7:それは遠い炎の行方(7)
「儂もうぬも、大きな流れの中にある。何かが違うというなら、淘汰されるだけのこと。それまでは好きに生きるが良いのじゃ」
そう言うと、ミラは口を噤んだ。
代わりに視線で、何か話せと示す。ミラにでなく、シャルにだ。
「ああっと……」
彼女はベアルの消えた場所を眺めていた。察するには、他に目を向ける場所がないだけだろうが。
何と声をかけたものか。何と呼べばいいのか。
これまで通りに、シャルか。せっかく知ったことだし、アガーテか。
それとも。
――そいつはなぁ……。
「……クレフさん」
考えていると、彼女のほうから声をかけた。振り返ることなく、あちらを向いたままで。
「なにか――何だ?」
「あなたが孤児院を追われる原因になった、盗難。あのとき失われたのが、因果喰いです」
「……ああ」
うすうすは、そんな気がしていた。どうしてなくなったのかも、何となく察しがついている。
「わたしは。ライラは。孤児院が焼かれたときにも、その場に居ました。因果喰いの正体に気付いた人たちを処分する為です」
「気付いた――じゃああの司祭たちは、因果喰いを壊しでもするつもりだったのか?」
だとしたら、その点だけは褒められる行いなのかもしれない。個人の欲に駆られることなく、あの危うい壺を消し去ろうとしたのなら。
「いえ。彼らは地位の向上と、現金を要求していました。それを断られ、イセロス会に移ろうとしていたと聞いています」
「やれやれだな」
争っている両派も、もう真実などどうでも良いのかもしれない。構成人数を増やし、より信者を増やすことが出来れば。
「あなたの村を焼いたのも、孤児院を焼いたのも、イセロス会ではなくアリシア会の人間です。あなたは持ち物だけで判断したようですけれどね」
「そうだな。そんな物、その気になればいくらでも作れるだろうし、戦場にいくらでも転がってる」
そうと知ってしまえば、仕掛けとも呼べない単純な話だ。結局のところクレフは、直接的に恨むべき相手の顔さえ知らない。
「わたしは幼いあなたを捨てて、夫に押し付けて、そんなことばかりしてきました。やるべきことがあったから。あなたからすれば、それなら産むなと言いたいでしょうね」
本当に、不器用なことだと思う。
自分を悪者にして、話を丸く治めようとする。しかしそれでは治まらないのだ。クレフにはクレフの、父親には父親の言い分がある。
そう考えて、どこかで聞いた話だと思った。どうやら自分は母親似らしいと、首の後ろが痒くなる。
「謝って謝りきれることではありません。何か言いたいことがあるなら言ってください。ないと言うなら、わたしは金輪際あなたの前に――」
「オレがそこに居たって、知らなかったんだろ? ここまで連れてきたのだって、途中までは知らなかった」
ためらいがちに、シャルは頷く。
ならば仕方がない。気付けと言うほうが無理な話だ。
「あんたはずっと戦って、どうしようもなくなって。ミラを、アマルティアを呼ぼうと思った。オレよりもまともな判断だよ」
「でも……」
「親父が言ってた。あの女を許してやれってな。親父の言い分とオレの意見は関係ねえが、偶然にも一致してる」
ぐっと息を飲む音がして、シャルはこちらへ向きを変えた。ゆっくりと。半回転に六歩を使って。
「……トマス?」
どう答えればいいだろう。ついさっき先送りになった悩みが、もう再来した。
答えは決まっている。これから先どこまでかは知らないが、しばらくは共に過ごすのだろうから。
「母さん――」
シャルの口許が、わなわなと震える。泣かれてはかなわない。言いたいことは終いまで、さっさと言わねば。
「なんて呼べねえよ。どう見たってあんた、オレより若いんだ」
「そう、ね……」
ひどく残念そうに。しかし納得もしたと、シャルは小さく頷く。何度も、何度も。
納得した。というよりも、自分にそう思い込ませようとしている。
「ただまあ、アレだ。母さんなんて単語も、なかなかオレも言いつけねえから。たまに発声練習くらいは聞いてもらうかもしれねえ」
金色の瞳が見張られる。驚きの中へ段々と憂いが膨張していき、耐えきれずにまぶたが閉じる。
また開かれたときには大粒の雫が三つ、続けざま流れ落ちた。
「ええ、練習にね。聞かせてもらいます」
目もとを手で拭うシャルに、手拭いを渡した。随分と汚れているが、他にないのだから仕方がない。
泣き笑いで「汚いわ」と言うシャルが涙を引っ込めると、見計らったようにミラが肩を叩いた。
「さて、うぬら。儂ら三人とも、まだ借りを返しておらんの」
「借り?」
「うぬの夫。うぬの仲間。儂は娘と友人。それぞれ傷付けられたであろうが」
何を言っているのか。もちろんそれはベアルのことで、借りというなら間違いはない。
けれども彼が去る際に、条件を話していたではないか。それをミラは、破るつもりか。
その通り聞くと「はて?」などという、わざとらしい言葉と素振りが返ってきた。
「儂が言ったのは、あの杖で帰っても良い。うぬら二人に、今後関わるな。それだけじゃ。それに奴へ直接、何をするでもないしの」
ペテン紛いのぎりぎりな正論であることは分かるが、具体的なところはまるで分からない。
シャルと二人で首をひねるのを、「ともかく行くぞ」と強引に促された。
どうであれ、この場へずっと居るわけにもいかない。武闘神官が消えたのと同じ、宙に空いた穴へ足を踏み入れる。
「ここは――」
辺りを窺おうとして、足を前に出しかけた。だが強い風がひとつ吹いて、びくっと身体を竦ませる。
三人が出てきたのは、どこか高い壁の上だ。ぐるりと街を囲む、市壁の最上に居るらしい。
しかも街の光景に覚えがあって、壁の外には軍勢同士が戦闘を行っているのが見えた。
「ここは、トロフか!?」
「どうもここへ繋げるのが簡単でな。奴の紅玉も、そのように細工した」
顎で示された先を見れば、たしかにベアルと武闘神官たちの姿が見えた。その周りには、完全武装をしたイセロス会の部隊が取り囲む。
いかに強力な精鋭である彼らも、その圧倒的な人数差はいかんともしがたいだろう。どうすることも出来ず、今にも突き殺されんばかりの状態だ。
『双方、争いをやめよ!』
ミラの声が、天から降り注ぐ。
いや実際にはすぐそこに居て、その口からも声が聞こえた。けれども同じ音が、頭上からも落ちてくる。
『儂はアマルティア。この名に覚えのある者は、すぐさま耳を傾けよ』
戦っている者たちが、すぐには手を止められない。しかし一人が止まれば、周囲も注意を向ける。段々とそれが広がり、口々に「何ごとだ!」「誰の声だ!」と騒ぎ始めた。
『儂はまだ、静かに聞けと言っておるのみ。それさえ聞けぬ不心得者には、相応の対処をするぞ』
騒ぎ立つ中に、敵の計略だという声もあった。それを黙らせる為か、それとも言った通り、いつまでも静まらなかったからか。
ミラは指を天に向け、軽く弾いた。パチリと乾いた音がして、一拍。
快晴の空から、稲妻が落ちた。
しかもそれは、ただ地面を砕いたのでない。筆を踊らせるように忙しく舞い、アマルティアと巨大な署名を草原に焼き付けた。
「女神が!」
「慈母神の降臨だ!」
両軍の指揮官から、すぐに停戦命令が飛ばされる。目の前に敵を迎えていた部隊は武器を引き、それぞれ一歩を退がる。
『聞け。くだらぬ争いはやめよ。それが為に、儂は友を失うところであった。そこに居る、総大司教ベアルの企みによってな』
市壁の上に兵士でない者が居るなど、まだ誰も気付いた様子はない。ましてやその中の一人が、この声を発しているなどとは。
すると当然、女神を探して彷徨うばかりだった人々の視線が一箇所へ集まる。
『この際じゃから言っておく。儂が娘と認めた人間の名は、アガーテ。儂が友と認めた人間の名は、クレフ。これより二人を、神の世界へと連れていく』
この言葉で、両派が争う根本の理由が消えた。アリシア会の者たちは歓声を上げ、イセロス会の者たちはその場に膝をつく。
『これよりアガーテの名は、敬愛の女神。クレフの名は、誠実の神。そう意味すると心得よ。ゆめゆめ、疎かにするでないぞ』
何を言い出すのか。
止める暇がある筈もない。そう思ったときには、両軍だけでなくトロフの住人たちも聞いている。
アリシア会の指揮官から、神託を聞き届けた旨が叫ばれた。ミラは満足げに「言ってやったぞ」と笑う。
「何だか、どっと疲れたぜ……」
またミラの力で、市壁から移動した。出てきたのは北門近くの、市壁の外だ。
その辺りには背丈の四倍ほどもある木が、何本も植えられている。その枝の先には紫色の小さな花が寄り添って咲き誇り、辺りに微かな甘い香りを振りまいた。
前に通ったときは夜であったから、気付かなかったのだろう。
「この花」
シャルは低い位置にある枝へ手を伸ばし、花を自分へと近付けた。それは心なしか、トクウで墓に手向けられたのと似た花だ。
「あいにくと植物は、食えるかどうかくらいしか知らねえんだが」
「そう? わたしは好きなの。小さな花が群れ集まって、まるで人間のよう」
クレフとシャルと。二人の名が神として、人々に記憶されてしまった。元から聖女と呼ばれた女性には、大した違いがないのだろうか。
花の香を嗅いで喜ぶとか、どういう心境なのやら。クレフには、そんな風にしか思えなかった。
けれども気付いた。枝を持つ彼女の手は、震えている。自身と自身を取り巻く歴史が、大きく動いたのだ。そうもなろう。
「イセロスの国は、大丈夫でしょうか……」
「そりゃあ――」
意義を失った教団。それによって支えられていた国。その行く末がどうなるか、まだ誰にも分からない。
「どうした、また何か気になるのか」
知ってか知らずか、ミラの呑気な声が響く。シャルの言った木でなく、反対にある農地の大麦を見ていたらしい。
「まあ色々とな」
「そうか、ならば見に行こう。どっちに行けば良いのじゃ?」
「そりゃ南だけどよ」
悩む必要など欠片もない。気になるなら、そこへ飛び込めばいい。女神の教えなどでなく、ミラのそれは単なる好奇心だ。
しかし、それでいいのかもしれない。少なくともミラが居れば、大抵のことはどうにかなるのだから。
誰かに頼ること。その練習台としては、これ以上にない相手だ。
「これがパンになるのじゃろう? このまま食うてもうまいのか?」
「うまくねえよ。それにまだ熟してもねえ」
広い畑の畦を、三人は歩き始めた。新たな火種を抱えた南の国へと。まだ青い大麦の香りを乗せた南風が、彼らの顔を打つ。
向かい風であっても、進む方向はミラが示してくれる。風に従う風見鶏でなく、風を巻き起こす炎そのものの、不思議な少女が。
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