第45話 大きな木の洞で①

時刻は午後二時半。


風が無いせいか、雲一つない空に輝く真冬の太陽が温かい。

そんな気持ちの良い青空とは裏腹に、セシルの乗った馬車の速度は上がらない。


帝都を出たセシルは取りあえず帝都の外で一番大きな町であるテレストに向かおうと馬車を西に向けた。するとすぐに、左前方に森が見えてくる。


(あ!あの森)


その森はセシルの思い出の森。

フィンと一緒に迷子になって大きな木のほらで一晩を明かした森。

森への分かれ道まで来たセシルは、自然と馬車を森へ続く道に向けていた。

森の入り口に着くと、馬車を近くの木に繋いで無意識に森へと入っていく。


「懐かしいな・・・・・・」


あの頃は何処までも続く深い森だと思っていたけど、今改めて来てみるとそれほど大きな森には感じられない。多分大人の足だったら一時間も歩けば反対側に抜けられそうな、そんな大きさの思い出の森だ。


私はあの頃の記憶を頼りに森の中をどんどん進んでいく。

すると前方に小さな小川が見えてきた。


小川に掛かる丸太の橋を、恐る恐る渡る子供の私が見えてくる。

右手に持った竜の絵本を胸に抱え、左手をフィンに繋がれて少しづつ進む私。

今の私も思い出の中の二人を追って丸太の橋を渡る。


―――坂道で私の背中を押してくれているフィン。

―――ヨルマの声が聞こえなくなって、大声でヨルマを呼ぶ二人。

―――道に迷って不安そうな私に声を掛けるフィン。


どれくらい森を進んだだろう。

想い出の中の二人を追っていた私の目の前に一本の大きな木が見えてきた。

少し森が開けた草原の、小高い丘の上に立つ大きな木。

記憶の中では青々とした葉を茂らせていたが、冬の今、落葉して枝だけになった姿でもちゃんと分かった。


(たぶんあの木だ。洞のある大きな木)


私も二人を追って大きな木に向かって一歩一歩近づいて行く。

あの時は暗くなった森の中と不安で、てっぺんが見えない程大きな木だと思っていたけど、改めて見るその木はちゃんとてっぺんが見える。


そして丘を登り、その木までたどり着いた私の目には根元に空いた洞が見えた。


(やっぱりこの木だ!)


あの時と同じように落ち葉が敷き詰められた洞。

月明かりの中、二人で竜の絵本を何回も読んだ洞。


そっと洞の中に足を入れると、フカフカの落ち葉がベッドのように沈み込む。

あの時は大人が三、四人入れる程の大きさに感じたけど、実際は大人二人が入れる程度のそんな大きさの洞。


迷わず中に入った私は、あの時と同じように左側に腰を下ろした。

東に向かって大きく口を開く洞からは、森の木々の上に広がる帝都の町並みと、さらにその上に広がる冬の青空が見える。


(最後にここに来られて良かった・・・・・・)


青空を眺めながら私はいつの間にか、あの時のように竜の絵本を暗唱していた。


「これは昔、あるお姫様が―――」


幸せだった七才までの事。

毎日フィンと一緒だった2年間。

いつかフィンと会えることを願って過ごしたバークリー男爵家。

そしてフィンと再会できた騎士団での二年半。


竜の絵本を読み進めるたびに、帝都での様々な思い出がよみがえってくる。

あの時のように何回も何回も声に出して読み続ける。

どれ位暗唱していたのだろう。


(結局、竜の絵本の事はフィンに謝れなかった・・・・・・)


そんな後悔が胸をよぎった後、私はいつの間にか眠りに落ちていった。





「セシル!!」


フィンは五階層を走っていた。


お別れパーティーが始まっても一向に姿を見せないセシルが心配になった僕は、皆にセシルを見たか聞いて回ったけど、解散式以降は誰もセシルを見ていなかった。

ニナにお願いしてセシルの部屋に行って貰った時には、綺麗になった部屋にはすでにセシルの姿も荷物も無く、すぐに事務局に向かいセシルが来たか確認した所、一時間ほど前に宿舎の退室手続きを済ませて出て行ったことが分かった。

その瞬間、僕は走り出した。


走りながら、意識が戻った後のセシルの笑顔を思い出す。


(あの笑顔、もっと早く気付くべきだった!)


真っ先に向かたのは、赤騎士団長に聞いたバークリー男爵家。ライナスの所だった。

セシルがライナスの元に戻るとは考えにくいけど、僕の知る限りでは彼女に関係がありそうな場所はここだけだから。

あいにくライナスは公務で不在だったが、ライナスの父、先代のバークリー男爵が対応してくれて、セシルは戻っていない事を教えてくれた。


その後は四階層の宿屋一軒一軒でセシルの特徴を伝えて宿泊者にいないか確認し、さらに五階層に降りてきてから既に半数の宿屋を捜し終わっていたが、セシルはいなかった。

宿屋は四階層と五階層にしかないので、五階層の宿屋にもいなければ帝都を出た可能性が高くなる。

もしかしたら僕の知らない知り合いが居て、そこに向かったかもしれない可能性もあるけど、まだ五階層の宿屋をすべて確認したわけじゃない。


時刻は午後四時を指そうとしている。


「すみません!少し聞きたい事があるんですが!!」


次の宿屋に飛び込むが受付には誰も居ないので、もうすでに何回も繰り返したセリフを大声で口にする。


「はいは~い!」


元気な返事をしながら奥から出てきた女性を見て僕は驚いた。


「え?!母さん?!」

「あら!フィン」


急いでいた僕は、この宿屋が母さんの働く宿屋だとは気が付かないで飛び込んでいた。


「フィン元気そうね。それにしても意外と早かったわね」

「?・・・・・・えっと」


早い?母さんの言っていることが全く分からないけど、今は話をのんびり聞いている暇はない。


「母さん!ここに僕と同じ年位の―――」

「ふふ、セシルちゃんならもう帝都には居ないと思うわよ」

「・・・・・・は?」


いつものようにニコニコ笑っている母さんが、僕の話を遮って口にした名前。

たぶんその時の僕はかなり間抜けな顔をしていただろう。


(母さんは今何て?。母さんは今、セシルって言わなかったか?)


「・・・・・・母さん、今なんて?」


聞き間違えだろうか?僕は母さんにもう一度問い直す。


「だから、セシルちゃんならもう帝都には居ないはずよ。あなたセシルちゃんを捜しに来たんじゃないの?それともうちに泊まりにでも来たのかしら?」


少し意地が悪そうな笑顔をした母さんの口から、またセシルの名前が出てくる。

やっぱり聞き間違えじゃない。


(何で母さんがセシルの事を知ってる?)


僕は母さんにセシルの事を話した覚えはない。


「母さん、どうして・・・・・・セシルって・・・・・・」

「ふふふ・・・・・・だって今日のお昼過ぎに家に挨拶をしに、セシルちゃんが来たもの」


呆然とする僕の反応を楽しむかのように、母さんはさらに意味が分からない事を口にする。


(セシルが家に来た?母さんに会いに!?)


セシルには六階層に家がある事は言ってあったけど、家の場所までは教えてないはずだ。


(ヨルマかエレナに聞いていた?いや、そもそも何でセシルが母さんに?)


「・・・・・・どうしてセシルが母さんに」


完全に混乱していた僕は間抜け面をさらしたまま、また同じ事を聞いてしまう。


「それよりセシルちゃんを捜してるんじゃなかったの?」

「・・・・・・あぁ、うん」

「だったら早く行きなさい。帝都を出てどっちに行ったのかは分からないけど、馬を飛ばせば今日中にはどこかで追いつけるかも知れないわよ」

「!」


そうだ、母さんには色々聞きたいことが出来たけど、今はセシルを捜さないと。


「ありがとう母さん!」


僕は母さんにお礼を言って踵を返すと、外に飛び出した。


「あらあら、まったくあの子ったら・・・・・・ちっとも変わってないわね」


嵐のように去って行ったフィンをいつもの笑顔で見送ったソフィは小さくため息をついた。


(やっぱりあの人の言った通り)


今までもこれからも、あの二人には私の心配なんて必要ないみたい。

私はただ二人を見守るだけ。


「ソフィさーん。ちょっといいかい!」

「はぁーい!」


奥からソフィを呼ぶ声に、仕事に戻るソフィは一つ思い出して口にする。


「フフッ、あの手紙もやっぱり必要無かったようね」





セシルはもう帝都には居ないって母さんは言っていた。

僕は馬を借りるために五階層にある一番近い騎士団詰め所に向かうと、そのまま飛び込んだ。


「うぉ!!」

「きゃあーーー!!!」


中にいた五・六人の兵士たちがいきなり飛び込んできた僕に驚いて声をあげる。


「特別戦闘騎士団のフィン・エルスハイマー一等士官だ。ここの責任者は?」


正確には、僕はもう特別戦闘騎士団でも、一等士官でもなくただのフィンだけど、今はそんなことはどうでも良かった。


驚いたせいだろうか。イスから転げ落ちて床に尻餅をついていた女性士官が立ち上がり、驚いた顔で恐る恐る敬礼をしてくる。


「し、白騎士団 第二大隊 第二中隊 第一小隊長、ミシェル・ブラウン二等士官です」

「ミシェル二等士官。済まないが表に繋いである馬を一頭貸してくれないか?」

「馬を......ですか?」

「ああ、急いでいるんだ。お願いできるだろうか」

「りょ、了解しました。お好きな馬を使って下さい」

「すまない!ありがとう」


冷静考えれば特別戦闘騎士団が今日解散した事は、彼女も知っているはずだろうけど、僕の顔を知っていたのか、僕の勢いに押されたのか、あるいは両方なのか、彼女は馬を貸すことを許可してくれた。


(彼女には後でちゃんと謝らないと)


私用で、しかも既に騎士団の人間でない僕の無理を聞いてくれた彼女に感謝しつつ、表に出て一番足の速そうな馬に跨るとすぐに駆け出した。


(帝都を出てまず向かいそうなのは一番大きな町、テレストかも知れない)


帝都の門を抜けると、西の空に傾いた太陽に向けて進路を取る。


セシルは何で僕に黙って帝都を出て行ってしまったのだろうか?

僕の事なんてどうとも思っていないのだろうか?

分からない事はたくさんあるけど僕のやるべき事は一つだけだ。


セシルに会って、僕の気持ちを伝える事。


薄着のまま飛び出して来た僕の身体に、身を切るような冷たい風が吹きつけてくるのも構わずに馬を走らせる。


(そう・・・・・・たとえセシルの答えが僕の望む答えじゃなくても)





「―――ル―――シル」


何処からか、私を呼ぶ声が風に乗って聞こえた気がする。


「う・・・・・・んっ」


薄っすらと開いた私の目には、東の地平線から登り始めたオレンジ色の大きな半月が、淡い青から白く変わっていく冬の空に浮かんでいるのが映った。

どの位ここにいるのだろう。いつの間にか眠ってしまったのだろう。


「寒い・・・・・・」


洞の中とは言え、日が落ちた真冬の空気は全身に纏わりついて寒さを伝えて来る。


(そろそろ行かなきゃ)


迷いがなくなった訳じゃないけど、最後にここに来れて少しは諦めが付いたのかもしれない。それに森の入り口に繋いだ馬車や荷物も心配だ。

そうして立ち上がろうとした、その時だった。


「―――シル―――セシルー!」


私を呼ぶ声がまた微かに聞こえた気がする。


(さっきの声、私を呼ぶ声は夢じゃない?)


私はその声を聞いて洞の中で動けなくなった。


「セシルー!」


今度ははっきりと聞こえたその声。


「なんで・・・・・・どうして・・・・・・」


眼下に広がる草むらの向こう、薄暗くなった空の下をこちらに向かって歩く人影。

オレンジ色の半月の下で、私の名前を呼ぶ人の銀色の髪が映った。



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