1:向かうは魔神の爪痕(6)

 町から外へ出る正門は、東西南北に一つずつある。

 イセロス会が布陣している東門は避け、クレフたちは北門に向かった。酒場のないその辺りは、見回りの兵士以外に人の気配がなかった。来訪者目当ての露店にもだ。

 売り物も飾りも片付けてしまった屋台は、とても貧相に見える。夜は人も物も、その価値が透けて見えるとクレフは思う。


「教会の仕事なら、もっと真っ当な時間に出ればいいんじゃねぇのか?」


 同じように一人で歩いていれば、クレフはもう何度も尋問を受けていただろう。多少は風変わりでも、神官のシャルと同行しているからそれがない。


「それはクレフさんの為でもあるんですよ。門衛の方には、市外追放の上で慈善活動をさせると言いますから」

「オレの為か。ありがたくて泣けてくるね」


 どうにも胡散臭く、恩着せがましい。皮肉を言うにも、頰が引き攣った。

 門衛にそう言えば、あの騎士の殉教を妨げた男の処分は市民に知れ渡るだろう。市外追放に慈善活動というのも、順当だ。

 しかし。

 ――オレの為でも。ってことは、お前の都合もあるんじゃねえか。

 欺く為の言葉だけを偽りと言うのでない。錯誤を目的として真実を隠すのも同じだ。そしてそれは盗賊こそが得意とする話術。本来は神官が使う技術でなかろう。

 ただしクレフは、嘘吐きの聖職者にはお似合いだと思う。それと同時に、嘘を吐ききれていないシャルの真意を図りかねたが。


「さあ門を出ますよ。忘れ物はありませんか」


 もう一つカーブを抜ければ、門が見える。一歩前を歩くシャルは、やっとまつ毛が見えるくらい振り返った。

 歳はいくつだろうと思う。物腰で言えば三十や四十を過ぎていても不思議はない。だが見た目には、どう見ても十代だ。

 落ち着いた素振りが、見た目の若さで嫌味に変換されて見えてしまう。


「忘れるほど物を持っちゃいねぇ……」


 大人げないなと思いながら、皮肉で返さずにはいられない。自虐でもあることには気付かない振りまでして。

 だがそれを最後まで言う前に、クレフはあることに気付いた。言葉が途切れたことに、シャルは「何か?」と振り返る。


「面倒くせえのが居やがる」


 屋台の陰に、男が二人。その前には、男たちの腰ほどしか背丈のない子どもが一人。

 クレフの視線をシャルが辿ったときには、もう連れ立って裏路地へ入っていくところだった。その後ろを、見張りでもしていたらしい別の男が追う。


「こんな時間にあんな小さな子が……」

「ちょいと寄り道するぜ」


 走る。彼我の距離は、横の通りを三つ挟んでいた。あちらは歩いているだろうが、見失ってまた見つけるのは困難だ。

 同時にこの街の地図を脳裏に浮かべ、良からぬことをするならどこが良いか近場を検討した。

 男たちの消えた路地に辿り着いたが、姿は見えない。市壁が近いだけあって、細かで雑然とした小路が多すぎる。


「ふた手に――」

「こっちだ」


 分かれて探す提案を蹴り、勘の働くほうへと向かう。ボロ小屋が崩れて、誰も住んでいない区画があったのを思い出した。

 ――ああクソっ、ろくでもねぇ。

 幼い弟や妹たちのむごい死にざま。それが今そこで起こっている気がしてならない。

 だがそれはあり得ない、彼らは死んだのだ。また生き返って、また惨めな死にかたをすることはない。

 勝手に想起されたあの日のことを、理性で追い払う。が、なかなかうまくいかなかった。


「てめえら、何してやがる!」


 居た。シャルよりも、もう少し歳上と見える若い男たち。三人ともが、地面に這いつくばった子どもを見下ろしている。


「なんだ――?」


 長い髪。子どもは女の子であるらしい。

 それを鷲掴みにしている男が、最初にこちらを向いた。


「そんなガキを捕まえて……どうする気だぁっ!」


 吠えて突っ込む。迎え撃とうと腕を振りかぶる男の手前で横に跳んだ。男は体勢を崩し、低くなった顔面に回し蹴りを叩き込む。

 狙って当てた鼻頭が鈍い音を立て、その男は尻もちをついて倒れた。

 残りの二人は少女を放置し、ナイフを抜く。

 倒れた男も含めて三人とも、この一ヶ月で見たことがない。ならば盗賊ギルドとは関係がなく、仮に殺しても問題はないと判断できる。

 ――いや、問題はあるか。

 この町に居る以上は、こんな奴らでもアリシア会の同士となる。それを傷付けては同行している司祭が黙ってはいまい。

 考えつつ数歩を退ると、こちらが怯んだと見たのだろう。男たちは口角を上げてゆっくりと近寄ってきた。

 背に腹は代えられない。どうせ捕まった身だと、クレフも腰の後ろへ手を伸ばす。

 仕込んだナイフを抜いたと悟られぬよう、そっと柄を握り、距離が縮まったところで首を掻き切るのが最善だ。


「あの子はお前の連れか?」

「いや、ただのお節介さ」

「そうか、つまらんことで死んだな」


 一人が上から、もう一人は横から。意外と手慣れた風に、男たちはナイフを振る。

 だが遅い。反撃をすると見せかけたフェイントを入れ、上体を捻るだけでどちらも空を切った。防御や回避など考えていない素人の、無防備な首に冷たい刃を送り込む。

 しかし。一瞬早く、男たちの後ろを影が走った。それはもちろんシャルで、手にはメイスを握っている。


「そんなもんで殴ったら……」

「大丈夫、そっと当てただけです」


 クレフのナイフが届く前に、男たちは崩れ落ちた。彼女の言う「そっと当てたメイス」が、脚を折ったからだ。

 ――容赦ねぇな。

 少女を助け起こすシャルの背中に、そんな感想を抱かずにはいられない。自分も相手を殺そうとしていたのは、棚に上げてだが。


「災難だったな。怪我はないか?」


 立ち上がった少女の汚れを、シャルは丁寧に手拭いで拭いてやっていた。それが終わると、地面に置いていたランタンを持ち上げる。

 明かりが少女の顔にも落ちて、はっきりと見えた容貌にクレフは戦慄を覚えた。

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