記憶の章
クレフの炎(3)
親父を死なせてしまった後。オレが生きていくには、いくつかの選択肢があった。
いや、あった筈だ。
喩えば、そのまま一人で猟師として生きることは出来たと思う。
それとも、毎日のように親父と酒を酌み交わしていた猟師仲間。その手伝いだろうか。
自分ひとり食うだけの獲物さえ居れば、他にいい狩り場を探して、そこに住んでも良かった。
しかしそれ以前に、必要なものがあった。
夜を徹して、猪を狩ったオレに。
手ずから父親を殺めちまったオレに。
それは身体と心を休める時間だ。
矢を射る瞬間。その景色が何度も勝手に蘇ってくる。呆然とそれを眺めるんじゃなく、ただ静かに眠る時間が必要だった。
「親類などは居らんかったかな?」
だが叶わない。その日の昼過ぎには、村長が訪ねてきた。誰かが家に送ってくれて、入り口のところでへたり込んでいたオレに。
オレは、母親の名さえ知らなかった。親父の親や兄弟の話も、聞いたことがない。
「ならば、隣の町に預かってくれるところがあるそうな。そこへ行ってみるとしよう」
何を言っているのか、まだ理解が出来なかった。けれども家から出そうとしているのは分かった。
外に出たら、また何かしなければいけない。親父を殺したように、誰かを傷付けなければいけない。
何だかそんな風に思えて、オレは抵抗した。
その騒ぎを聞きつけた、親父の猟師仲間たちが駆けつける。「助かった」と思ったのに、そいつらは村長に従えと言った。
――何だよ。オレが、親父が、何をしたって言うんだよ。
「さあ、送ってやろう。村の景色を覚えておくといい」
村長は荷馬車でオレを連れ出した。片手でひょいと持てるくらいの荷物と一緒に、オレは荷台に乗せられた。
小さな村だ。出るまでの時間は、ほんの少し。その間に、村人のほとんどの姿を見たと思う。
でも誰一人として、オレと視線が合うことはなかった。
「さあよく来た。今日からは、ここが君の家だよ」
その町の孤児院は、イセロス会によって親を亡くした子が集められていると聞いた。
村長はオレの荷物を奪い取る。入れていた親父の貯めた銭を、世話をしている聖職者に渡す為だ。
それなりの金額はあった筈だが、そもそもそこは貧しい暮らしをしていた。
食事はふやけた豆がひと粒浮いているだけの、色のないスープ。衣服はあちこちほつれた、薄い生地のチュニック。眠るときには真冬でも、薄っぺらな布きれを身体に巻きつけた。
「ここに集ったからには、皆が兄弟で皆が姉妹。全てを分かち合い、互いに助け合うことを己の望みとして生きるのだ」
そんなことを子どもに言って、自分たちは暖炉のある部屋へ引きこもる。そういう聖職者たちにオレだけじゃなく、そこに居る子らはみんな自由を奪われた。
だがそれだけに、子どもたちは互いを本当の兄弟姉妹だと認め合えた。
思えばオレが子どもとして、他の子どもと話したり遊んだりしたのは、そこに居た間だけだ。
そうしている間は、親父のことも忘れられた。
――楽しかった。
「ない。ない!」
一年と少しが過ぎたころ。教会で保管していた大切な何かがなくなったと、騒ぎになった。
それがどんな物で、どこにあったのかさえオレたちは知らない。
しかし何だか、盗賊なんかに入られた痕跡はなく。内部の誰かが犯人だとなった。そしてそれは、新参のオレだと言う。
確かにたまには、教会の掃除をやらされたりした。だが仮にそこで盗んだとして、どこに隠し持てというのか。
「言え! 壺をどこへ隠した!」
――それはオレが知りたい。
水責めにされ、鞭で打たれ。焼いた鉄棒を押し当てられる。赤く焼けた炭を前に、顔を突っ込まれそうにもなった。
でも知らないものは答えようがない。
髪が焼け、頰がちりちりと音を立て始めて、オレは思い付いた。
大聖堂からと、聖職者が何人も訪れたことがある。男も女も複数居たし、顔なんか覚えてはいない。
だが内部の人間であり、外部の人間だ。そいつらじゃないかとオレは訴えた。
「あれは司教さまだ。何と恥知らずなことを言うのか!」
それが本心だったのかは分からない。もしかすると見当違いと分かっていても、犯人を仕立て上げる必要があったのか。
ともかくオレは、孤児院を追い出された。正真正銘、着ている服だけの姿で。
それから山にある蔓を使って罠を作り、獲物を狩った。それを売って弓を買うと、ひとつ峠を越えた小川のほとりに住んだ。
毎日獲物を狩って、何週間かに一度は孤児院へ行った。オレの弟や妹たちに、おいしい食い物をやる為だ。
そんな日々が半年か、もう少し続いただろうか。オレはまた、家族を失った。孤児院の焼ける、あの日が訪れた。
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