1:向かうは魔神の爪痕(7)

 神とやらが本当に居るのなら、聖職者などを侍らせて喜ぶ、とんでもない輩だ。

 と、クレフは双方を憎む。どちらも理不尽で身勝手で。弱い者を使い捨ての道具だと考えているに違いないと。

 いま目の前に立つ少女を見て、それが誤っていないとあらためて知った。

 少女は、美しかった。


「儂は問題ない。こちらこそ手間をかけさせたのう」


 甲斐甲斐しくもシャルが髪を梳くのを、少女は心地よさそうに受ける。小さな櫛に整えられていく柔らかな流れは、あでやかな夕陽の色をしていた。

 指で押せば埋まりそうな白い頰は、とめどなく繊細で、絹を張ったかと思うほど。高い鼻に、鮮やかな色の唇も印象深い。しかし最も目を引くのは、目だ。

 月とランタンの光に照らされてなお、闇を切り裂く眼光。それは灼熱の溶岩と同じ煌めきを持っていた。


「何じゃ、ボケっとしおって。儂は礼を言っておる。うぬも何ぞ言わんか」


 妙に年寄りくさい少女の喋り方も、正気を疑われてようやく気付く。人を騙すのには褒め言葉などいくらでも使うクレフも、素直に美しいなどと考えたことに赤面した。


「あ……ああ、俺はクレフ。お前さんは?」


 この芸術品を神が産んだのは不公平だ。などと危うく神の業を認めそうになったのも、ついでに否定した。

 名を聞いたのは無意識だ。問うてから、自分が何を言ったのか慌てて確かめた。だが互いを呼ぶのに、名を聞いて悪い道理はない。


「そうじゃな――ミラと呼んでくれ。ふむ、うぬは……」


 答えには数拍程度の間を必要とした。何を迷ったのか、あるいは捏造したのか。どちらにせよ、本名そのままではなさそうだ。

 男物の上衣シャツとベストに、下は巻布スカートという服装も何だかおかしい。

 ともかく二人が名乗って、順番はシャルということになる。

 そのルールに従って、ミラの視線が向けられた。けれども何か、少女の顔に別の感情が見える。

 何らか気付いたか思い出そうとしているのか、そんな風に。


「シャルと呼んでいただけますか?」

「――ほう、シャルか。なるほど分かった」


 何がなるほどで、何が分かったのか、さっぱり分からない。

 だが女人のそういう会話へ軽率に首を突っ込むのは怪我のもとだ。また機会を改めるとして、別のことを聞く。


「子どもが夜中に一人で、何をしてる? 家は近いのか」

「当てのない、気ままな一人旅の途中じゃ。食い物の店が居らんようになってな。腹が減って困ったのを、こ奴らに案内してもらうところじゃった」

「そりゃあこんな時分になればな」


 小さな村から出てきたとでも言うなら、都会の賑やかな通りに幻想を持つのは分かる。

 しかし地面に転がされてなお、この三人組に案内をしてもらっていたと。そう言うミラに、皮肉や冗談の空気は感じられない。


「分かってねぇみたいだから言っとくがな。こいつらの目当ては、最初からお前だ」

「なんと! それは気付かなんだ――巧妙な奴らじゃの」


 ただでさえ大きな瞳を見開き、ミラは驚愕の表情を浮かべた。

 ――子どもってのは、こんなに馬鹿なもんだったか?

 そう思うことさえ、自分がひねくれているせいかとクレフは悩む。


「しかし儂を狙ってとは、人間が食うのは獣の肉だけかと思っておった。儂のような姿でも食うのじゃな」

「はあ? そうじゃねえ。あいつらが狙ったのは、お前自身だ」

「じゃから、儂を食うのじゃろ?」


 そうではない。再度否定しつつも、なんと言ったものか困る。

 盗賊仲間が連れる擦れた子どもなら、言わずとも理解するものを。こうも素直に聞かれては、教えて良いものか戸惑ってしまう。


「ミラさんには心当たりはないのですか? 喩えば、どこかで金貨を見せたとか」

「銭か、持っておるぞ」


 ミラは腰に結んだ袋を外し、口を開いて見せる。

 好きなだけ見ろと両手で突き出す中は、クレフだけでなくシャルをも絶句させるに十分だった。

 膨れた中身は宝石と金貨、大銀貨も混ざっている。硬さの違う物を同じ袋に入れる非常識はさておくとして、異常なのは宝石だ。

 どれもクレフの親指の先よりも大きい。盗賊稼業を始めて随分と経つクレフにも、見たことも聞いたこともない大きさだ。


「どうした?」


 当の本人は、やはり何とも思っていないらしい。二人の様子に、首を傾げて問いかける。


「クレフさん。すぐに届けたほうが良いと思うのですが。ミラさんはどこかの王ぞ――」

「……ああ。連れていくわけにもいかねぇしな」


 どこかの国の王族。シャルの言いかけた予想に、半分ほど賛成だった。だが家出娘が宝物庫を漁ってきたのだとしても、こんな宝石があるものかと疑問が残る。

 何にせよ、連れていてはどんなトラブルがあるものか。

 だからと兵士に届けるのも賛成しかねた。けれども行き先を考えると、やはり連れ歩くのは無謀だ。

 守銭奴どもに金品を巻き上げられようと、またごろつきに襲われるよりはマシだろう。そう強引に自分を納得させた。


「うん? どこかへ行くのか。儂も連れていってくれ。儂はうぬらが気に入った」

「どこかって言うか、な」


 当初の予定通りに北門へ向かう。そこの衛長えいちょうは信頼の置ける人物だと、シャルは言う。

 聖職者に言われても、何の保証にもならない。とは返さず、ひと睨みするだけに留めたが。


女神は見通すセア・ヴィーテ


 普段の二倍ほども居る門衛にシャルは声をかけ、その中の一人に祝福の言葉を与える。


女神に祈りをオーラ・ヴィーテ


 年配の兵士は、返礼をして親しげな笑みを浮かべた。

 ミラが乱暴をされかけ、犯人は縛ってその場に置いてきた。そう事情を話すと、衛長はすぐにその場へ部下を向かわせる。


「ではその娘、しかとお預かりしましょう」

「お願い致します。わたしは女神の御名において、役目がありますれば」

「なんじゃ? ここで飯が食えるのか?」


 食事なら営舎にあると、名ばかりの小屋へミラは着いていく。その間に脇門を出るのも、念の為にとシャルが首飾りを見せただけで終わる。

 連れていけと言っていた割りに、あっさりとした別れだった。

 市壁の外には、いつまで放置されるか不安げな畑が広がる。貫く街道はなだらかな凹凸に応じて曲がり、先を夜の闇に消した。

 イセロス会の夜営は見えないが、斥候はうろついているかもしれない。油断は出来なかった。


「気になる様子ですね」


 町を囲む市壁が全て視界に収まるくらいまで歩いて、前を向いたままシャルは呟く。


「……別に。斥候に見つかったら面倒だからな」

「なるほど、斥候ですか」


 ようやく農地が途切れ、薄い茂みも見えるようになってきた。死角を警戒するのなら、ここから先ではある。だのに何度も振り返っていたのを、見られたようだ。

 この若い司祭は、何を勘違いしているのか。しかし追求してはこちらが見苦しい。そんな言いわけを胸にして黙り、また歩いた。

 その耳へ、風を切る音がにわかに届く。強風が巻いたのだとばかり考えたそれは、クレフの背中を舐めてシャルの前に躍り出た。

 悪戯好きの妖精を思わせる笑顔が、二人を捉える。


「ミラさん!」

「お前、なんで――いや、どうやって」


 何かあって、逃げ出したのかもしれない。そうも思ったが、衣服に乱れはなかった。

 それは置くとしても、門をどうやって抜けてきたのやら。


「あ奴ら、パンをくれたはいいが三つや四つでは足りん。もう出せんと言うのでな、追ってきた」

「追ってきたって……」

「うぬらも辛抱がないのう。儂が飯を食う間くらい、待てなんだか」


 美しくも可愛らしい見目に似合わず、ミラは呵呵と笑う。

 それを見ると、どうやら連れ戻したところで無意味なようだと悟るしかなかった。

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