「うぬ、聖職者が憎かろう。聖騎士やら。神に仕えるなどと妄言を吐く者が、汚らわしゅうてどうしようもないな」
「ああ……反吐が出るぜ」
――当たり前だ。
クレフの父を殺したのは、クレフ自身だ。けれどもそうなるしかない運命を用意したのは聖職者だ。
クレフが兄弟と、姉妹と思う子どもたちを殺したのは聖騎士だ。それを従えて街を滅ぼしたのは聖職者だ。
彼らは皆、教会に集う。啓示などと都合の悪いことは神のせいにし、結局は自分のやりたいようにするのが彼らだ。
「そんな奴らを憎む以外に、どうしろって言うんだ」
「分かる、とは言わん。うぬの憎しみは、うぬだけのものじゃ。儂は親を殺されたことも、理不尽に友を奪われたこともない。じゃから憎んで悪いなどとは、到底言えんよ」
当人なりに、言葉を選んでいるのがよく分かる。迂遠にでなく、思ったままを言うのはやはりミラだと思う。
「じゃがな。ちょっとだけ、儂の寝言を聞いてほしい。アガーテのことじゃ」
ミラはシャルのことを。シリンガと名乗る前の、アガーテのことを語った。
共に過ごした時間。人間の世界に戻った理由。裏切られたこと。
それからずっと、彼女が癒しの力を使う必要のない、平和な世界を求めて戦い続けたこと。
四百年。一人の人間が、一つのことを願い続けるには、途轍もなく長い。そうして疲れた彼女は、一人の男に安らぎを見つけた。
それがクレフの父だ。
「うぬの父御の持ち物。そう、その首飾りじゃ。それは儂が、アガーテにやったものよ。二人は婚姻の印として、それを交換した」
「じゃあ、シャルが持ってる木彫りの聖印は……」
「うぬの父が作った物じゃ」
「じゃあ、じゃあどうして」
「うん?」
「どうしてお前は……助けなかった!」
何を問いたいのか、察したのだろう。ミラは悲しげに目を閉じ、「すまん」と言った。その謝罪と表情は、クレフにも覚えがある。
だが問わずにおれない。願いを持つ者の言葉を、アマルティアは聞いていた。最後には断るとしても。
ならばシャルの。アガーテのことも知っていたのではないか。
ずっと苦しんで、何度も死にかけて。その夫も、子も、幸福とは正反対の人生だ。
「ずっと見てたのか」
「うむ。見ておった」
再び開かれた瞳に、灼熱の色は褪せない。転じたその顔は、今のクレフにないものだ。
「なんで、助けなかった」
「うぬをか?」
「違う! シャルをだ!」
また目が閉じられた。今度は沈痛さを持たず、笑っているようにも、考え込んでいるようにも見える。
それから三たび目を開けて、クレフを見つめる。それだけで焼き焦がされそうな、真剣な眼差しで。
「儂が願いを聞いておったのは、仕事としてじゃ。リプルルの決めごとでな、皆が交代で行う。それがリプルルの安定に繋がる」
恥ずかしそうに、ミラは頭を掻く。言いわけがましいと思っているのかもしれない。しかしだからと、言わないという選択肢はないようだ。
「これも決めごとで、願いを聞いてやるのは一つじゃ。じゃから、アガーテには何もしてやれんかった」
「それを今さらかよ」
「今さらじゃな。こちらの時間で言えば千年。それが終わって、ようやく会いに来れた。アガーテ、待たせてすまんの」
シャルは泣いていた。呼びかけられて、伏せていた顔を上げ、首を横に振る。そしてまた、泣いた。
事情は分かる。リプルルの決めごとがどんなものか知れないが、ミラがそう言うのならどうも出来なかったのだろう。
だが理解出来ることと感情は別だ。
納得出来ないという思いだけが残り、アマルティアとしての力が強大と感じれば感じるほどそれは募る。
聖職者へ向けるのと同じ。神と名のつくもの全てに抱く、唾棄の想いを。クレフは胸に燃え上がらせた。
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