2:はじまりと終わりの街(3)

 九日をかけて、ようやくウルビエの市壁が見えた。往年の活気は失われたものの、この国を縦横に渡る者には重要な宿場町だ。聖地として有名なトロフにも、未だ負けぬ賑わいがある。


「また、増えていますね――」


 林を抜けて農地の見える街道を、シャルは沈痛な面持ちで歩く。

 クレフもこの辺りを、初めて歩くわけでない。しかし彼女の言う「増えた」かどうか、覚えていなかった。

 有り体に言えば、興味がない。


「そうかい?」


 街道と畦との間に蹴落とされた死体。溜池のほとりに、ゴミ捨て場のごとく積まれた死体。

 流行り病で捨てられたか、追い剥ぎにでも遭ったか。理由を思えばきりのない、弔う者のなかったむくろの山だ。


「焼くなり埋めるなり、するものではないのか?」

「そんな余裕のある奴は、こんなところをゆったり歩きゃしねえよ」

「なるほどのう。しかしそれにしては、どれも綺麗に剥かれておるな」


 まだ人相の分かるものから、白骨と化したものまで。どれにも共通するのは、持ち物がない。

 物入れの袋や装飾品はおろか、衣服も何一つだ。


「誰も親切でやってやしねぇ。自分で着るか売るかしたんだろうさ」

「すみません。少し時間をいただきます」


 立ち止まって、シャルは土に膝をつく。その前には、頭骨大の石が置いてある。表面には鎮魂の言葉と、円の中に炎が一つ描かれていた。アリシア会の聖印だ。

 ――暇な奴ってのは居るもんだ。

 文字も図柄も、うまい彫刻ではなかった。石もどこからか拾ってきたような物で、教会などが正規に置いた物ではなさそうだ。

 クレフとて軀が増えているのを、どうでもいいとは思わない。

 しかし、いつ死んだかも分からない、どこの誰かも知れない他人に心を砕く。それが出来るのは、自分が同じ運命を辿る心配をしなくて良いからだ。

 ――悪いが俺は、そういう立場にねえ。

 居並ぶ軀の暗い穴だけになった双眸を、順番に眺めてそう思った。


「そう睨みなさんな。いつオレも、あんたらの仲間になるか分かったもんじゃねえ」

「亡者をからかうでない。引き摺られるからの」


 ぽつり呟くと、ミラが窘める。すると動く筈のない軀たちが、皮肉に満ちた笑みを浮かべたように見えた。


「からかってやしねぇさ。いつか仲間外れにされねぇように、挨拶したまでだ」


 干し肉をひと口齧り、残りをミラの口に放り込む。祈りを終えたシャルに着いて歩くと、それが味と形をすっかりなくしたころに、門へと辿り着いた。


「随分と並んでおるのう。ここを通らねばならんのか?」


 門の通行待ちの列は、ずらりという言葉だけでは生易しい。あえて用いるならば、三度も四度も重ねて言うべきだろう。

 門衛も十人ほどで見ているが、いかんせん間に合っていない。魔神戦争の後、すぐまたイセロス会との戦闘が再開されて、治安の戻る暇がないのだ。


「そうですよ。でもすぐです」


 本来ここで、元居た町の出市証しゅっししょうを示し、訪れた目的を申告しなければならない。

 それで門衛が必要と思えば、持ち物検査などの詳しい審査もあり得る。

 だがシャルは行列を横目に通用門へと向かい、そこを守る騎士に首飾りを見せた。トロフを出るときに見せたのと同じ物だ。


女神に祈りをオーラ・ヴィーテ


 中年の騎士はすぐに恭しい態度で道を空け、若い騎士に門を開けるよう言った。


女神は見通すセア・ヴィーテ


 シャルもお礼の代わりに祝福の言葉を向けて、保証した通りすぐに門を通り抜けた。

 彼女に続くクレフとミラも、若干の奇異な視線を受けただけだ。むしろその意味では、行列に並ぶ商人からの「楽をしやがって」と妬む目が痛かった。


「おお、これは……」


 古都ウルビエの大通りに立ったミラは、居並ぶ店や屋台。その間を歩き回る物売り。それらに見合った、たくさんの人通りに見蕩れた。

 肉や野菜の焼ける匂い。新鮮な果実の爽やかな芳香。茶葉や穀物、香木などの深い蘭麝らんじゃ

 見目にも色とりどりな、織物やら毛皮やら。渾然一体となった様は、その日常が祭りのようだ。


「これは儂が全部食ってよいのか!」

「いや食えねぇだろ」


 少女の持つ大粒の宝石を一つ売れば、通りにある屋台どころか、酒場の全てまでも買い取ることが可能だろう。

 しかしそんなことをすれば、街じゅうの悪党から目を付けられてしまう。道々で銭の使い方を教えたつもりだったが、理解したかは定かでない。

 答える間にミラはふらふらと店先へ行き、鳥が丸ごと串焼きになった物を、あるだけ寄越せと言った。


「待て待て。そいつだけで腹を膨らませちゃ、勿体ないだろ?」

「うぬらは要らんのか?」


 ありがたくもミラは、クレフとシャルの分まで買おうとしたらしい。だが店先に焼き上げて用意してあるものは、八本ある。どうも計算が合わない。


「ほれ、遠慮なく食え」

「あ、ああ。悪いな」


 どうにか支払いは、銀貨だけを分けてやった袋から取り出していた。これだけならまあまあ、豪儀な振る舞いの少女として、屋台の店主の気に入られるだけですみそうだ。


「すみません、わたしは聖堂に行かなくては。それほど時間はかかりませんから、お店を回るのはそのあとに致しましょう」

「何か用事か。ならば行ってくるがいい」


 塩のよくきいた肉はうまかったが、シャルは受け取るのを断った。ミラの許可など必要ない筈だが、彼女は「ありがとうございます」と笑う。

 が、街の中心に向いた彼女を、少女は呼び止める。


「いや待て」

「どうしました?」

「聖堂とやらを儂も見たい。連れていってくれ」


 鳥の脂で頰を汚したミラの手に、串焼きはもう五本しかない。無邪気に笑う少女の頼みを、シャルは断らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る