3:聖女は滅び腐敗蔓延る(2)

 この国にある教団も、元は一つだった。それが会派の争いと共に分かれ、背後にある国がそれぞれ大国と呼ばれる。

 対立する国が。双方に教団の最高責任者である、総大司教が居る。

 それが対立を難解化させた。

 その前には聖女が最高位であった。総大司教は、その下に作られた新たな階位だ。だからどちらが僭称せんしょうとも言えない。あえて言うなら、両方だろう。


「どっちが正しい。って話を突き詰めりゃ、殴り合うしかねえのさ」

「そうじゃのう。真実が分からん、どちらも正式でないと言うならな。白黒をつけようとすれば、その意見を潰すのが唯一の方法じゃ」


 どんな派閥争いも、時を経れば真意を失う。勝たなければ自らが滅する。となれば真実や理想など、何の価値もない。

 そうなったときに必要なのは、領地や財力だ。

 戦う人間とそれを養う金銭を持つ者は、より力を持つ。それに取り入る者、取り込む者。

 その構図が続けば続くほど、腐敗以外に辿る道筋は閉ざされる。


「やりたいことは自分で頑張れ、そうしたら手伝ってやる。って女神だからな、後ろめたくもならんわな」

「汝、討つべきを討て。欲するを求めよ。ただ横臥する者に果実は落ちぬ。です」


 希望に向かって努力すれば、それに応じた見返りがある。

 分かりやすい恩恵は、農民や職人にも支持された。それでいて支配者に都合の良い解釈も出来る。

 女神の教義はそうやって、広く深く浸透したのだ。


「アマルティアが? そう言ったのか」

「そうらしい」

「ええ、アガーテが――聞いたと。記録にも残っています」


 やはりつまらないのか、ミラは口元を歪ませる。もしかすると、口に入れたパンがまずかったのかもしれない。


「まあ否定もせんが。好きにやるなら、互いに干渉せねばいい。どちらが正しいとか、儂には面倒くさい」

「そう思う。だが腐った奴らってのは、そう考えねえんだよ」


 無意識だった。クレフの右手が、腹の辺りを撫でる。

 そこには首飾りがあった。鎖は長く、下着のさらに下へ提げているので、傍からは見えないが。


「何かあるのか?」

「ん? ……ああ」


 服の上から弄んでいることを、言われて気付いた。

 それが聞こうとした本題だ。

 あの日拾った、黒く汚れた金貨。鎖を引っ張り、出して見せる。


「なんじゃ、銭を飾り物にしておるのか。流行っておるのか?」

「違う。これは……」


 生まれた村のこと。焼かれた孤児院のこと。覚えている限り、残らず話した。

 その間ミラもシャルも、ひと言も声を発しなかった。


「ふん、なるほどの。しかしそれを、どうして儂になど話す。見ての通り、何も知らぬ童子わらしに過ぎんぞ」

「何でだろうな――」


 ミラは起き上がり、残っていた最後のパンを放って寄こした。労いや慰めだとしたら、安すぎるだろうと思う。

 だがこれを誰かに話したのは初めてだ。ミラの言う通り、どうして今だったのかたしかな説明は出来ない。

 しかも聖職者である、シャルまで居るのに。


「こんな物を持ってなきゃ、忘れちまいそうなんだよ。あれだけ悲しかったあいつらの死に顔が、もうあんまり思い出せねえんだ。親父がどんな顔で笑ったのか、分からねえんだよ」


 いつか復讐しようと誓った日は遠く、わけの分からない憎しみの残り滓だけがある。それでは信仰を見失った者たちと同じではないか。

 そう感じてしまうのを、違うと証明してくれるのがこの金貨だ。


「たぶん、お前が何も知らないからだ」

「おん?」

「女神がどうとか、銭が欲しいとか。そんな当たり前のことを言わねえ奴が居るとは思わなかった」


 出会ってからここまで、そんな風に感じてはいなかった。たった今、なぜかと考えた結果がそうだった。

 だからまた、よくよく考えれば違っているのかもしれない。


「そんな物はどうでも良いが、うまい食い物は別じゃぞ」

「そうだな。この話に、食い物が絡んでなくて良かった」

「うむ。しかしさっきのパンは、うまかった」


 ――そうか、うまかったのか。それをオレにくれたのか。

 たったそれだけのことが、嬉しかった。

 ミラを助け出すのに協力した盗賊ギルドの面々も、所詮は与えた銭で動いただけだ。

 見返りなく何かを与えてくれる者など、久しく出会っていない。


「後で代わりに、何か食わせるのじゃぞ」

「台なしだ」


 くくっ。と、失笑もいつ以来だろうか。

 ――オレはまだ、生きてるんだな。死んじまった奴らの為に、怒っていいんだな。


「ミラ、教えてくれないか」

「何じゃ」

「オレはいつか。どうやってかも分からねえが、聖職者どもに復讐する。それでいいと思うか?」


 問いつつ、ちらとシャルを盗み見る。さすがにこの場に居る聖職者を、意識しないではいられない。

 しかし彼女は、何も言わない。もちろん肯定もしないが、少なくとも止めようとする素振りはなかった。


「いいかは知らん。じゃがそうしたいなら、すれば良い。間違っておれば、どこかでしっぺ返しはある。それで良いのならな」

「ああ、いいさ」


 良いことが、もう一つあった。シャルもミラも、復讐を否定しなかったことだ。

 それはクレフのこれまでを否定することだから。もしもそうであれば、クレフはこの場から逃げ出してしまったに違いない。


「どうせ儂も暇じゃからな。しばらく付き合ってやっても良いしの」

「本当か? 日陰者になるぞ」

「知ったことか。儂はうぬを見ていれば、面白そうと思っただけじゃ」


 ミラは立ち上がった。どうやら会話に飽きたらしい。その背にはいつ取り戻したものか、少女の剣が負われている。

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