5:深きところの大迷宮(3)
奥へ進むにつれ、目にする魔神の数は増えていった。どれも眼窩の炎は青く、ベアルの言う下位種ばかりだ。
戦うのは彼らに任せ、見ていることで気付いた。魔神の渾身の一撃にも、歩いている岩の道はびくともしない。堅く防御する為に人間の造った、城塞は崩されたのに。
それに敵となるのは、魔神だけではないこと。
「まただ。あの影に潜んで近付いてくる奴」
大迷宮の中は、ほんのりと明るい。そこに生まれる影は薄く、複数の方向に伸びる。時にその一つが色を濃くし、立体的な形を持って襲いかかった。
それは単独であったり、複数であったり。魔神と戦っているさなかであったり。
「
その呼び名だけならば、聞いたことがあった。唄の文句であったり、遠方からのうわさ話でだが。
「ここはたかだか数年しか経ってねえ筈だがな」
「わたしに言われましても」
ここまで仮眠も含めた休憩を何度もとって、一日以上を進んだ。
一行の前と後ろを固め、戦い続けている武闘神官たちには疲労が見える。クレフに向けて、にやにや笑う余裕がなくなる程度には。
対して、戦うなと明言されているクレフとシャルは全くだ。もう一人。神官たちの負傷を治癒するベアルも。
彼だけは笑みを絶やさず、今また自身へ飛びかかった潜む者に、強い光を浴びせ後退りさせた。
「魔神に比べりゃ大したことはねえが、ずっと気が抜けねえのはしんどいな」
「魔神王討伐の際、それで気力を消耗して命を落とした方も多いそうですよ」
長い道中をずっと黙って、角突き合わせたようにしているのは辛かった。かと言って修復するような仲も、元から存在しない。
しかしこんなときにも、情報共有をするのは問題あるまい。などと言いわけを下に話すと、批評家にでもなったような会話になってしまう。
「やあやあ、話が弾んでいるようだね」
「猊下が動かれている中、とんでもないことです」
魔神と潜む者と、合わせて八体がまた倒された。
さすがのベアルも、戦闘の終わった直後は息を切らす。それを労うように、シャルは両の拳を上下に胸へと付けた。
教会で決まっている、祈りの姿勢だ。
「気に病むことはないよ。シリンガ司祭にも、いつものように役目があるのだからね」
「……役目はもちろん。はい」
また役目。
――それなら総大司教なんて大層な身分で、こんな場所へ来たお前は何をする?
そう勘ぐる隣で、シャルは表情を翳らせた。歯切れの悪い返事も相まって、嫌な予感しかしない。
「それはともかく。そのままゆっくりしてくれたまえ。これが最後の休憩となるだろうからね」
「最後?」
問い返しはしたが、理由は察していた。すぐ先で、道は終わっている。他と変わらない岩山のひとつに、いくつもの道が繋がっていた。
きっとそこが目的地なのだ。
しかもすぐ近くだというのに、休憩が必要な理由も何かあるに違いない。
「今回はどうもおかしい――」
天井を見上げたベアルは、ゆっくりと辺りを見回しつつ視線を下ろした。何か探しているように、慎重な動きだ。
「そうですね。魔神の数が、いつにも増して多いように思います」
「そうなのだよ。それに何と言うか、元気がいい」
苦笑を作って言うそれは、手強い事実を彼なりに表現した結果のようだ。
茶目っ気でもなく、単に力が強いとか素早いとか、ひと言で括れなかったらしい。
「何か原因が?」
「誰か餌でもやったんじゃねえの」
そもそも正体の分からない魔神について、悩んだとて結論が出る筈もない。そう考えるクレフには、この会話がムダに思える。
だがベアルは、それこそ冗談でしか言っていない無責任な発言に反応を示した。
「餌――食べ物。活動の源があって、活性化している?」
こめかみに手を当ててブツブツと。独り言の割りに、声は大きい。それを聞いた武闘神官の一人が「まさか魔神王が」と、狼狽えた声を漏らした。
「魔神王の復活などありはしない。あれは私たちが滅ぼした。
うおお、と。
武闘神官たちは湧く。堂々と両腕を広げて宣言するベアルに。
何も知らぬ市民たちが、英雄譚を聞いて思うのとは違う。このベアルという男は。教会の頂点、総大司教たるこの男は。そうなって然るべき実力を持っている。
傷付いた神官を見極めて癒やし、そうならないよう指示を与え、それぞれの疲労度を見て配置を交代させた。ここまで人格的にはともかく、戦いに際しては完璧な采配と感じえた。
人の敵となる邪悪な者と戦うのも、聖職者の務め。教会はそうも謳っているのだ。
けれども魔神王の復活と聞くと、それとは別な想いもクレフには浮かぶ。シャルはどうなのかと見たが、視線はこちらを向かなかった。
「さて」
最後のと言うだけあって、仮眠に十分な時間が割かれた。各々が水分や軽い食事を摂り、ベアルのひと声で立ち上がる。
それになぜだかこの期に及んで、松明も用意された。
「入り口は目の前だよ」
岩の道を渡り終え、岩山の中腹辺りに辿り着いた。その辺りは平面と言って良いくらいになだらかで、五十歩ほども先へまた急な勾配がある。
「目の前って何も――」
どう見てもここまで歩いてきたのと同じ岩が、斜面になっているだけだ。しかしそこに進んだ武闘神官は、すうっと姿を消してしまう。
「なるほど……?」
見ての通り、ということだろう。特に解説はない。ベアルも同じく、斜面へ溶け込むように姿を消す。
噂に聞く魔法には、こんなことをしでかす術もあるという。だがそれもやはり噂だ。初めて見たクレフが怖れを抱くのは、当然と言えた。
――こ、こんなもん。ただこの向こうに行くってだけだろ。べ、ベアルの野郎もそう言ってたしな。
と思うだけで口に出さないのは、強がりだと自認しているからだ。武闘神官はともかく、シャルにそんな言葉を聞かせたくなかった。
「大丈夫ですよ」
後ろから言われて、えいやと飛び込んだ。
急かされるほど、もたついたのか。そんな筈はと舌打ちしかけて、代わりに息を呑む。
中は真っ暗だった。これこそ洞窟という闇を、松明が僅かばかり切り取っていた。
その光が届かぬ先。また別の光も見える。
見覚えのある青い炎が、十以上。
加えて二つ、赤い炎もそこにあった。
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