4:魔神王と聖職者(3)

 村からまた峠へ差しかかる辺りに、墓地がある。トクウで死んだ者は、よほどのことがなければそこへ葬られた。

 だが魔神戦争の後、はぐれ魔神によって殺された者は野ざらしとなった。

 それを思えば安息の場所をきちんと与えられているだけ、父親は良い方なのかもしれない。

 非道な相手に望まぬ死を与えられたのは、同じなのだから。

 ――いや実の子に殺されるほうがひでえか。


「ん、花――?」


 こんな山奥の村に、家名の入った墓などない。クレフの父親も、当人の名が刻まれているだけだ。

 その墓碑に、束ねた数本の花が手向けられていた。付近で摘んだ物ではあろうが、綺麗に纏められている。

 雑草もおおよそには抜いてあり、どう見てもそれらが行われて間がない。


「シャルが?」


 呟いたところで、答える者は居ない。踏み分け道を、見えぬ背中に向けて急いだ。

 道なき道を進んでいるとしたら、もう追いつけない。それは彼女が、こちらを撒こうとしているということだから。

 そうなればいくら足跡を辿っても、距離が開くばかりだ。体力で言えば、彼女も十分に化け物レベルと言っていい。


「シャル!」


 しかしそれからさほども進まず、法服の生成りが見えた。出発してから洗濯などはしていないので、随分と薄汚れているけれども。

 名を呼んで駆け寄る。

 するといつもと変わらぬ歩速が止まって、振り返った。顔に疲れが見えるのは、きっと体力の問題ではない。


「追い付いて良かった」

「クレフ――さん」


 返る言葉には、妙な間があった。嗚咽している、とも見えないが。

 じっとこちらに目を向けて、何を思っているのか。感情も見えなくて分からない。

 なぜ追ってきたのか。ミラはどうしたのか。向こうから聞いてくるものではないのか、と思ってしまう。


「ああ、そうだ。花を置いてくれたんだな、ありがとう」


 彼女の意図はともかく、話題として最も当たり障りがないと考えたのに。シャルはすぐに返事をしなかった。

 そもそも読めないタイプではあるが、いまは特にひどい。反応のないまま、まばたきが五度ほどもされてようやく口が開かれた。


「……さあ、何のことだか」


 この上なく明らかな、知らぬ振りだ。しかしこのように言われれば、もう問い直す言葉はなかった。

 墓地を見つけるところまでは偶然にしても、どうして父親の墓が分かったのか。それも答えないと、意思だけが伝わってくる。

 ――偏屈さは折り紙付きだしな。

 魔物の血痕が付いた法服で、武装もそのままの姿を咎める司教たちの視線。今さらにそんなものが思い出される。

 規則だの礼儀だのを建て前とする教会で、彼女は自身の戦う意思スタイルを貫いているのだ。


「ミラさんは」

「どこかに行っちまったよ。人間社会の見物だそうだ」


 目が伏せられ、また数拍の間が静かに流れる。やがてシャルは、元の方向に直って歩き始めた。

 どうやら、失せろとは言われないらしい。ふっと息を吐いて、クレフも続く。

 ――そっちは説明してくれるのかねぇ。

 魔神王だという相手に、ただならぬ想いがあるというのは分かる。ただしそれはこちらの想像で、彼女の胸の内は違うのかもしれない。

 聞いたところで、また三人で歩くのは難しいだろうが。


「あなたもどうして、わたしのところへ?」

「どうして? 雇い主はあんただからなぁ」


 大銀貨の詰まった袋をポンと叩く。

 結局これも、受け取ったきり使っていない。路銀だと聞いたのに、シャルが使わせないのだ。


「わたしはあなたの嫌う、聖職者ですよ。それにさっきは、こちらが置き去りにしました。あなたが逃げたなどと言う気はありませんでしたよ」

「あらら、そうだったのか。じゃあ今からでも、そうさせてもらうかね」


 シャルは聖職者だ。

 そこのところは、あえて追求しなかった。考え始めると、クレフ自身にもわけが分からなくなる。


「――今度はどうなるか、試してみれば良いでしょう?」

「ああ、おっかねぇや」


 気分が和らいだのか、おどけた風だった。だからそれに応じた返答をした。しかし彼女が振り返ることはなく、返事も笑い声の一つもない。

 二人はそのまま、黙々と歩き続ける。

 それから二日。倦怠期の夫婦のように、必要最低限の会話しかなかった。

 危険な魔物に対するときも、「右」とか、「後ろへ」とか。そんな単語だけが飛び交う。魔神を見かけなかったのは、幸いだった。


「こいつは……」


 森を抜けた高台から、その風景が広がっていた。何の説明もなく突然に見たものだから、しばらく言葉が出ない。

 足下には剥き出しの岩壁が急降下していた。その先へ、草木の姿が薄い赤茶色の岩山が、数え切れないほど立ち上がる。

 どれも頂上は平たく崩れ、大小の裂け目があちこちに刻まれている。あたかも巨大な獣が、爪で引っ掻いたように。


「察しの通り、ここが魔神の爪痕です」


 動こうとしないクレフを急かして、久しぶりに会話らしい言葉があった。

 動かないのでなく、圧倒されて動けなかったのではあるけれども。


「とりあえずの目的地までもうすぐです。日があるうちに行きましょう」


 視界に映る山を、谷を、川を、まだまだ見届けきれていない。いやさそれが完了するには、たっぷり三日ほどもかかりそうだが。

 そんなものを待ってはいられないと、シャルは行動で示す。さっさと崖沿いの道を進み始めて、また置いてけぼりにされるところだった。

 崖を降りるだけでも、それこそ日が落ちそうなほどに時間がかかる。ようやく下に着いても、まだどれほど歩くのか考えると目まいがしそうだ。

 だがそれは、無用の心配となった。もうすぐそこだとシャルの向かった先に、またクレフを驚かせる物が姿を見せる。

 それは木造ではあるものの、とても大きな建物だ。教会という雰囲気ではなく、似た物を探すと兵舎に思い当たる。


「ようこそ、殲滅の砦へ」


 シャルはこの建物を、そう紹介した。

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