記憶の章

クレフの炎(2)

 オレの親父オヤジは無口だった。でも仲間に乞われれば、猟具の上手い使い方や、一工夫を加える知恵を惜しみなく教えていた。

 オレには弓や罠の基本的な使い方を教えてくれただけだ。どんな獲物でも、どれだけ多く狩っても、褒めるってことをしない男だ。

 代わりに、その獲物で何日分の食糧になるか。どれだけの銭になるか。同じ時間で狩った親父の獲物と、どれだけの差があるかを教えてくれた。

 ――それなら親父よりもたくさん、うまい食糧を。それとも親父より多く稼げば、褒めてくれるのか?

 そう思って、とにかく仕留められればいいと考えていたのを改めた。いかに相手に気付かれず、いかに狙い通り矢を中てられるか、試行錯誤した。

 それで自然と気配を消す術を覚え、より遠くから狙えるようになった。

 十二歳になってすぐ、大きな猪を見つけた。大人が二人分ほどもある、とにかくでかい奴だ。

 猪は、肉も皮も牙も骨も捨てる所がない。値もそれなりに高いと教わっている。だから待った。狙っているのを悟られないように、一撃で倒せる場所にそいつが行くのを、ひたすら待った。

 ここだという場所に着いたときには、夜を明かしていた。低い位置から狙えるよう、段差のあるところへ。真正面にそいつが居て、オレの方を向いたときには、弓を引く以外に何も考えなかった。

 放った矢は地を這うように飛び、猪の喉元から心臓に向けて深く刺さった。矢羽が半ばまで埋まるほどだ。

 直後そいつは猛り狂って、突進してくる。そのとき初めて、退路も隠れ場所も考えていなかったことに気付いた。

 倒木も岩も薙ぎ払いながら、猪は走る。伝わってくる振動が怒りを表しているみたいで、どうも出来ずに顔を伏せてうずくまる。

 しかしいくら待っても、牙も蹄も襲って来ない。顔を上げると、手を伸ばせば届くくらいのところで横倒しになって暴れていた。

 激しく宙を掻く四本の脚も、段々と動かなくなっていく。頭が芯から冷えるころようやく止まって、オレは勝ったんだと分かった。

 ――これなら親父も、いい獲物だって言うに違いないぜ。

 しかしさすがに、一人では運べない。証拠に前脚だけを担いで戻った。

 村へ近づくにつれ、様子がおかしいことに気付いた。朝飯どきはとっくに過ぎてるのに、煙が上がっていた。それも尋常な量じゃなく。

 森を走り抜けると、井戸前の広場に人の集まっているのが見えた。そこまでの僅かな距離を走る間にも、信じられないような光景が目に映る。

 入り口や窓が破られて、ボロボロになった家。何軒も続けて建っていた筈の場所が、焼け落ちて瓦礫の山に。

 実はまだ夜は明けてなくて、夢を見ているんじゃないか。でもいくら頰を叩いても、覚めることはない。

 真ん中をぐるりと取り囲むように人垣が出来ていて、中央に大人の二倍ほどの柱が立てられていた。そこには誰かが縛り付けられていて、よく見ればオレの親父だ。

 後に聞いた話では、夜が明ける少し前に異変は起こったらしい。その辺りじゃ聞くこともない激しい馬蹄の音が重なって、山が崩れた音かと思ったという。

 飛び起きた住人が外を見ると、村の人数よりも多くの聖騎士が迫ってくる。それがあっという間に、村じゅうの家を襲って回ったのだ。

 嵐のような暴力が去ったあとには、イセロス会の聖職者が会派を移るように言って回ったそうだ。背後には抜身の剣を携えた聖騎士が居て、仕方なくみんなそれを受け入れた。

 ただ一人、親父を除いて。

 親父は猟の出来ない真冬でも、献金を欠かしたことがない。その一方でオレには、「免罪符なんて要らない。自分と家族が食う分を稼げれば、人間はそれでいい」と言う男だった。

 オレは親父の足下に駆け寄った。「いい獲物じゃないか」と、親父は初めて笑った。オレは初めて、親父の前で泣いた。

 すると脇に居た聖職者が、オレに声をかけてきた。


「それは君が狩ったのかね?」


 と聞くから、「そうだ」と返した。聖職者は気色の悪い笑い声を、喉の奥で鳴らして言う。


「君の父親は、今から火にかけられるところだ。しかし弓の腕前を披露してくれたら、取り止めにしよう」


 否も応もない、オレはすぐに親父を解放してくれるように頼んだ。しかしそいつは首を横に振る。


「それは君の腕前次第だよ」


 と。親父が首から下げていた、アリシア会の聖印を柱へ打ち付けるよう、聖騎士に告げた。

 持ち帰った前脚の長さ、十二個分。その距離から、親指大の聖印を射抜けと言われた。距離と的の大きさで言えば、普段なら何とかなる。

 しかし聖印が打ち付けられたのは、親父の頭のすぐ上。しかも親父の足は、オレの頭よりも上にある。地面に立って狙うと、聖印は親父の髪で隠れていた。

 すぐ傍に居る聖職者へ狙いを変えようと、何度考えたか。だがそんなことをしても意味がないのは、子どものオレにでも分かる。

 十分に時間を使って、狙いを定めようとした。しかし時が過ぎれば過ぎるほど鼓動が高鳴り、視界が歪んでいく。

 気持ちの悪い汗が流れ落ちて、足も震えだした気がして。余計なことに気が散るばかりだ。

 力を抜いて、人生で最初にして最後、神に祈った。

 ――オレに力を貸せとは言わない。今まで祈り続けた親父を、助けるくらいしてくれてもいいだろう。

 構え直すと、見える筈のない聖印の姿が全部見えた。それに狙いを定めると、さっきまでの焦る気持ちが嘘のように思えた。

 いける。いつものように弓を引いて、矢を放つ。


「お見事です。火をかけるのは取り止めましょう」


 さっきの聖職者がすぐ傍にやってきて、高く笑った。

 矢は聖印を射抜いた。ただし、親父の額を貫いた後に。 

 イセロス会の連中が去ったあと、猟師仲間だった奴らが親父を墓地に葬ってくれた。村の教会に居た筈のアリシア会の司祭が居なくなっているのも、そのとき知れた。

 オレが近くの町にある孤児院へ行くことになったのは、それからすぐのことだ。

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