4:魔神王と聖職者(7)
「どこで――と言っても、書庫に行ったのですね。どうやってこの部屋から出たのやら」
「さあな」
因果の壺とは何か。何の目的で行っているのか。その辺りは記録になかった。
あったのは、それに関わるらしい人物がどこへ行ったとか、成果の良し悪しとか。そんな記載だけだ。
名を出したせいか、シャルの表情に厳しさが戻る。初めて出会ったときの、容赦なく獲物を捕る彼女だ。
「その女。ってのは、名前でそう思うだけだが。どうやら表沙汰に出来ない裏仕事を、専門にやってたらしい。だがある時期から、急に名前が出てこなくなる」
すっかり記録も読んだのだと、言外に示す。するとシャルは、ゆっくりと立ち上がった。
この話を秘匿する為に、彼女がクレフに牙を剥く可能性。それは半々くらいと想定した。ベアルと話していた様子からすると、もう少し分が良いかもと。
その賭けに負けた場合、どうしようもない。逃亡を試みはするが、仮にここから脱出しても無事にウルビエまで辿り着けるとは思えなかった。
――聖職者なんぞに、放っとけねえとか考えたのが運の尽きだ。
「司教ライラは、亡くなったと聞いています。わたしが聖職者になる前のことですから、それ以上には知りません」
「なるほど?」
きっとそれは事実なのだろう。シャルの若さを考えれば、不自然ではない。
けれどもそこに、隠したい何かはある筈だとも思う。部屋の隅に歩いて、窓もない壁を凝視する彼女を見ればなおさらだ。
「ライラは相当に強かったらしい。奇跡の業を使えて、武器にはメイスなんかを好んだってな」
「そうですね。ですがアマルティアは、戦闘に刃を用いるのを禁じています。そうなれば、メイスか
教会の中に、そういう裏工作をする為の集団が居るのではと考えていた。そうすれば似たような後釜が、すぐに用意されたことにも説明がつく。
ずっと不思議には思っていたのだ。聖職者だからと、頭の回る者だけではない。それなのにどうして、皆が皆ずる賢くなっていくのか。
悪事を企て。悪事を教え、演出する仕組みがあるとしたら。
――オレが復讐すべきは、そいつらってことだ。
「下手な詐欺師は語りすぎる、ってな」
普段の彼女なら、「そのようですね」くらいだったろう。それが何の言いわけか。口調にはいつになく、湿った熱が加わっていた。
指摘すると、小さく息を呑む音がした。
――押しどころを間違えるな。こんな話、滅多に聞く機会はねえ。
秘密に鎧われた、教会内部に切り込んでいる。その事実が、クレフの冷静さも失わせつつあった。
「分かりました、認めましょう」
ひとつ深呼吸があって、シャルはこちらを向いた。怒ったように、口許や頰、目の辺りへ、これでもかと力がこもっている。
「司教ライラと、わたしは同じ役目を担っています。しかしわたしは、彼女と会ったことなどありません。彼女が失敗した任務を、今度は成功させるのです」
嘘の気配はない。むしろそう言う自分自身にさえ、無理やり信じさせるような。危うい気迫を感じる。
「その任務ってのは?」
「この壺を祭壇に置くことです。そう申しましたし、そう書いてあったでしょう?」
鎖鎧と法衣がなければ、決して太くはないシャルの腰。そこへ布に包んで結わえられた、小さな壺。彼女はそれを、手で示す。
「ああ、そうだな。だがそうしたらどうなるのかは、聞いてねえし書いてなかった」
「因果を巡らせるのですよ」
どんなことにも原因があって、結果がある。アマルティアの教義でも、よく語られることだ。
だから、こうしたいと強く願う者に、女神は恩恵を与えるのだと。それが世界を回すのだと。
だが今の質問の答えにはなっていない。あまりに抽象的すぎる。
「じゃあそれが、因果の壺なんだな」
素性を特定したところで、クレフに得はない。割りでもすれば多少の気は晴れるかもしれないが、その程度だ。
しかし知っておかねばならなかった。
「そうだ、と答えても。そうではない、と答えても。わたしは嘘吐きになりませんね」
「ああ……?」
謎かけのような、思わせぶりな答え。
いかにも意味がありそうだが、実は全くないのかもしれない。それを突き止める為のふるいを、持っていなかった。
分かっていたことだ。教会の裏面も、シャルのことも、クレフは知らなさすぎる。
「お答え出来るのは、これくらいです。毒は入っていませんから、ゆっくり食事をされてください」
緊張を帯びた表情で、シャルは脇をすり抜けていく。こちらの返事も待たず、部屋の入り口へ逃げ出すようでもある。
「待て」
クレフも立ち上がって、手を掴んだ。革の手袋は着けていない。女性らしい小さな手だが、戦闘によって皮膚は硬い。
「なんでしょう」
「……ライラは。ライラは本当に死んだのか」
「彼女は死んだと聞かされました。証拠をと言われても困りますが、嘘ではありません」
立ち去ろうとした格好のまま、彼女は振り返らない。きっぱりと頑なに、そう言い切る。
「――やけに拘りますね。何か、気になることでも?」
ほんの数拍の間を空けて、続けて言った。それなのに、その声が纏う空気は冷えきった。
「書いてあったんだよ。その女が、孤児院に来たってな」
「そうですか……」
二十や三十を数えるほども、沈黙があった。
熟考の後、然るべき答えを聞かせてくれるのか。そう期待してクレフは待つ。
けれども次にシャルが行ったのは、掴んだクレフの手を強引に引き剥がすこと。それから足早に、扉を開けて部屋を出ること。
「明日の朝、深きところの大迷宮に入ります。寝床はまた案内させますから、ゆっくり休んでください」
背中越しに言い捨てて、シャルは小走りに去っていった。
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