6:因果の運び手(2)
金属が溶ける。それは普通に考えて、とんでもない高熱の筈だ。だがクレフの手に、熱は伝わってこない。むしろ少し冷えたような感覚さえある。
それなのに、シャルの垂らす黒い液体の触れたところから、大銀貨はどろどろに溶けていく。
それだけでも不気味な光景が、下で受け止めている壺からまた、得体の知れない音がする。
「おい……おい! 何なんだよこれは!」
持っている袋を、投げ捨ててしまいたい。
だが、それも憚られた。そのことをきっかけに、もっと良くない結果が訪れそうに思える。
跳ねた一滴が素肌に触れて、そこから腐食でもしそうだ。そう考えてしまうと、怖ろしくてどうしようもない。
傍目にはただ、垂らされた液体を受けているだけなのに。世を傾ける悪事に加担しているような、取り返しのつかない何かだとクレフには思えた。
「なるほどのう……これが儂を欺いたか。つくづく人間とは、くだらぬ物を作るものよ」
「ミラ?」
いつも弾むように話す少女が、眉根を寄せて淡々と言った。気に入らないと、汚いものを見るように、赤い瞳が壺を映す。
「うぬ、早まったのう。こんな物で、母に会えると思うてか」
それはシャルに向けられた言葉だ。
彼女が信じた何ごとかを見極める。と、少女は言った。それが誤りだったということらしい。
それでも女司祭は、唇を噛んで壺を傾け続けた。泣き出しそうに、目をしばたたかせながら。
「いや勘違いをするな。責めておるのではない。むしろ謝りたいのじゃ。それほど追い詰められるまで、放置しておったことをな」
「……はい」
シャルとミラは頷きあう。クレフには分からないところで、何らか通じ合ったようだ。
「さてさて、ベアルと言ったか」
「何かなお嬢さん」
「儂は言ったぞ。うぬらが妙な真似をせん限りは、邪魔をせんとな」
素より大きな少女の目が、かっと見開かれた。灼熱の赤を光らせて、離れたベアルを睨みつける。
ミラの言い分を解釈すれば、やはりいま為しているのは、危険な行いということだ。指摘されてなお、彼はゆったりと自然体を崩さない。しかし僅か、メイスを引き寄せる。
「どうやって集めたか知らんが、これは命の重みじゃな」
「ほう……?」
明らかに、ベアルの表情が変わった。
誰が何をしようと、胡散臭い笑みに見下した態度の、絶妙な
あれは驚きと感心だろうか。それはつまり、少女の指摘が正しいということだ。
「うぬらには見えんのじゃろうな」
ミラはクレフの持つ布袋に、手を突っ込んだ。もはや大銀貨の姿は一つもなく、黒い液体が溜まる中に。
けれども再び引き上げられた手には、大銀貨が一枚、摘まれている。醜く歪み、薄汚れた。よくあちこちを渡り歩いたと思わせる物だ。
「人の使う銭には、大概は糸が巻き付いておる。商いをする者に銭を渡し、それがまた別の者に渡る。そうやって人の因果を拾い集めるのは、まあ普通のことじゃ」
裏表を満遍なく眺めるように、ミラは大銀貨をもてあそぶ。対してベアルは武闘神官たちに、包囲を命じた。
「因果とはな、適当に巻き付いて適当に切れていく。しかし喩えば、人を殺めた報酬の銭。喩えば血を伴って奪われた銭。そういう糸は、太く切れにくい」
摘んでいた大銀貨が、親指で弾かれた。くるくると回って、元の袋の中にぽちゃりと落ちる。
「その銀貨には尋常でない量、普通でない太さの糸が巻き付いておる。因果の糸をぐるぐる、ぐるぐると、繭を拵えたようじゃ。これほどの忌まわしい因果、どこで集めた?」
その問いにベアルは「さあて?」と、両手を広げた。まともに相手をするつもりがないのは明白で、神官たちに「油断をするな」と言い含める。
「銀貨に巻き付く、因果を集める……」
口に出してみると、何か思い当たる気がした。知っている筈がないのに、何だか記憶の底がくすぐられる。
「命の重み。銀貨の重み――」
銭の重さを量り、選別する。そんな光景が、頭に浮かぶ。
あれは少女と共に、古都ウルビエで見たのだ。もちろん他で見たことも、何度だってある。
「献金か。同じ種類、同じ枚数を載せても、天秤の振れ方は毎回違う。あれは、あの天秤は。銭の重さじゃなく、因果の重さを量っていたのか!」
各地の教会で、献金は日曜日が来るたびに行われている。そうやって因果の多い物、少ない物を選別すれば、効率的に回収が可能だろう。
――いや、待て。それにしたって、普通の市民に渡したんじゃ、そんな酷いことにはならない。
「……ああ、そういうことか」
ようやく分かった。なぜシャルは、クレフが盗賊だと知っていたのか。トロフの町で、クレフと一緒に居た男の素性を知っていたのか。
「お前ら、盗賊ギルドとも繋がってやがるな」
「ふふっ」
笑った。堪えきれないという風に。顔面に貼り付けた工作物のようなベアルの笑みが、初めて本当に笑った。
吹き出してそれでは止まらず、ひとしきり「あはははは」と声を出して笑った。
「よく気付いたね。その壺は
因果を食う壺と、それに因果を注ぐ壺。そんなことをして、何になるというのか。知らずとも、不吉な因果を集める時点で碌なことでないのは想像がつく。
「シャル、注ぐのをやめろ!」
言うと同時に、袋を投げ捨てようとした。だがその手を、ミラが掴む。シャルもまた、傾けた壺を戻そうとはしない。
「ああ、そうだね。もう因果喰いは目を覚ましてしまった。半端にやめると、三人とも食われてしまうよ」
武闘神官に包囲させるだけで、近付いてはこない。それにもまた、なるほどと納得する。
「案ずるでない。儂がどうとでもしてやる」
今はただ、ミラの自信に頼るしかなさそうだった。
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