第48話 ある男の一生涯
ある男の長い人生が終わりを迎えようとしていた。
倒れてからまる二日近く経っても意識が戻らない男は、静かにベッドに横たわっている。
その男の横には彼の妻がベッドに腰掛けていて、窓から差し込んでくる晩秋の月明かりに煌めく彼の銀の髪を優しく触っている。
彼女は知っていた。彼の長い一生がもうすぐ終わりを迎えようとしている事を。
最後は二人だけで、という彼女の願いで、彼が倒れた事を聞いて集まってきた子供や孫、友人や治療師たちもすべて下がってもらい、次の間に彼の従者と彼女の侍女ら数人が控えているだけだった。
辛い事が多かった子供の頃。
騎士団に入り、邪竜と戦った事。
そして、彼と一緒に歩み始めた五十年前の事を。
♢
森を出て一旦帝都に帰ったフィンと私は、暫くフィンのお家にお世話になることになった。
私達がフィンの家に戻って暫くしてから、ソフィさん―――お母様が仕事から帰ってきた。
あんなに大見得を切って出ていったのに、僅か半日程で戻ってきてしまった私は恥ずかしくて顔から火を噴きそうだったけど、お母様は頭を下げる私達を見て微笑むと、
「あらあら、お帰りなさい」と、まるで遊び疲れて帰ってきた子供に言うように一言だけ言って、何事もなかったように世間話を始めた。
その後、私が作った夕食を三人で取りながら、フィンはこれからの予定をお母様に説明し終わると、私達の事、子供の頃の事を黙っていたことについてお母様を問い詰め始めた。
暫くはフィンの話に付き合っていたお母様は、根掘り葉掘り聞こうとするフィンにいい加減面倒くさくなったのか、話題を急に変えた。
「そうそう、家は狭いから今日はフィンの部屋で二人一緒に寝て頂戴!子供の頃の話はベッドの中でセシルちゃんに詳しく聞きなさいな。ふふふっ」
その一言で真っ赤になったフィンはピタッと黙り込み、私も今日だけで二度も顔から火を噴きそうになってしまった。
やっぱりフィンも私もお母様には敵わない。
結局、フィンのベッドは二人で寝るには狭すぎて、フィンは私にベッドを譲ってくれ、フィンは床にシーツを敷いて寝ることになった。
そして次の日から帝都を離れる為の準備を改めて始めた。
帝都を離れるためには、フィンにはやらなくてはならない事がある。爵位の件だ。
フィンが数日掛けて粘り強く交渉した結果、北の陸の調査という名目で帝都外に出ることを許可された。
調査の期限は決められてなくて、何年、何十年掛かっても良い事になったので、実質は帝都外に住むことを許可されたようなものだった。
そして、大回廊の南に広がる大森林も調査の拠点としてフィンが自由に使っても良い事になった。
大森林には魔物が出る事もあり、猟師が住むフロス村などの少数の村があるだけで、今までは実質放置状態だったので、帝国としても大森林も一緒に調査して貰えれば、程度に考えたのだろう。
ただ、条件として爵位の件だけは受ける事になった。
とは言っても、帝国が用意した二階層にある屋敷が名目上のフィンの家になった事と、年に数回は帝都に戻り、調査結果を皇帝に上奏することだけなので、それくらいだったらフィンには何も問題は無かった。
こうして、解散式から一か月後に叙勲式が行われ、フィンはフィン・エルスハイマー伯爵になったと同時に、邪竜を倒したエルスハイマー伯爵が北の陸の調査に向かうという事も帝国民に発表された。
私にもやらなければいけない事があった。
それは、ライナスの事だ。
前は逃げ出す様な形で帝都を去ろうとしたけど、今度はフィンと一緒なので禍根は残したくなかった。
フィンは話し合いに一緒に付いて来てくれると言ってくれたけど、これは私の問題だからフィンに迷惑はかけたくない。
予め手紙で約束を取り付け、バークリー男爵家に向かった。
話し合いはライナスと、二年前にライナスに家督を譲っていた先代のバークリー夫妻、そして私の四人で行われた。
私は、好きな人がいる事、その人と一緒に帝都を離れる事、ライナスの妻にはなれない事を伝え、約束を破ってしまう事について謝罪した。
ライナスは約束が違うと怒ったが、昔のような勢いはなかった。
多分、私の好きな人がフィンである事が分かっていたのだろう。ライナスの口から出た「あの男」は明らかにフィンを指していた。
それでも渋るライナスに、お父様である先代のバークリー男爵が「セシルには好きな相手が出来たんだ。妻を持つ身でいつまでもみっともない事を言うんじゃない」と仰られた事で、ライナスは「もうお前の事なんてどうでもいい!」と私に悪態をついて席を立って出ていった。
結局はフィンの名前と先代のバークリー男爵のお陰で、私は何も出来なかったかも知れないけど、一応私の問題も解決した。
その後はフィンと一緒に旅立ちの準備をした。
二頭立ての大きい馬車を二台用意し、騎士団から中古の移動式野戦用宿所を数軒買い取って、暫くは大森林での私達の家にするつもりだ。
ただ、そのまま持っていくことは出来ないので収納魔法を使える人を募集した所、騎士団を辞めた元兵士が数人来てくれる事になった。
そして嬉しい事に、フィンが北の陸の調査に向かう事を発表で聞いたジャックさんとニナさん、カミラさんも私達と一緒に来てくれる事が決まった。
「金もあるし、帝都にいても退屈だしな!それにフィンとまた一緒に旅が出来るならどこへでも行くぜ!」
「私もやる事ないしね。それにこのバカ一人だとフィンも大変でしょ?」
「私も誰にも気兼ねなく魔法をぶっ放したいので。それにまだ諦めてませんから!」
マルコさんは家庭の事情で今回は一緒に行けないとの事だったけど、いつか私達に会いに来てくれる事を伝えてきた。
フィンのお母様は北の陸の調査が終わり、生活する場所が出来てから迎えに来ることになった。
それからはお世話になった人たちへの挨拶などに回り、出発の前日を迎えた。
出発の前日、私とフィンは六階層の共同墓地へ来ていた。
私は私のお父様の墓前に花を手向け、明日フィンと一緒に帝都を発つ事を報告し、お別れの挨拶をした。
「もう一か所寄りたい所があるんだけどいい?」
そう言って歩き出したフィンについて行った先には、真新しく小さい墓石があった。
―――ヨルマ・カルフ
そう刻まれた墓石に花束を手向け、目を閉じてそのまま立ち尽くすフィン。
私はヨルマが息を引き取ったこと知らなかったのでビックリしたけど、フィンは誰かに聞いていたのだろう。
フィンは何を思ってヨルマに会いに来たのだろう。そして何を話したのだろう。
私には分からないし、フィンに聞くこともしない。
私も黙祷を捧げ、私達は墓地を後にした。
そして翌朝、晴れ渡った空の下でフィンのお母様に見送られて私達は出発した。
ジャックさんやカミラさんも自分で馬車を用意してそれぞれ人を雇った為、十五人の大所帯になって帝都を後にした。
帝都を出てすぐにあの森が見えてきた。
一か月前、一人で帝都を出た時の私には想像できない程、今の私は幸せだった。
「フィンー!あれ、あれ見て!」
森から飛び立つ鳥の群れが大空に羽ばたいていく。
まるで、今の私達の姿を見ているようで、私はそんな他愛のない事でも嬉しくなってフィンに声を掛けていた。
♢
それからの私達の人生は大変な事もあったけど幸せだった。
大森林に到着して大きな川沿いの丘陵地帯に拠点を決めると、カミラさんが魔法で辺り一帯をあっという間に焼き払ってくれたところに、収納魔法で移動式野戦用宿所を出してもらい、それぞれが好きな所に家を建てた。
ジャックさんは上級士官用の宿所を五軒も持ってきて、全部をつなげて建てるように無茶を言っていたっけ。
私は勿論フィンの隣に建ててもらった。
一か月程は大森林での生活の基盤を整える為に道を作ったり、川の水を引く水路を作ったりして、ある程度生活ができるようになった所で北の陸の調査に出発した。
大回廊を抜けた先の北の陸はとても寒くて乾燥していて、岩が転がる寂寥とした場所だったけど、何処までも続く抜けるような青空が印象的な場所だった。
そしてどんどん北に進むにつれて魔物は姿を現さなくなり、荒れ果てた寒い大地は緑の草原へと、そして帝都の近くの森や川のある風景と同じような景色に変わっていった。
見慣れた果物や動物も居て食料には困らなかったけど、見た事も無い動物や植物もたくさん見つかってとても興味深かった。
そして春なのにやけに蒸し暑い不思議な森を抜け、辿り着いた北の果てには何処までも続く海が広がっていた。
途中でジャックさんとニナさんが迷子になってしまう騒動もあったけど、その二ヶ月の旅は私にとって今でも忘れられない楽しい思い出の一つだ。
♢
私とフィンは北の陸から帰ってからお母様を帝都に迎えに行き、三人で戻ってから結婚式を行った。
結婚して二年後に双子の女の子、アルレットとリゼットが生まれ、さらに三年後には男の子が生まれてレオンスと名付けた。
三人とも私達と同じ綺麗な銀髪をしている。
私達が大森林で開拓した場所には、魔物からの警備という仕事で、騎士団で一緒だった仲間も少しづつ集まり出して、村から町へと徐々に大きくなっていった。
マルコさんも両親を連れてやってきたし、私の中隊長や小隊の仲間も来て住むようになった。
そして、北の陸や大森林で取れる珍しい鉱物や動植物のお陰で商人なども集まり出し、帝都への街道も整備され、私達が開拓してから二十年後には人口も十万人を超える都市になり、今では三十万人以上が住む大都市になった。
帝国としては、帝都の人口が減ってしまい困る事もあるようだけど、この町からも税金の一部を帝国に収めているので今の所は大きな問題になってはいない。
町が大きくなるにつれ、元騎士団の人間が集まり警備組織を作ったり、フィンを町の長として自治組織が出来たりしていった。
フィンはそういうのが苦手だったけど、皆の為ならと引き受ける事にした。
そしていつの間にか、エルスハイマー伯爵の町ということで町の名前もエルスハイマーとなっていた。
ジャックさんはニナさんと結婚して子供も出来、今も私達の隣に住んでいる。
隣といっても土地の余っている大森林なので、お互いの家が大きくなりすぎていて馬車で行く距離になってしまったけど。
私とニナさんは一緒に治療院の設立に力を入れた。
その甲斐あって今では町に八軒の治療院と帝都にも負けない腕のいい治療師もいる。
カミラさんも騎士団で同じ小隊だった男の子と結婚した。
何でも「彼は打たれ強く、趣味が合う」らしい。どんな趣味かは分からないけど。
今でも時々大森林の人気のない場所にぶらっと行っては、魔法を思う存分行使してストレス発散をしていると言っていた。
ここに来てからの五十年で一番悲しかった出来事は、お母様が二十年前に亡くなった時の事だ。
「二人のお陰で孫やひ孫に囲まれてゆっくり生活できて幸せよ」
というのが口癖になったお母様は、亡くなる前日も遊びに来たアルレットとリゼットの子供たち、お母様にとってはひ孫たちと楽しそうに遊んであげていたのに、翌朝侍女が起こしに行った際には既に息を引き取っていた。
おばあちゃん子だったアルレットとリゼットは勿論、私もお母様の身体に縋り、ここに来てから初めて号泣してしまった。
それでも苦しんだ様子もなく、安らかな顔で旅立ったお母様の様子に少しだけ救われた。
フィンは十年前に家督をレオンスに譲って、やっとゆっくりとした生活を送れるようになった。
「貴族が嫌で帝都から出たのに、結局貴族みたいな生活になってしまった」
それが口癖になっていたフィンは、レオンスに言って屋敷の敷地の外れに小さな家を建ててもらい、私も久しぶりにフィンと二人だけの生活を送れるようになった。
レオンスが私達の為に建ててくれた家は、小さいと言っても部屋数だけでも十二もあり、私達付の使用人や侍女だけでも十人もいるので、帝都の男爵並みの生活だ。
その家を、張り切るレオンスの案内で初めて見た時に、私とフィンはお互い顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
それからは年に一回、帝都に行って皇帝陛下に調査結果の上奏という名目の話相手を務めることが今のフィンの唯一の仕事になった。
まだ皇帝になったばかりの若い皇帝陛下は、フィンが行くと必ず邪竜戦の話をせがんでくるそうだ。
この五十年、あの戦いの話は一切口にしないフィンが、孫に近い年齢の皇帝陛下にどんな風にあの戦いについて話をしているのか気になった私は、一度フィンに聞いてみたけど、ニヤリと笑っただけで教えてくれなかった。
私の事を話してなければ良いのだけれど。
こうして振り返ると、お母様、子供や孫たち、そして大勢の友人に囲まれてのこの五十年は本当に幸せだった。
♢
そして昨日、その日は皇帝陛下に上奏するため帝都に行ったフィンが帰って来る日で、私は半月振りにフィンに会える事が嬉しくて、朝からソワソワしているのを侍女たちにからかわれたりしながらフィンの帰りを待っていた。
フィンが帰ってきたら食べてもらおうと、お母様から教わった野菜スープを自分で作るため厨房に向かおうとした時、一人の侍女がノックもせずに私の部屋に飛び込んできた。
「大奥様!大旦那様が馬車でお倒れになったとの連絡が・・・・・・」
その侍女はフィンが倒れた事を私に告げた。
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