第2話 始まりの日
爽やかな風が西の空を黄色く染め始めている晩春の太陽の熱を奪っていくのが、仕事で疲れた体に心地よい。
僕は一日の仕事を終えた後、家に寄ってから水桶を2つ持って共用井戸に向う坂道を下っていた。
「よっ!フィン」
僕の名前を呼んできた男は、いきなり背後から肩を組んできて、僕の目の前でプラプラと水桶をぶら下げて見せた。
肩まで伸ばした赤髪と、ヒョロっとした体形には似合わない厳つい顔で、ニカッと笑いかけてくる。名前はヨルマ・カルフ。
「フィン、お疲れ~」
ヨルマとは反対側から俺の前にピョコッと顔を出して満面の笑みで笑いかけてきたのは、エレナ・ロレンツィ。
少しピンク掛かった肌に大人っぽい整った顔立ち、黄色い日差しに照らされたセミロングの金髪が風に靡いてキラキラと輝いている。
「あぁ、二人ともお疲れ」
僕と同じように二人も水を汲みに来たようで、後ろに組んだエレナの手にも水桶がぶら下がっている。
「フィン、聞いてよ! ヨルマったら仕事が終わって疲れて帰ってきたばっかりの私にも水汲みさせるのよ!」
「バーカ!フィンなんて一人で2つも桶持ってるだろ? 一つだけでもありがたいと思え」
「フィンは一人で2つも持っているのに、どっかの誰かさんは、か弱い女の子をこき使って楽しようとしてる訳ね!」
僕を挟んで騒ぎ始めた二人を見ていると、仕事で疲れた体が軽くなっていく気がして自然と笑顔になってしまう。
二人は僕の幼馴染だ。
ヨルマとは僕の記憶にある九歳から今日までいつも一緒に遊んでいる。
そしてその頃、僕の家の隣に引っ越してきたエレナを含め三人で行動するようになった。
エレナともかれこれ六年の付き合いだ。
そしてヨルマとエレナは一緒に暮らしている。
とはいっても、二人が付き合っているとか夫婦とかではなく、三年前に母親を亡くし、身寄りのなくなったエレナをヨルマの父さんが引き取ったからだ。
♢
「二人とも、絶ぇっっっったい覗かないでよ!!」
共同井戸に着くと、女性用水浴び場に向うエレナが俺達に向かって大声をあげた。
女性用水浴び場といっても、共同井戸のある広場の隅に板で四角く囲われただけで、屋根もない2メートル四方の狭いスペースだ。
背の高い僕やヨルマがドアの前で軽くジャンプすれば中が丸見えなのは半年程前、当のエレナ本人で実証済みである。
「さぁーて、俺達も水浴びするか」
そういいながらヨルマは勢いよくシャツを脱ぐと、桶になみなみと入った水をいきなり僕に向けて浴びせてきた。
「バッ!止めろって!」
まだシャツを脱いでいなかった僕は勢いよく飛んでくる水をギリギリでかわし、シャツを脱ぎながら反撃しようと桶を手に取る。
仕事で疲れていても、ついついそんな遊びに夢中になってしまう僕たち二人はまだまだ子供気分が抜けない。
そんな風に一頻り水遊びを楽しんだ後、二人で地面に座りながらシャツを絞っていると、ヨルマが今日職場で聞いた話を口にした。
「そういえば・・・・・・聞いたか? 勇者候補の話」
その一言が僕たちの人生を大きく変える一言だったとは、この時の僕は思いもしなかった。
♢
「じゃあな、フィン、また明日な!エレナもあんま遅くなるなよ!」
そう言うとヨルマは結局、水のたっぷり入った桶を2つ持って一足先に帰っていく。
そしてヨルマが帰って行ったあと、僕とエレナはいつものように近くの花壇の縁に並んで腰掛け、少しおしゃべりをする。
1か月前に恋人となった僕たちは、それ以来こうして二人だけの僅かな時間を過ごすことが日課となっていた。
エレナが勤めるお店に来た面白いお客の事や、次の休みに何をするか、昨日見た夢の話など、殆どエレナが喋っているのを僕が頷くだけの時間が過ぎて行く。
西の空に沈む太陽を眺めながら、そんな他愛もないおしゃべりをする時間が僕は大好きだった。
おしゃべりをしてどの位経ったのだろうか、すでに太陽は西の空から姿を隠し、真っ赤な夕焼けが僕ら二人の上に広がっている。
春とはいえ、水浴びをした僕らの体には夕方の風は少し冷たく、エレナが風邪を引かないように僕たちも早めに家路につく。
「ありがとうフィン! また明日ね!」
家まで送ったエレナが僕にギュっと抱き着いてから、家に入るを見届けた後、自分の家に足を向ける。
一人になって少し足取りが重い気がしたのはさっきヨルマに聞いた話のせいだろう。
今まで考えもしなかった思いが僕の心に広がっていった。
♢
「ただいま・・・・・・」
家に帰った僕は小さく呟く。
僕は母さんと二人で暮らしているが、母さんはこの時間にはもう仕事にいっているため、真っ暗な家の中からは何の返事も帰ってこない。
宿屋で働いている母さんは、朝早く家を出て昼前に帰ってきて、夕方また仕事に行き夜帰ってくる生活をずっと続けて僕を育ててくれた。
父さんについてはよく知らない。
僕は九才の時に階段で転んで頭に大怪我をしたらしい。
”らしい”というのは、その時の事故で、それ以前の記憶を失くしてしまったからだ。
記憶をなくす前は覚えていたのかもしれないが、父さんのことを母さんに聞いてもあまり教えてくれないのでいつしか聞くことも無くなり、いつからかあまり気にならなくなっていた。記憶を失くしたことも大きいのだと思う。
片親についてはどうも思ったことはない。
この町”平民街の最下層である六階層”では片親は珍しくない。
この町に住む人は皆、何かしらの事情を抱えここまで落ちてきて、毎日を過ごすことで精一杯なのだ。
もしここで暮らす事が出来なくなれば、待っているのは帝国籍を剥奪された人間が暮らすスラム街行きか、帝都をでて行くしかないだろう。
♢
家に帰った僕は、母さんが仕事に行く前に作ってくれたスープと固いパンで食事を済ませ、歯を磨いてからベッドに潜り込むと、ヨルマに聞いた”勇者候補”のことを考てしまう。
つい最近あった女神様からのお告げによると、二年後に邪竜が復活すること。
邪竜を倒すための勇者、聖戦士、賢者、聖者になりえる候補者をすぐに集めること。
過去の文献から候補者は14才から16才までの若者でないとダメらしいこと。
帝都に住む14才から16才までの帝国民は勇者候補の試験を必ず受けること。
試験を受けなかった場合は処罰されること。
その話が本当なら15才の僕ら三人は試験を受けることになるだろうが、試験を受けるのは別にいい。
剣も魔法も使えない僕じゃ受からないだろうから。
それよりも気になってしまうのは、エレナかヨルマが受かってしまったら。
二人も僕と同じように剣も魔法も使えないから、ただの杞憂に終わるとは思っているけど、もしかしたらと思わずにはいられない。
(そうなれば今までのように三人で過ごす時間が終わるかもしれない)
窓から差し込む月明かりが部屋の中を明るく照らす中、そんな考えが頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。
そして、月が明るい夜には何故かいつも痛む頭の傷、そんな痛みを感じながらいつの間にか僕は眠ってしまっていた。
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