5:深きところの大迷宮(4)

「赤い、炎……」


 こちらが侵入したことは、当然に気付いている筈だ。それなのに赤だけでなく、青い炎も動かない。

 濃い闇の向こうに、未だ顔の輪郭さえも見えず。それが一層、不気味さを感じさせた。


「あれは魔神じゃなく、何かが燃えてるだけってことは――ねぇわな」

「上位種は下位種のように見境なくはないよ。相手がどんなものか、見定めてからだね」

「結局は襲ってくるのかよ」


 獣にも、出方を窺うのが時に居る。それは狩りの標的としてどうか、こちらの力量を探っているのだ。

 つまり、作戦を立てている。

 闇雲に攻撃してくるだけでも恐るべき魔神が、どうやって戦うか知恵を巡らすということだ。


「祭壇は彼らの向こうだ。突破せねばならないが、君は無事でいてもらわなくては困る。身の安全を第一に考えてくれたまえ」

「そいつはどうも」


 シャルともう一人、別の神官にクレフの護衛が指示された。ここまでのように、隊列の真ん中で見学を決め込むことは難しいらしい。


「やれやれ。君は随分と、面白い因果を辿ってきたらしい」

「何だと……?」


 因果。

 またそれを言うのか。

 しかもクレフのこれまでを、面白いとただそのひと言で。

 やはり昨夜、また何か話したのだろう。それを疑い、シャルを睨みつける。しかし彼女は、困ったという風に眉を寄せて首を横に振った。

 見透かしたような総大司教。何かを腹に抱えた女司祭。

 ――ここぞとオレを、蔑みやがって!

 たしかなことが分からずとも、もうそうとしか思えない。


「上位種に出くわすのは、稀なのだよ」


 滅多にない危険を呼び寄せてくれた、と。

 クレフの責任であるようにベアルは言った。だがその言い分とは裏腹に、表情には綻びが見える。

 もう我慢がならない。

 だが言い返そうにも、彼は意味の分からない言葉を続けて呟く。神聖語だ。


雷よトーレム


 石臼を挽くがごとき、這いずる声があった。

 言葉の意味はやはり分からず、けれどもベアルのものではない。気味の悪いその響きから、ほんの一瞬。遅れて闇が切り裂かれた。

 洞窟の奥からこちらへ、眩い稲妻が真横に走る。


光明の盾ルーケ・クライオス!」


 ベアルの呼んだ奇跡は、先頭に立つ武闘神官たちを光に包む。

 しかし間に合わない。まだ光が薄いところを稲妻が掻き切り、一人が半身を黒く焦がされた。

 無事な者たちはそれを横目に、怯んだ様子を見せない。決まっていたかのように、五人ほどが赤い炎へ。残りは蒼い炎へと、一人ずつ散らばっていく。


癒しの光コンゾラーム


 瀕死の神官が癒しを受け、滝のような汗と共に起き上がる。

 だがその間にも、上位魔神は稲妻を三度ほとばしらせた。しかもそれがベアルの業によって遮られると、また別の言葉を発する。


炎よフラン


 鉛の重さの声。呼び出されたのは、洞窟を下から上へ焼き焦がす爆炎。

 深く赤黒い腕に囚われた三人が、絶叫をあげて地面に転がる。明るく照らされた残りの二人が、クレフへの嘲笑など見る影もない闘志をみなぎらせた。

 ――なんだこれは。


炎よフラン


 また。

 下位魔神にかかっていた二人が、脚を炭に変えた。ベアルは未だ、炎に倒れた三人を助けられてはいない。

 魔神戦争の英雄が奇跡を呼ぶのに、紡ぐべき言葉は複雑で長い。

 対して上位魔神は、たったひと言。

 手数が違いすぎる。

 ――オレは何を見ている?


涼しき風ヴェント・クラージェ!」


 朗々と、高く凛然とした声が響いた。新たに巻き起こった爆炎を抑え込む、清流の色をした風はシャルの周囲から生まれる。

 それは次第に幅を広く、色を強くして、前に立つ武闘神官の全員を包み込む。


「今だ、後方から前へ!」


 いちいち抵抗されることに、上位魔神も戸惑ったのか。不可思議な現象を起こす声が途絶えた。

 その機にベアルは、温存しておいた神官たちを前に出させる。癒しを後回しにしてでも、その拳に光を与えた。


「フォフゥゥゥ!」


 上位魔神の咆哮。感情や、それに似たものは見えない。もちろん意図も分からない。だが結果だけは、疑いようもなく存在する。

 十体を超える下位魔神が、対面する神官を放って前進を始めた。

 ――これが。


「詰めてくる! 前方防御!」


 ベアルの直衛をしていた一人。下位魔神に無視をされた神官のうち数人。

 それらがベアルの目の前へ壁を作り、鋼の手甲を打ち鳴らした。荒ぶる獣を威嚇するように。

 それを見て、なのか。上位魔神も遂に動いた。下位魔神の後を追って、ゆっくりと前へ。

 人間の戦争で使われる陣形に、全身を隠す盾を用いた槍突撃がある。魔神の動きは、それを彷彿とさせた。

 ただし彼らに盾は必要がない。彼らの身体は、岩石ほども硬いのだ。

 同じく彼らに槍も必要がない。彼らの腕が、即ち槍なのだ。


「足止めを!」


 癒しが終わり、上位魔神へと再び五人が飛びかかる。合計で十の拳が赤き炎の魔神を打ち、弾き、殴りつけた。

 鋼の嵐が吹き荒れ、しかしそれでも魔神は意に介す気配がない。

 代わりにひとつ、また言葉を投げ捨てた。


氷よレイシア


 自らを盾として、英雄ベアルを守る。その意志を燃やす神官たち。壁となった彼らの肉体を、足下から伸びた氷が貫いた。

 誰も、倒れない。

 神官も魔神も互いに傷付きながら、まだ誰も倒れない。

 ――これが本当の、魔神の怖ろしさ……!

 何が起こっているのだか、考えるいとまもない。クレフは恐怖に膝を震わせた。

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