第44話 揺らぐ心

宿舎の自室に戻った私は法衣を脱いで着替えを終えると、ベッドの横に置いていた旅行鞄を手に取る。

お父様が使っていた旅行鞄にはすでに私物を詰め終えていた。

昨日中にお掃除も終わらせていて、入団した時と同じ状態になった自室を見渡してお礼を言うと、2年半お世話になった自室を後にする。


人気のない宿舎を出て事務局に向かい、宿舎の退室手続きを終えてそのまま真っすぐに騎士団の正門に向かい、幸い誰にも見られることなく正門を抜ける事が出来た私は一度振り返り、騎士団本部に向かって深々と頭を下げた。


(フィン、ごめんなさい・・・・・・)


私は入院中に帝都から去る事を決意していた。

帝都の外にもいくつか町や村があるので、いろいろ行ってみて気に入ったところに住もうと思っている。

帝都にいるとライナスが問題だった。

でもライナスは貴族、しかも当主なので簡単には帝都から出る事は出来ない。

帝都から出てしまえばライナスは追ってこられないだろう。

その為に解散式の日程が発表された直後から準備もしてあった。


旅行鞄を抱えて下の階層に続く階段まで来ると一旦足を止め、最後にもう一度振り返った。そして再び前を向いて階段を見下ろすと、意を決して足を進める。


お父様の手に引かれて泣きながら初めて下りた階段。

フィンと二人で食事や買い物に行くために笑いながら降りた階段。


いつも誰かと通った階段。でも今日は、今日からは一人だ。



セシルはそのまま四十分ほど階段を下り続けて五階層まで来ると、予め注文しておいた馬車を受け取る為に一軒の商店、馬車を専門に扱っている店に入る。

一頭引きの小さな馬車を受け取ったセシルは馬車に乗ると、その後も色々な店に寄っては旅に必要な品物を買い揃えてから、五階層を後にして馬車道をさらに下って行った。

十分程馬車を走らせ六階層まで下ってきたセシルは、車止めで馬車を止めて古い記憶を頼りに入り組んだ路地を歩きだした。


見覚えのある大きな花壇。

昔と同じ所に立っている古ぼけた看板。


街の雰囲気は当時のまま時が止まったようで、私を目的地まで導いてくれる。

そうして記憶に導かれ歩いていると、目的地である小さな家が見えてきた。


「着いた・・・・・・」


私が二年間暮らした小さな家と、少し間隔を空けて隣に並ぶフィンの家。

私が住んでいた家は、私が出ていった後すぐにエレナが引っ越してきたとヨルマが言っていたけど、今はだれも住んでいないらしく、所々壁が剥がれ落ちているが、私の記憶のままそこにあった。


私は帝都を出る前に最後にしておきたい事がある。

それはフィンのお母様に、子供の頃にお世話になったお礼を言う事と、フィンへの手紙を預かってもらう事。


時刻は午後一時ちょうど。

この時間ならお母様はまだ家に居るはずだ。

私はフィンの家の前に立つと、コンコンとドアをノックする。


「はぁーい。どなた?ちょっとお待ちくださーい」


中から懐かしい声が聞こえてきた。

緊張しながら少し待つと、ゆっくりとドアが開く。


「どなたか―――」


九年ぶりのフィンのお母様が、あの当時と全く変わらない優しい笑顔を覗かせた。


「あらっ!もしかして・・・・・・セシルちゃん?!」

「ご無沙汰しております。ソフィさん」


良かった!ソフィさんは私の事を覚えていてくれた。


「まぁまぁ~、大きくなって!!こんな所じゃあれだから早く中に入って!」


ソフィさんは私が返事をするより早く私の手を掴むと、そのまま私を家の中に引き入れた。


「ちょうど今、お茶の用意していたから座ってらっしゃい!」


私はソフィさんに言われるままイスに座ると、懐かしいフィンの家の中を見廻す。

イスもテーブルも、こちらに背を向けてお茶の用意をしてくれているソフィさんもすべてが当時のままだ。

フィンと一緒にここで食事をしたり竜の絵本を読んだ事を昨日の様に思い出すと、懐かしさで涙が出そうになる。


「突然お邪魔して申し訳ありません。あの―――」

「いいのよー、ここはセシルちゃんにとっても実家みたいなものだから」


ソフィさんは私の前に紅茶を置くと、向かいの席に座り、笑顔でじっと見つめてきた。


「それにしても本当に綺麗になったわねぇー。私の若い頃に少し似ているかも。ホホッ」

「そ、そんな・・・・・・」


言いたい事がいっぱいあって何から言おうか戸惑っていると、紅茶を飲みながら冗談を言っていたソフィさんは、少し真面目な顔をして紅茶を置くと、私に尋ねてきた。


「・・・・・・フィンと何かあったのかしら?」

「ッ!」


フィンは休暇中に必ず一回はここに帰ってきていたはず。

だから、フィンが私と友達になったことをお母様に話していてもおかしくはないけど。


「フィンは・・・・・・私の事を、何か?」

「いいえ、あの子、帰ってきても「あそこのおじさんはどうした。」だとか、「向かいのおばさんは元気か?」だとか、そんなことばっかりで騎士団での話は殆どしないもの。でも、セシルちゃんも騎士団に入ってフィンに会ったんでしょ?」

「どうして―――」

「分かるわよ。セシルちゃん、小っちゃな頃も悩みがあるときは今日みたいに寂しそうな笑顔をしていたもの。そんな顔で家に来たってことはフィンと何かあったから、でしょ?」

「・・・・・・」


(やっぱりお母様には敵わないな)


それでも、今日の一番の目的はお母様にお礼を言う事だ。

私はこの町を出てから騎士団に入ってフィンに会うまでの事を簡潔に話した。


「そうだったの・・・・・・あの時私にもう少し余裕があればセシルちゃんをそんな目に合わせなくて済んだのに・・・・・・ごめんなさいね」

「い、いいえ、あの時は我儘を言ってすみませんでした。全部私と父のせいですから」

「でもあの子が記憶を失くしていて驚いたでしょう?」

「はい。でも記憶を失くす前の事はみんな秘密しているってヨルマに言われて・・・・・・だから知らない振りをしていれば良かっただけなので」

「あらあら・・・・・・ヨルマ君はそんなことを。もしかしてフィンには今でも内緒に?」

「はい・・・・・・」

「あらまぁ、それじゃあセシルちゃんも辛かったでしょう」

「・・・・・・いえ」


ごめんなさい。本当は辛かった。

フィンが私の事を忘れている事よりも、フィンに嘘を―――知らない振りをしてだますのが辛かった。そして今、フィンに黙って帝都を去ろうとしていることも。


「セシルちゃん、ごめんなさいね。ヨルマ君は大袈裟に言ったみたいだけど、私は別に隠してるつもりは全然無かったの。ただ、本人が思い出せない事を周りがああだこうだと言っても仕方ないと思って言わなかっただけなのよ」

「そう、なんですか?」

「そうよぉー、今度会ったら全部言っちゃって良いわよ!頭の一つでも引っぱたけば思い出すかもしれないわよ」

「は、はい・・・・・・」


出来る事ならそうやって嘘をついていた事を謝って全部話したかった。けど、もうそれも出来ない。

ソフィさんは紅茶を一口飲むと話を続ける。


「まあ・・・・・・それはセシルちゃんに任せるわ。過去の事を知っていても知らなくても、今のあなた達にはあまり意味はないかも知れないしね」

「?」

「昔ね、フィンが生まれた時、私の夫、フィンの父親が私にこう言ったの。『いつかフィンの元にフィンと同じ銀色の髪の女の子が現れるだろう。一度出会ったら大丈夫だから。だから二人が出会ったら見守っていてくれないか』ってね」


そう言えば、昔ここを離れる時にソフィさんが「出会ったから大丈夫」というような事を言っていた気がする。


「私も言われた時は全然意味が分からなかったわ。でも、不思議な人だったけどいい加減なことを言ったり、嘘をつくような人じゃなかったから何となく覚えていたのね。だから初めてセシルちゃんに会った時「ああ、あの人が言ってたのはこの子なんだ」ってすぐに分かっちゃったの」


どういう事だろう。フィンのお父様が私とフィンの事を?


「はい!私の話はここまで!それで?セシルちゃんは?」


この話はそこまでと言うように、ソフィさんは胸の前でパン!と手を叩くと、私が尋ねてきた理由を聞いてきた。

私は今日の目的を、ソフィさんにお礼を言う為に改めて姿勢を正した。


「あ、あの、私は事情があって暫く帝都を離れなければならなくて・・・・・・それで、帝都を離れる前にソフィさんにお礼をしたくて伺ったんです」

「お礼?」

「ここに越してきた時、何も出来なかった私に色々教えて頂き、色々ご迷惑もお掛けして・・・・・・いろいろ・・・・・・優しくしてくれてありがとうございました」


突然お母様が居なくなり、お父様も忙しくて殆ど家にいなくて、寂しくて辛くて毎日泣いていた私が何とかやっていけたのは、いつも優しく接してくれたフィンのお母様とフィンのお陰だ。


本当はもっと言いたい事があったけど、じっと話を聞いているソフィさんに見つめられると、それ以上言葉が出なくなってしまった。

その理由は自分でも分かっている。


私が今、本当に話したい事が言えないから。


「いいのよ、そんな事。私も娘がいなかったから、セシルちゃんのこと本当の娘のように可愛くて・・・・・・あたしこそお礼を言わせてちょうだい」

「ソフィさん・・・・・・」


そんな事を言ってくれたソフィさん。

ただ頭を下げる事しか出来ない私に、少し間をおいてソフィさんが続ける。


「セシルちゃん、今日の用事はそれだけ?」

「は、あ、あと・・・・・・」


駄目だ、ソフィさんには私の思っている事なんて全てお見通しなのかもしれない。

このままだと何もかも見透かされそうだと、私はもう一つのお願いに話を替える。


「あと、フィンにこの手紙を」


私は一通の封書を懐から取り出して、ソフィさんの前に置いた。

黙って居なくなる事への謝罪と今までのお礼、そしてお別れの言葉を綴った短い手紙。

ソフィさんは少しその封書に視線を落とした後すぐに視線を戻すと、私に微笑みかけてくる。


「あ、あの、急いでいたので・・・・・・フィンに挨拶が出来なくて。お渡し頂けますか?」


出来なかったんじゃない、しなかったんだ。

私は、娘のように思っていると言ってくれたソフィさんにも嘘をついてしまう。


「ふぅ・・・・・・」


そのまま暫く私を見つめていたソフィさんは小さく息を吐き、


「・・・・・・いいわ。事情は分からないけれど、あなたがそう決めたのだったら。この手紙は預かっておくわね」


やっぱりソフィさんは全て分かっているのだろう。


「す、すみません。よろしくお願いします。それじゃあ、これで」


もう遅いかも知れないけど、私はこれ以上余計な事を言ってしまわないように慌てて席を立ってドアに向かう。


「突然すみませんでした。今までありがとうございました」


ドアの前まで来た私が最後にもう一度お礼を言った時、ソフィさんが私を優しく抱きしめてきた。


「セシルちゃん、私はね、あの人の言ったことは今でも全部信じているの。だからあなた達の事は全然心配してないわ。何度離れてもあなたとフィンの気持ちは一緒でしょ?」

「!」


私を抱きしめるソフィさんの手は、この町を離れたあの時と同じように温かくて、いつの間にか泣いていた私の頭を優しく撫でてくれる。


「体には気を付けなさい。......それじゃあ!」


昔と同じように微笑みながら見送ってくれるソフィさんを後にして、私は来た道を戻りながら、今更どうしたらいいのか分からなくなってしまった。


―――私のせいでこれ以上フィンを傷つけないように自分で決めたルール。

―――フィンの為に何でもすること。

最後くらいはそれを守りたいと此処まで来た。


―――私の気持ち。

それは初めから今も変わらない。


―――フィンの気持ち。

私が黙って居なくなったことを知ったらフィンは怒るかな。

何とも思わないかな。

それとも―――悲しむかな。


馬車まで戻った私は御者台に座ると、帝都の外に向けてゆっくりと馬車を出す。

ソフィさんの言葉を頭の中で繰り返す度に揺らぐ心を押さえつけて、帝都の門をくぐり抜けた。


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