2:はじまりと終わりの街(7)

 聖職者として。あるいは組織に属する者として。それとも善良な市民の一人として。筋道を通してミラを解放しようと言うシャルの態度は、正しいのだろう。

 だがそれでは叶わないこともある。そんな彼女に邪魔をさせない為に、クレフは彼女を待ったのだ。

 ――それが目的なら、待ったりせずにとっととやっちまえば良かったじゃねぇか。

 そう思ったのは、きっと正しい。これから不法に少女を助けると言えば、どうしても止めると答えたかもしれない。

 シャルを待たず、彼女が何も知らなければ、邪魔をされることもないのだ。

 ――準備に必要な時間ってのもあるんだよ。

 それも正しい。シャルがクレフを探し当てたのは、準備がちょうど終わったタイミングだ。

 だが本気で彼女を関わらせまいとするなら、やはりやりようはあった。

 ――そもそもオレは、適当なところで雲隠れするつもりだったんだ。それをいつまで一緒に居るつもりだ。

 憎むべき聖職者で、強引な手口で連れ出したシャル。どうしてクレフを対象にしたのか、それさえ分からない。

 たった今。途方に暮れた顔で着いてくる彼女を、自分がどうしたいのかも分からない。


「考えてもしょうがねぇ。とりあえず、あの娘さんを助けなきゃな」

「考え、ですか?」

「何でもねえ。準備は済んでるって話だ」


 鞭を打つのも疲れるだろうに、刑吏は休息をとらない。この娘の連れを突き出した者には報奨金を出す、などとも触れる。

 反応を見る兵士たちの視線に、平静を装って素知らぬ顔をし、その時が来るのを待った。


「そろそろか」

「何がです?」


 すすっ、と。まばらな人の影を縫うように、男が近付いてきた。目深にフードを被って、顔は見えない。

 その男はクレフの後ろ手に袋を渡し、またどこへともなく去っていく。

 やがて、聖堂の鐘が鳴った。一つ目の音がようやく消えようか、というころに二つ目がまたゆったりと鳴る。この後は日が暮れていくから、そろそろ用事をしまえという意味の、夕の鐘だ。

 最後の四つ目が鳴り終わるまでに、磔場には老若男女を問わぬ大勢が集まってきた。しかもまだまだ、その数は増え続ける。


「この方たちは――」

「ウルビエの北東はな、貧民街なんだよ。奴らはそこの住人だ」


 最後に身体を拭いたのはいつなのかという、すえた臭いと赤黒い皮膚。それが押し寄せる様は、兵士たちを思わず一歩下がらせるに十分だ。


「き、貴様ら! 何の為に集まっているか!」


 さも目的ありげに磔場へ入ってくるのを、ようやく何人かの兵士が押し止め始めた。


「仕事と一時金をくれるって聞いたから」

「なにぃ? 誰がそんなことを」

「立派な鎧を着た騎士さまだったな」


 俺も見た、私も聞いた。集まった者たちは我先に言い合い、戸惑う兵士たちを包み込む。

 兵士は互いに顔を見合わせ、そんな事実などないと確認しながらも、すぐには対処が出来ない。


「待て! 下がれ! そんな施しは――」

「それ、一時金だ受け取れ! 運が良けりゃ、金貨もあるぜ!」


 クレフは受け取った袋の中身を、空に向けて放った。磔場の反対からも、誰かが同じことをしている。


「金貨!」

「金貨だって!」


 言った通りに中身は大銀貨で、数枚の金貨も混ざっている。金貨一枚あれば、四人家族が何ヶ月も食うに困らない。

 集まった貧民たちはもちろん、たまたまそこに居た他の市民たちも、目の色を変えて銭を拾い始めた。


「金貨よ! 私、金貨を拾ったわ!」


 誰かがそんなことを言う度に、歓声がわっと上がる。金貨でなくとも、大銀貨を一掴みするだけで相当の収入なのだ。中には自らもしゃがみ込む兵士まで居る。


「これはクレフさんが?」

「そうだ。この混乱の中なら、ミラを助けられる」

「なるほど……弓を使うのですね」


 やり方に驚き、助けられると理解しても、納得はしていないとシャルの顔は語っていた。

 それでも邪魔をしないのなら構わない。兵士と貧民たちと市民とでごった返す真ん中から、ミラを救い出すだけだ。

 それには弓を使い、繋がれているロープを切るのが手っ取り早い。クレフの技量から言えば、問題なく可能な芸当だ。


「反吐が出るぜ……」


 だが、クレフはそうしない。

 特技だけあって、脳裏にはすぐにそのイメージが湧いてしまう。それを慌てて振り払い、震えのきそうな身体を殴りつけた。


「深夜だ。墓地で待ってる」


 そう言い残して、シャルを置き去りにした。うろうろと銭を探し回る貧民たちに紛れて、中央へ急ぐ。

 人混みで思う方向へ行くには、掏摸スリの技術が役に立つ。行く手に居る者の目を見て、次に動く向きを知るのだ。


「待たせたな」

「うぬの投げた銭で、頭を痛めたぞ」

「悪いな」


 ミラの居る周囲には、重点的に銭を撒いた。気の利いた兵士なら、混乱の中でも不自然な者を見咎めるかもしれないからだ。


「逃げても良いのか?」

「ああ、シャルも待ってる」

「ならばそうしよう」


 ロープを切ってやると、最も近くに居た刑吏がこちらへ来ようとしていた。


「貴様、仲間だな!」


 だが混乱はまだ収まっていない。人混みを泳ぐように抜けるクレフや、一度で通りまで跳ぶミラを追うことなど叶わない。


「逃げたぞ、追え!」


 比較的に外側へ居た兵士が追い縋る。クレフは手を振って、ミラを貧民街へといざなった。

 そこはウルビエでも最も古い街並みだ。狭い通りにあれこれと物が置かれて、なお狭い。その間を踊るように駆け抜ける。

 酒樽の残骸や、洗い物に使うたらいをわざとひっかけ、逃げた後ろに転がしていく。しかし一人が躓いても、別の兵士がすぐに追ってきた。

 体力勝負となれば、ミラはともかくクレフには辛い。相手は毎日の訓練をかかさない兵士なのだ。


「大丈夫か?」

「大丈夫じゃねえが、問題はねえ」


 クレフの返事は上ずって、ようやく声を発している。ミラの問いは走る姿と同様に、跳ねるようだった。

 三叉路や四叉路をくねくねと折れるうち、行く先の壁板が開いた。そこから出た手が、こちらへ来いと招いている。

 目配せで知らせるとミラも頷き、二人はそこへ飛び込んだ。


「追え! 逃がすな!」


 閉じた壁板の向こうを、数拍遅れて兵士の声が通り過ぎていく。どうやら撒くことに成功したらしい。


「やれやれ……」


 足を止めると、どっと疲れが込み上げてきた。息苦しさも、滞納した借金のごとく身体を責め立てる。


「おい」

「あ、ああ。助かったぜ」


 招いてくれた家人が声をかけて、苦しいながらも礼を言った。出来れば飲み物も恵んでほしいと思いながら。

 だが顔の半分を髭で隠した老人は、迷惑そうに反対の出口を指さした。

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