3:聖女は滅び腐敗蔓延る(5)

 その場所。村の名は、トクウ。

 生き残った魔神を狩り続けるシャルも、まだ討伐に入ったことがないと言った。


「どうも魔神は、人の住む場所に留まる習性があるようなんです。それが家屋でも、ほら穴でも」

「働き疲れて隠居したか。ご苦労なことじゃのう」


 先頭はシャル。二番手にミラ。後ろがクレフ。声を落とし、慎重に村内へと踏み入った。

 腕の太さほどの丸太で組まれた、それなりに丈夫な柵で村は囲われている。そこから中央にある広場まで、通りはまっすぐに見通し良い。

 火事でもあったように、焼け落ちた家がいくつか放置されていた。

 だがそれは土を被り、焼け残った部分は腐っている。魔神戦争よりももっと前からそうだと、誰でも気付くだろう。

 それ以外の家や小屋に、目立った損害はない。手入れの良し悪しはあれど、よく見る山村の風景だ。

 クレフの目には、刺激の強すぎる光景だが。


「やはり人は居ないようです」


 踏み固められた通りはともかく、建物の周囲には丈の長い草が伸びている。あと数年も経てば、村は完全に飲み込まれるだろう。


「呼んでみるかの?」

「いえ、それは危険です。魔神が何体も潜んでいる可能性もありますから」


 生存者に呼びかける提案は却下された。危険というのはその通りであろうし、必要がない根拠も見える。


「む。誰か倒れておるぞ」

「えっ? ――いえあれは倒れているのでなく、亡くなっています」


 ミラが指を向けた先に、誰かの姿はたしかにあった。ただしほとんど白骨と化して、生死不明では到底ないが。


「このような場所で前後不覚に陥れば、同じことじゃろうが」

「それはまあ――」


 村の住人が生き残っているのなら、遺体を放置する筈がない。もしも人間が居たとして、碌でもない者ということだ。

 ――オレみたいな、な。


「うぬ、腹でも痛むのか」


 この村に入ると決まってから、クレフはまともに口を利いていない。それに胸の内でも、努めて何も考えないようにしていた。

 痛みだした古傷に耐えるがごとく、奥歯を噛み締めた偏屈顔でもある。

 ミラでなくとも、機嫌が悪いのかと考えて当然だ。


「いや……何でもねえ」


 広場の端には、共同の井戸と炉が据えられている。もちろんそこにも、最近使ったような形跡はない。

 中央に立っていた柱は、途中で折れていた。他の何と繋がっているでもない、ただ丸太を固定しただけの柱。

 いよいよそれは、見るに堪えなかった。

 平静を装おうとしても、腹の奥に肥溜めでも飼ったような怖気が膨らむ。

 咄嗟に口を押さえることさえ間に合わなかった。どうにか前を歩くミラに浴びせないよう、方向を変えるのに成功しただけだ。


「おえぇぇぇぇ……おえぇっ」

「クレフさん⁉️」

「うぬ、どうした」


 ここへ来るのだろうと、方角から予想はついていた。だから昨日も今日も、あまり物を食べていない。

 僅かな吐瀉物が足下を汚したあと、酸っぱい液体だけが止まらず上がってくる。

 我慢しようとか、いっそ吐ききろうとか、そんな猶予は一切ない。底の抜けた酒樽のように、中身がいつまでも外へ出ようとする。

 目眩がして、いつの間にか四つん這いになっていた。ひきつけたような息をどうにか抑えると、ようやく吐き気も引いてきたことに気付く。

 身体の痺れたような感覚も元に戻って、力強くも優しい感触が背中を擦り続けていた。


「シャル、もういい」

「お水、飲みますか?」


 自分の水袋を外して、シャルはクレフの口に突っ込んだ。今朝汲んだ清涼な水が、ねばねばとした口の中をすすぐ。

 それを飲み込むと、ひと息吐くことが出来た。その場に尻もちをついて、座り込む。


「お水、まだありますよ」


 眉を下げて、彼女はじっと覗きこんでくる。小さく首を横に振ると、水袋を置いて手を伸ばした。

 その手は首すじへ、手袋を外したばかりなのに僅かひやりとする。

 美しいとは思うが、女性としてどうこうという気持ちは全くない。聖職者だからだろうが、違う気もした。

 ――オレなんかを心配しているのか?

 いつもの凛然とした雰囲気は抑えられ、気遣いが温かいと思う。


「うぬ。もしかすると、ここがそうか」


 周囲に油断のない視線をばら撒きつつ、ミラは問うた。対象を指定する言葉が省略されているものの、ごまかしようはない。


「そうだ。ここはオレの生まれた村だ」


 少女は「そうか」とだけ答え、また警戒を強くした。何か感じているのなら、自分も座っている場合ではない。

 シャルは無言で、クレフの顔を拭く。同情と見える悲しげな目に、どう映れば良いのか分からない。

 悩んだ結果、「もういい」と顔を背ける。


「さて、一つ問うが」


 力みのない動作で、ミラは背中の剣を抜く。視線を追うと、黒い異形が見えた。ゆっくりと歩く、人の二倍ほどの体躯が。

 異形と言っても頭が一つ、両腕と両脚があるのは人と同じだ。ただそれは太く長く、拳など立ちながら地面を引き摺っている。

 顔の造作は牛か熊かという大作り。虚ろな表情に、ただ暗い穴が空いたような眼窩。ゆらゆらとうねる青白い炎が、眼球の代わりに燃えている。


「察するところ、あれがうぬらの言う魔神か」


 シャルの腕を借りて、どうにか立ち上がる。「その通り」と少女への返答も、二人揃った。

 メイスを構え、矢羽を整える間、ミラはもう一つ何か呟く。


「言われてみれば、魔神王と――そう呼んでおったな」


 だがそれは少女に珍しくとても静かで、クレフの耳に届かない。

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