4:魔神王と聖職者(4)

 建物の入り口を守るのは、二人の男。法服を着ているが、袖や裾の丈が短い。その手にある長い鉄棍には突起が付いていて、武闘神官だと一目で分かる。

 モールと呼ばれるその武器は、重装備の騎士を殴り倒すことが可能だ。しかし扱いが難しく、継続した訓練を彼らは欠かさない。


「これはシリンガ司祭。今回は早いお戻りでしたね」

「ええ。アマルティアのお導きでしょう」


 シャルが祝福の言葉をかけると、二人からも返しの祝福があった。うち一人が続けて声をかけ、シャルも心安げに答える。


猊下げいかはお出ででしょうか」

「お出でであらせられます」


 誰のことだか知らないが、えらく持ち上げるものだ、と。胸の内で舌打ちをする。

 大司教に対したよりも上の扱いとなると、この国にそんな人間は二人しか存在しない。その片方は国王で、それであれば陛下と言った筈だが。


「シリンガ司祭であれば案内も不要ですから、どうぞお通りください」


 これほど辺鄙な場所だというのに、まあまあ丈夫そうな両開きの扉。その片側が開けられた。

 礼を言いつつシャルが進み、クレフも当然に着いていく。

 クレフに向けられる、男たちの視線が気になる。門番が通行人から目を離さないのは、当然のことだ。だがそれとは違う何かが、首すじ辺りに厭らしく付き纏う。

 完全に通り過ぎて、後ろで閉まっていく扉の隙間に、フッと忍び笑いの気配があった。

 ――そうだ、お前らはそういう感じだ。


「砦だと言ったよな」

「正式名称ではありませんが、そのような役割りを持っていますので」


 走ってもすれ違える広い廊下を進んでいくうちに、様々な景色が見えた。

 建物の外には、魔神を想定しているらしい人形を置いた、訓練場。厳重な施錠と、専用の見張りが置かれた倉庫。

 建物の中には、数百人が寝起き出来るだけの大量の居室。

 それらは確かに、生き残った魔神を殲滅する為の前進施設として相応しい。けれども違和感があった。

 開けられた窓には、やはり丈夫そうな鎧戸が設けてある。しかし大きな街の宿屋にあるような物と、大差ない。

 だとするなら、余りにも貧弱ではないか。こんな建物など、あの魔神ならあっという間に破壊してしまう。そんな物が砦などと呼べるのか。


「砦にしては貧弱だと?」

「まあ、そうだな。そう思う」

「また教会が贅沢をしてと、クレフさんは嫌うかもしれませんが――ここは宝晶石ジェム香草ハーブを大量に用いて結界を張っています」


 奇跡の力を使うのに、聖職者は自身の気力を消費するそうだ。宝晶石や香草でその肩代わりが出来るという話は、聞いたことがあった。

 シャルの言うように、どちらも庶民には手の出ない高価な物だ。


「なるほど、戦争には銭がかかるっていうからな。必要なら仕方ねえかもな」


 逆にそうでもしなければ、どんな建物なら維持出来るかとなるのだろう。魔神戦争の折には、石造りの城壁とて簡単に崩されたのだ。

 ――違う、これじゃねえ。

 違和感が少しも拭われた気がしない。痒いと思って掻いたのに、爪がそこに当たっていない気分だ。


「たくさん居るんだな」

「そうですね。増減はありますが、いつも千人近く配置されているようです」

「そりゃすげえ」


 どうりで、すれ違う相手が途切れない。その誰もが、シャルに好意的な態度を示す。

 彼女と同年代に見える若い者には、同僚を越えた感情も見えるけれども。それはどうでも良いことだ。

 気になるのはやはり、クレフに向く視線。どこから見ても貧乏人の自分を、聖職者が蔑むのはいつものことだ。

 しかしここでは、どうも嘲り混じりの哀れみのようなものを感じる。大道芸の道化を演じたときと似ていた。


「ここは?」


 建物の真ん中辺りの階段を三階まで上って、二つ目の扉でシャルは足を止める。


「総大司教猊下にご挨拶をします」

「あぁ、総大司教ね」


 違和感は別にしても、やはり聖職者は碌でもない。シャルは何だか別のようにも思えていたが、やはり属性はそうなのだ。

 ――反吐が出そうだ。

 しかもその最上位と会わねばならないとは。むかつくとか嫌な気持ちとかを通り越して、本当に体調を悪くしそうな気がした。


「猊下、シリンガ=ブルガリスです」


 ノックをして、シャルが名乗る。シリンガというのは何度か聞いたけれども、それがフルネームのようだ。

 扉の向こうから、すぐに「入りたまえ」と返事もあった。

 よぼよぼの老人を想像していたのだが、声からするとそうでもない。若くもないが、力強い雰囲気がある。

 遠慮や気後れといったものを感じさせず、シャルは扉を開けた。市民が思うのとは別の意味で、上下差を感じるべき相手だろうに。


「やあ、シリンガ司祭。いつもご苦労だ」


 またここでも祝福の言葉が交わされて、どこにでもありそうな労いも口にされた。

 五人くらいでも使えそうな巨大なデスクに陣取るその男が、総大司教その人であるらしい。

 見た目の年齢は四十過ぎ。部屋の外で聞いたのと同じ声。それに似合った骨太の身体。もとは武闘神官だったのかもしれない。

 着ている法服と肩掛けは、この男だけ赤く染められている。アマルティアを象徴する色だ。


「ベアル総大司教猊下。お言葉をありがとうございます」


 シャルが答える間に、総大司教は合図を送った。護衛役だろう、室内に居た三人の武闘神官を外に出させる。


「さて早速だが、今回は彼かな」


 小さな壺を祭壇に置く。それがこの旅の目的と聞いている。

 だがそれにどうして、クレフが同行せねばならないのか。壺にでなく、自分に何か意味のあるような言い回しが気になってしまう。


「猊下。そのことですが、ご相談が」

「相談――何だろうか。その間、彼には休んでいてもらうかな?」

「そうしてもらおうと思います」


 外に出ていてくれと、シャルは目配せをした。何だそれはと眉を寄せながらも、頷くしかない。

 ベアルはやはり外に出したばかりの護衛を呼び、クレフに休憩場所を用意するよう言いつける。

 核心になると、また追い出されてしまう。閉ざされた総大司教の部屋が、黒い靄に覆われて見えた。

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