第46話 大きな木の洞で②
馬を西に向けてすぐ、左前方に子供の頃三人でよく遊んだ森を横目で見つつ、森への分岐道を通り過ぎた時に森の入り口に一瞬何かが見えた気がした。
(ん?あれは・・・・・・)
気になった僕は馬を戻してゆっくりと進むと、森への分岐から二十メートル程の所で一瞬森の入口に何かがあるのが見えた。
まだ夕日が出ているとは言え、ここから森の入り口までは三百メートル程もあるし、木々の影で暗くなっていて良く分からないけど確かに何か白いものが見える。
(あれは・・・・・・馬車の幌、か?)
僕は分岐まで戻り森の方に馬を走らせると、森の入口に近づくにつれてはっきり見えてきたそれが馬車であることが分かった。
(何でこんな所に馬車が)
森の入口に着くと、馬を馬車の近くの木に繋ぎその馬車に近づく。
その馬車は一頭立ての小さな馬車だけど、長距離移動の為か、幌も付いていて作りもしっかりしていた。
「すみません!誰かいますか?」
もしかしたら旅の商人が休憩や急病で休んでいるのかも知れないと思い、声を掛けてみたが返事もなく、人の気配もしないので少し悪いと思いながら幌を少し捲って中を覗いてみると、旅に必要な物と食料などが積まれているだけで人はいなかった。
(でも、たぶんこれはセシルの馬車だ)
一人で長距離を移動するような馬車を使うのは旅の商人が殆どだけど、この馬車には肝心の商品が積まれていないし、中に積まれている道具も馬車自体もほぼ新品の状態だ。
まるで、今帝都で旅の支度を整えて出発しました。と言うような様子はセシルの可能性が高い。
(何でセシルがこの森に?何か問題でも起きたのか?)
争ったような形跡もない事から、セシルが自分で森に入ったようだけど、どうして彼女がこの森に来ているのだろう。
母さんの事と言い、この森の事と言い、僕の知らない事が何かある事は分かったけど、まずはセシルを捜す事が先決だ。
僕はセシルを追って、久しぶりに通いなれた森に足を踏み入れた。
♢
「セシルーーー!」
森に入って三十分程は歩いただろうか。
既に森の真ん中辺りまで来たがセシルの姿は見つからない。
どこかで足を踏み外していれば返事があるだろうと、セシルの名前を呼びながらさらに森を進むと、本道とは別に獣道のような細い道が森の奥に続いているのが見えた。
注意しなければ見過ごしてしまうその獣道が気になったのでよく見てみると、最近誰かが歩いた様に、膝ほどの高さの枯草がところどころ不自然に折れている。
(もしかしたら・・・・・・こっちか?)
道とも言えないようなその獣道に入り、誰かが歩いたような形跡を追ってしばらく進んでいくと、突然森が開けて草原のような場所に出た。
(この森にこんな場所があったんだ・・・・・・)
森の一部を切り開いたようなその草原は騎士団の練兵場ほどの広さで、奥に行くにつれて小高く盛り上がった丘になっている。
そして丘のてっぺんにはひと際大きい木が、暗くなりかけた空を背にそのシルエットを浮かび上がらせていた。
(あぁ、セシルはあそこにいるんだ)
僕はこの大木が見えた瞬間、なぜかセシルそこにいる事が分かった。
「セシルーーー!」
その大木に吸い寄せられるように丘を登り始めると、さっきまでの焦る気持ちはいつの間にか無くなって行き、何故か懐かしい気持ちで満たされていく。
どうして姿を消したのか。こんな所まで追ってきて迷惑に思うだろうか。
頭の中で今の状況を考えてしまうと、今更ながら本当にセシルに会っていいのか、一瞬不安が胸をよぎる。伝えたい事もたくさんある。
だけど、それよりも、僕はただセシルの顔が見たくて―――だから足は止めなかった。
大木がゆっくりと近づくにつれ、その大木の根元に大きな洞が口を空けているのが目に入ってくる。
とうとう丘を登り切ると薄暗い洞の中が見えた。
「セシル・・・・・・」
辿り着いた大木の洞の中で俯いて座っているセシル。
小さく嗚咽を漏らしていたセシルが、俯いていた顔をゆっくり上ると、その瞳から大粒の涙が溢れだす。
「フィ・・・・・・ごめんな・・・・・・さい・・・・・・」
消え入るような小さな声で僕への謝罪を口にするセシル。
だけどこうして会えた今、そんなことはどうでも良かった。
「いいんだ。突然いなくなって少しビックリしたけどね」
彼女なりに理由があって黙って去ろうとしたんだろう。
「それよりも怪我とか、具合が悪かったりはしてない?」
彼女はまた俯くとゆっくりと首を横に振る。
「良かった・・・・・・」
とりあえず怪我がなさそうな事が分かって一安心した僕は、セシルの斜め前の洞の外に腰を下ろしてセシルと同じ位置まで目線を下げると、丘の上からの景色を眺めた。
左側には帝都の街並みが明かりを灯して光り、背後には薄いオレンジから白に変わっていく西の空が迫り、正面に見下ろした森の上には赤く光る半月を抱えた濃紺の空が広がっている。
森へ帰って来た数羽の鳥が半月の前を横切る羽ばたきさえ聞こえてきそうな静寂の中で、僕は何も言わずに時折通り過ぎる冷たい風に吹かれながら、赤から黄色に変わってゆく月を眺めていた。
暫く何も考えずにそうして座っていたその時、僕の口から自然と言葉が
「セシル・・・・・・僕は君の事が好きだ」
もっとちゃんと言おうと考えていた僕の気持ち。
だけど、気負いも緊張もなく出てきた今だからこそ、一番正直に言えた気がした。
「・・・・・・フィン?」
僕はセシルの方に向き直る。
セシルは驚いた表情で目を見開き、瞬きもせず涙をぽろぽろと流していた。
口元に当てている小さな手は小刻みに震えている。
「あの戦いの後、君が目を覚ましたらちゃんと伝えようと思っていたんだ」
言葉にしなくてもお互い分かることは確かにあるけど、言葉にしないと分からない事も、分かっていても言葉にしなきゃいけない事もある。
言葉にしないと分からなかったエレナの事。
分かっていても言葉にしなきゃいけないセシルの事。
だから、セシルから目を逸らさず、ちゃんと聞こえるように、僕はもう一度繰り返す。
「僕はセシルの事が好きだ」
「フィン!・・・・・・私はっ・・・・・・うわぁぁぁーーーん」
子供の様に声を上げて泣き出したセシルの姿が、セシルの胸に抱かれて泣いたあの日の自分と重なる。
「フィン、私っ・・・・・・謝りたいことがある・・・・・・の」
声を上げて泣いていたセシルは暫くすると少し落ち着き、そう呟いた。
「そして、あなたに言っていない事が・・・・・・言えなかった事が・・・・・・」
セシルがそう言って始めた話は、僕の疑問を綺麗に埋めていった。
♢
「そうだったんだ。だから母さんの事も、ヨルマの事も」
「・・・・・・黙っていてごめんなさい」
全てを話終えたセシルは最後にまた、謝罪を口にした。
「セシルが謝る事じゃないよ」
僕が父さんに貰ったという絵本の事も、過去を隠していたこともセシルが謝るようなことじゃないし、僕の前から姿を消そうとした事でもたくさん悩んできただろう。
だからもうセシルの口から謝罪を言わせたくない。
「僕もそこに入っていいかな?」
この森で二人で迷った時に絵本を読んだという洞の中は、あと一人くらい入れるスペースがあった。
「え?う、うん」
少し驚いたように頷いたセシルの前から立ち上がり、落ち葉が敷き詰められた洞に足を入れてセシルの横に並んで座ると、狭い洞の中で肩が触れ合う。
僕はセシルの体温を感じながら前を見つめ、もう一つ彼女に伝えたかった事を話す。
「僕も邪竜と戦うまではセシルと同じ気持ちだった。セシルの為に何でもしてあげたい。例え僕が死んでもセシルさえ無事ならそれでいいって。でもあの時、邪竜に吹き飛ばされて動けなくなった時に思ったんだ。僕が死んだあとに君はどうやって生きていくのか。僕のいない君も、君のいない僕も・・・・・・僕はそんな世界は要らないって、君の為に生きていたいって」
また泣き出しそうな顔をして、ただ黙って僕を見つめるセシルに続ける。
「君のせいで、セシルが僕の傍にいて僕が傷ついた事なんて一度も無いよ」
エレナの時だって、最後の戦いだって、僕はセシルのお陰で何とかここまで進んでこれたんだから。だからこれから僕がどうしたいのかもちゃんと伝えたい。
「僕は暫くしたら帝都を出ようと思ってる」
「帝都を?」
「うん。やっぱり僕は邪竜を倒した勇者もどきとして一生ここで過ごすことは出来ないから。セシルには先を越されちゃったけどね。・・・・・・そして、もし君が僕を不幸にするとしたら、それは君がこのまま僕の前から居なくなってしまう事なんだ・・・・・・だから」
「・・・・・・」
「だからこれから先、帝都を出てもずっと僕と一緒にいて欲しい」
「フィン!・・・・・・私」
再び大粒の涙を流し始めたセシルは、僕の胸に顔を埋めてくる。
「うん・・・・・・行く!これからはずっとフィンと一緒に!」
「あぁ・・・・・・ありがとうセシル」
僕はセシルを胸に抱えて抱きしめる。
セシルの体温が、鼓動があの時のように僕に伝わってくるけど、頭の傷は痛まない。
しばらくそうしていると、セシルが顔を上げて僕を見つめてきた。
「私もフィンの事が好き。ずっと前から・・・・・・ずっとずっと大好きだったの!!」
そう言って僕に向けたセシルの笑顔は今まで見たどんな笑顔より曇りがなくて、ずっと綺麗で。
(僕の好きなセシルが、僕の見たかったセシルが帰ってきてくれた・・・・・・)
セシルが目を覚ましたら初めに掛けようと思っていた言葉。
そして僕はやっとその言葉を口にすることが出来た。
「セシル・・・・・・お帰り!」
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