爾今の章
一つとなりし三つの炎
三人が連れ立って、半年が過ぎた。
いかにミラが居ようとも、その素性を隠したまま教会や社会の仕組みを変えるのは難しい。それはシャルがこれまで、独力でどうにも出来なかったことが証明している。
「母さまにも出来ないことがあると、ようやく分かったわ――」
「気付くのが遅すぎねぇか?」
だから彼女が最初にそうしたのと同じく、方々を回って傷病に苦しむ人を救う。そこへ立ち返ることとなった。
ただその時と違うのは、シャルが聖職者ではなくなったこと。そうではなく治癒師として、奇跡の業を与えるのだ。その為に三人ともまた異なる偽名を使い、寂れた山村のそのまた外れに小さな家を構えた。
帰る場所は教会でなく、汚い小屋でもない。何週間か各地を回っては戻ってくる為に。三人で自分たちの為に造った家だ。
「よう働くのう」
ミラは元の少女の姿に戻った。あのときは一時的に力を得ていたが、本来の力は戻っていない。だからその姿で居るのが楽だと言った。
冬を前に獲物を多く仕留め、それを保存食にしたり薬草を干したり。精力的に動くクレフとシャルを眺め、日がな一日、テラスで草木を眺めている。ここ最近は、そんな毎日だ。
「お前こそ、よく飽きねえな」
「前に母さまと一緒だったときも、ずっとこんな調子だったわ」
女神ならぬリプルルの住人も、身体が鈍るというのはあるのか。それを心配して二度、狩りへ付きあわせたが、獣を見つけるのも仕留めるのも圧倒的な速さだ。段々と自分の存在意義を問うようになってしまい、ご遠慮願うこととした。
その辺り、さすがシャルは心得ているらしい。だらだらとするミラを、以前には見ることのなかった穏やかな笑みで見つめる。
――何だか二人とも駄目になりそうだな……。
「なに、冬の間だけじゃ。雪が降れば儂はともかく、うぬらが危ないでな。儂とて思いきり、あちこちで飛び回りたいのを我慢しておる。いやはや残念無念」
こちらの想いを察するのはすごいが、「明日になったら頑張る」などとのたまう人間が本当にそうした試しはない。きっとそれは、どこの世界にも通じる真理だ。
――まあ人間じゃねぇしな。
真面目に黙々と働き続けるミラというのも、想像してみれば気色が悪い。だからこれで良いのかもしれない。そう思うことにした。
「まあしかし、ベアルには感謝してもらわねばならん」
「なんでだよ」
「ベアルの子が石になっておったろう? あれは儂がしたことでない」
「ん、じゃあ誰が?」
「あの壺じゃろうな」
ある時ふと思い出したように、ミラが言った。疑う理由もなく、きっとそれは本当なのだろう。
ならばたしかにベアルは、ミラに感謝すべきだ。叶える者を呼び出して、彼の望みが叶ったとしても。あの空間で石像と化しては意味がない。
「そういや、借りを返さなくていいのか」
「借りじゃと?」
あのときに呼び出された碧い腕は、ミラに頼まれて渋々帰っていった。少女はその背中に、いつか顛末を教えると告げた。
「あんなもの、あやつの手間を省いてやったのじゃ。感謝されても良いくらいじゃ。じゃがまあ、また暇になってどうしようもなくなったら、話して聞かせに行ってやっても良いの。気が向いたらじゃが」
「酷えな」
冬を控えた森の夜。暖炉の前は、何とも言えぬ心地よさがある。ミラなどは毛布に絡みついて、そこから離れない。
かく言うクレフも、なんだかんだその辺りに居る。猟具の手入れには明かりと火の気が要る、という言いわけはあるものの。
「ベアルが私利私欲じゃなく、本当にあのとき言った通りの願いを持っていたとしたら……」
「あん? どうしたのじゃ」
彼は言った。世の中には、教義を理解することさえ出来ない人も多いと。それらにも一定の地位を与えられるならば、もしかして正しい行いだったのかもしれない。
あれからぼんやりと考えていたことを、口に出した。
「それはないわ」
「それはないの」
女二人が、声を揃える。
「本当にそう思うのなら、教団の中でも秘密にしていたりしない。因果を集めるのも、あんなあこぎなことをしない」
内情を知るシャルの言には、説得力があった。
「仮に奴の想いが真実そうじゃったとして、世の人間が救われると思うのか?」
ミラには問い返された。
救われる。とまで言えば大層だが、貧民街に居るような者たちを思えば喜ばしいのではないか。そう思う。
そのまま言うと、少女は何だか面白そうにケタケタと笑う。嘲っているのでないのは分かるが、「なんだよ」と不満くらいは言いたくなる。
「いや、すまん。うぬも急に丸くなったものよと思うてな」
「……まあ、な。教会に居る奴の顔とか、考えてることとか。オレはひと括りにしちまってた。いまは、一人で頑張ってる奴も居るかもしれないくらいは思う」
また女二人が、声を揃えて笑う。なんだか嬉しそうに。
「うぬがそう思うこと。実は儂が、ちょいと頭の中に細工をした」
子どもらしい、ふわっとした指が頭を指す。そんな馬鹿なと言いかけたが、ミラならばやって出来なくはないかもとも思う。
「というのは嘘じゃがな。そうだとしたら、うぬはもう自身を信じられまい? そんな人間が、どうやって幸福を感じられるというのか」
人による行い。ましてや女神とまで呼ばれる少女にも、完璧などない。それはミラが、多く見せてくれた。
「それに」
付け足したのはシャルだ。出来上がったシチューをテーブルに置いて、クレフの目の前へ腰を下ろす。
「どこかの集団。何か一つの考えに属さなければ、幸福がない。そんなものは、本当の幸福じゃないわ」
「うむ、誰もいつまでも同じではない。変わり、忘れるからこそ次がある。一度シチューを食えば、もう二度と腹が減らん。そんなことではつまらんからの」
言行一致。ミラはいつの間にやら匙を取り、シチューに手を伸ばしていた。シャルも大きな鍋近くの椅子に座り、いつも通りアマルティアへの祈りを捧げる。
「ああ、そうだな」
「何がそうなのじゃ?」
自身も変わったと、クレフは思う。忘れることを許せるようになった。
あのあと孤児院の跡へ行って、もう一度だけ「じゃあな」と別れを告げた。それからは兄弟や姉妹のことを、あまり考えなくなった。
無理に忘れようとするのでなく、自然にだ。
「シチューは何回でも食いたいって話だよ」
三人はずっとその家に住み続けた。数年後にクレフは村から妻を迎え、子も出来た。
その土地がトロフに代わり、新たな聖地と呼ばれるのは、遠い遠い未来の話だ。
― それは遠い炎の記憶 完結 ―
それは遠い炎の記憶 須能 雪羽 @yuki_t
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