2:はじまりと終わりの街(2)
それ。と投げられた手首が足元に落ち、握っていたナイフが離れて跳ねる。気を失ったかに見せた騎士は、これを投げようとしていたようだ。
「ミラさん……」
「礼には及ばぬぞ。儂は、うぬらと同道しておるのじゃからな」
騎士の手首は、手甲ごと切られていた。それを為し得た剣が、ぶんと振るわれて鞘に戻る。
ミラの腕と同じ長さの刃は、僅かに反っている。クレフが持てば小剣くらいのそれを、少女はどこに持っていたのか。
「この剣か? ずっと背負っておったではないか」
問うと当たり前のように、そう答えた。たしかにミラの唯一の荷物として、棒状の布包みはあった。
しかしそれは、寝具や着替えなどであろうと黙殺していた。
――普通そんなものが剣なんて……いや、本当か? 本当に持ってたのか?
いくら記憶を遡っても、もう布包みを持ったミラの姿しか思い出せない。これまでさほどの意識を向けた覚えがないのに、なぜだか今は際立って思い出される。
「とりあえず、肉食の獣とか魔物が来たら面倒だ。移動するとしよう」
盗賊の仕事に、嘘はつきものだ。身分などを偽って仕事場へ侵入することがあるし、そのまま盗みの手段になることもある。
その嘘を吐くに当たって、最も重要な条件が一つ。
それは、自分の吐いた嘘を全て覚えておくこと。
どんなに昔、どんなに小さなごまかしだったとしても、自分を晒して吐いた嘘は覚えておかねばならない。
でなければ何が綻びとなって、今の嘘が破れるかも予測出来なくなる。その為の記憶が怪しいなどとは、初めての経験だった。
新たな夜営地を見つけるまで。ミラに出会ってからのまだ短い時間を、クレフは何度も思い返した。
「答えたくないことがあれば、無理に聞くつもりはありません。ミラさんがどこからいらっしゃったのか、お聞きしても?」
峠を一つ越え、腐葉土が堆積しているらしい土地に出た。乾季の今は水分が上がってくることもなく、どこも天然のベッドのようだった。それも特上の。
念の為に、火を焚いても街道から見えない場所を選んだ。腹が減ったと騒ぐミラの為に、シャルは鍋を火にかける。
「リプルル」
拾った石で作った炉に、ミラは熱のこもる視線を向けた。まるでその真っ赤な目が、鍋を温めているかのように。
大陸や国。町の名をいくら思い返しても、その名前に聞き覚えがなかった。
そういった情報は時として、王や教会が差し止める。同行する司祭に、疑問の視線を投げた。
「リプルルってのは、聞かねぇ名だが」
「わたしも知りません。どの辺りですか?」
表情を読む限り、シャルも本当に知らないらしい。ただの名前を隠す理由も、なかなか思いつかないが。
「どの辺りと言われてものう。儂にもよく分からん」
「遠いのですか」
ミラの顔は、様々なことを語る。とても正直で、腹が減れば悲しくなり、食事を作ると言えば爛々と輝いた。
それがこの質問には、とても困ったと言っている。隠し事があるのでなく、本当に分からないのだと。
「まあ儂も、気軽に行って帰るというのは難しいが」
「方向は、だいたいどっちなんだ?」
一人旅ならば地理は分からずとも、自分の歩いた方角くらいは分かるだろう。そう考えて聞いた。
するとミラは、強く、高く、口笛を吹く。
「なっ、なんだ?」
その音色が消えるころ、少女は天を仰いだ。夜空に星は溢れかえり、それを一つずつ舐めるように見入る。
星を眺めて運命を読む職業はあっても、地理を読むことは出来ない。北を示す星を探しているにしても、妙に長かった。
それになぜだか、くんくんと鼻も利かせている。
「今ならさしずめ、あちらかの」
ミラが指を向けたのは、およそ北東。一行が目指しているのと一致する方角だ。
そちらには古都、ウルビエがあった。
さらに北へ向かえば王都が。西にはいくつかの都市を挟んで、小国が林立する。
その立地によって古くから交易都市として栄え、王都が移動するまでは名実ともに国の中心だった。
それにちなんで、はじまりの街と呼ぶ者も多い。
「あちらですか……」
「ああ……」
ミラの答えに、シャルは唇を噛んだ。おそらく彼女と同じ感想を抱いて、クレフも咄嗟に言葉が出てこない。
ウルビエよりも東に、大陸はまだまだ続く。十を超える山脈と、二十を超える大国があった。
しかし。その国の名は、もう地図に載っていない。
ウルビエの北東には、魔神の爪痕がある。そこが魔神王と呼ばれる、魔神の首魁の居所で、破滅の始まった場所だ。
魔神はなぜか東へ東へと侵略を進め、大陸の端まで行き着いたという。その頃に行われたのが二十万の軍勢による討伐で、それにより魔神戦争は終結した。
だからウルビエを、終わりの街と呼ぶ者も居る。
リプルルとは、滅亡した土地に生き残った僅かな人々の、新たな町か国の名。クレフはそう理解した。
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