第47話 さよなら

真っ暗な空間の中で小さな白い光が灯り出す。

それと同時に失くしていた意識が徐々に覚醒していき、自分自身の大きな荒い息遣いが耳に入ってくる。


そして、ゆっくりと目を開いたヨルマの視界の端にその小さな白い光が映り込んだ。


止めろ、止めてくれ!


そんなヨルマの願いも虚しく、重くなった体はヨルマの意思に反して光の方に向き直る。

真っ暗な空間に灯り出したその白い光は徐々に明るく、大きくなるに従って、だんだん人の形を作っていった。


もう立つな、立たなくてもいい。


頭ではそう思っていても、何かに突き動かされる様に立ち上がったヨルマの先には、人の形になった白い光がその輪郭をはっきりと現し、セシルとフィンが並んで手を繋ぎ、ヨルマに背を向けて立っている姿を形作って行く。

そして、見つめあった二人は楽しそうな横顔を見せながら、ヨルマから遠ざかる様に歩き始めた。


ヨルマには自分がこの後どうなるかが嫌と言うほど分かっている。

もう既に何百回、何千回と同じことを繰り返しているのだから。

そして、まるで何かに追い立てられるように二人の後を追って歩き出すヨルマ。

始めの頃は軽快に動いた身体も、これを繰り返すうちに徐々に重くなっていき、今ではまるで水中にいるように重くなっていて思うように動かないが、ヨルマの意志とは関係なく、重くなった足がヨルマの身体を前へと進める。


あぁ―――


ヨルマの意思に逆らって、二人の背中に向かい左手が伸びる。

その瞬間、ヨルマの左手が宙を飛び、血しぶきが舞う。


「がぁぁぁーーー!」


右足に激痛が走る。


だから―――


付け根から切り取られた左足が転がっていく。


お願いだから―――


聖剣を持った右手が、楽しそうに笑いながら前を歩く二人の背中に向けて振り下ろされようとした瞬間、聖剣と共に右腕が宙を舞う。

全身に走る激痛の中、大きくバランスを崩したヨルマの視界が真っ赤に染まる。


もう・・・・・・許して・・・・・・くれ―――


二人が消え、漆黒の闇に覆われた空間にヨルマの意識が溶けて行き、数舜の後、また暗闇の中で白い光が灯り出したと同時に再びヨルマの意識が覚醒する。


こうしてヨルマはその命が尽きるまで、同じ時間を永遠に繰り返していた。





冬も終わりに近づき、輝きを取り戻しつつある太陽が部屋の窓辺を明るく照らす午後。

エレナはその窓辺から、演習場の上を冷たい風が砂ぼこりを巻き上げながら通り過ぎていくのを見つめていた。


虚ろな瞳で演習場を眺めていたエレナは、暫くすると身の回りの物を詰め込んだ鞄一つを手にしてから、部屋の掃除も終わってガランとした、三年近く過ごした自室を見渡した後に部屋を出る。


既に解散式から一ヶ月半が経ち、エレナ以外は誰も居なくなって静まり返った宿舎の廊下にエレナの足音だけがコツコツと静かに響いていた。


邪竜戦の後、前に進む決心はつけたけど、それでも最初の一歩が踏み出せないエレナは、既に誰も居なくなってガランとした宿舎に未だ留まっていた。

だからと言って、自分の居場所なんてない騎士団に入るつもりもなかった。


滞在期限となっても一歩が踏み出せなかったエレナは、騎士団の事務局と交渉して、お金を払う事で滞在期限を特別に2週間延ばしてもらったが、その二週間の滞在延長も今日で終わりとなり、行く当てのないエレナは重い足を引きずる様に騎士団本部を後にする。

エレナ自身、どこに行けば良いのか、どこに行こうとしているのかも分からないまま彷徨いながら、いつの間にか足は六階層に向かっていた。


そして二時間後。


目的もなくただ歩き続けたエレナは、気づけば六階層にある共同墓地で一つの墓石の前に立っていた。


『ヨルマ・カルフ』


大分前に誰かが来たのだろうか。

そう刻まれた小さな墓石の前には枯れた花束が一つ、風に揺れていた。


ヨルマが息を引き取ったのは二週間前の事だった。

エレナが宿舎の滞在延長のお願いに事務局に行ったその日の明け方に、ヨルマが息を引き取った事と、ヨルマの偽勇者としての悪評が帝都中に広まった事で、ヨルマの父親はどこかに姿を消してしまったらしく、身柄の引受人がいない事を事務員に聞かされていた。

結局、ガリガリにやせ細ったヨルマの意識は最後まで戻らなかったらしい。


なぜここに来たのだろう。


気が付いたらここに立っていたエレナ自身にも分からない。

幼馴染としてだろうか?一時とはいえ愛してしまった男に、最後のお別れをしてあげたかったのだろうか?

最後まで分からなかったヨルマの事もいつか分かる日が来るのだろうか。


ただ、早春の冷たい風に吹かれている墓石ヨルマを見ていると、そんな事さえもどうでもいいように言われている気がした。


そうしてしばらく墓石の前に佇んでいたエレナは再び歩き出した。

夕日に照らされたエレナが、何かに導かれるように目的もなく、フラフラと歩き続けながら、黄金色に染まった坂道を下っていくと、彼女達にとって思い出の場所が見えてきた。


「共同井戸・・・・・・」


三人でいつも一緒に来て、遊んで、話をして、ケンカもした思い出の場所。


誰もいない夕暮れの共同井戸に足を踏み入れたエレナは、あの頃、毎日フィンと二人で話をした花壇に真っすぐ向かい、そして静かに腰を下ろした。

顔を上げたエレナの目の前の空には、沈もうとする茜色の太陽があの頃と同じようにエレナを照らしていた。





私は自分の右側、いつもフィンが座っていた場所に目を向ける。

そこには、今より少し幼い顔を真っすぐ夕日に向けた十五才のフィンがいつの間にか座っていて、夕日に照らされてオレンジに染まる銀の髪を、冷たい風に揺らしていた。


「フィン・・・・・・私ね、全部失くしちゃった・・・・・・」


夕日をみつめたまま、私は十五才のフィンにそう呟いた。


自分のせいで全てを失って、それでも一からやり直そうって決めたけど、未だに一歩を踏み出せない私はどうしたらいいのだろう。


何も見えない真っ暗闇の中で、ただ一人立ち尽くしている私。


私はどこに行くのだろう―――

私はどこに行けば良いのだろう―――

私はどこに行きたいんだろう―――


商売に失敗したお父さんが自殺をした後、お母さんと二人で六階層に落ちてきて、フィンに出会って、お母さんがいなくなって、フィンと恋人になれて―――

そして騎士団に入って。全てを失って。


そして私はあの晩の事を思い出す。

お母さんが私を置いて居なくなった前の晩、夜中にお母さんが、フィンのお母さんとヨルマのお父さんにしていた話をベッドの中で聞いてしまった事を。


莫大な借金を返すために、娼婦をしながら私を育ててくれていたお母さんだったけど、それでも利子を払う事も難しくなってきた事。

丁度その時、借金を肩代わりして身請けするというお客が現れた事。

私を連れていけない事。

子供達には事故で死んだことにして欲しい事。

そして、最後にお母さんは泣きながら私の事を何度も、何度も、何度も二人にお願いしていた事。


「お母さん・・・・・・」


お母さんが私を捨てなきゃいけなかった事は分かっていたつもりだけど、それでももう二度と誰にも捨てられないように、何も失わないように、それだけを考えて生きてきた。


私にとって一番大事な物は何だったのだろう。

あの時、お母さんから離れずに一緒にスラム街に落ちていれば、一番大事な物は失わずに済んだのだろうか。

そんな事を考えながら、私はここから離れられずに沈む夕日を眺め続けていた。


どれくらいそうしていたのだろう。

私はもう一度、横に座っているフィンに顔を向けた。

夕日を見つめる十五才のフィンは、先日、帝都から旅立つと言って、最後に私の所まで挨拶をしに来てくれた時のフィンと同じ目をしていた。


十五才のフィンの瞳には、この夕日の向こうに何が見えているのだろうか。

あの時、ここに座っていた十五才の私にはフィンと同じものが見えてはずなのに、十八才の私にはそれがもう見えない。


今の自分には何も見えない―――


その時、夕日を見つめているフィンが、あの頃のままのフィンがゆっくりとこちらを向いて、私に向かって微笑んだ気がした。


あの頃からずっと好きだったフィンの笑顔。

好きだった・・・・・・大好きだったフィン。

その気持ちは今でも自分の中にはっきりと息づいている。


(だけど・・・・・・)


その笑顔を目にした瞬間に、真っ暗闇だった私の心の中で弱々しくも小さな明かりが灯った。


「そっか・・・・・・そう、だよね」


十五才のフィンの笑顔に背中を押されて、十八才の私はようやく立ち上がる。


全て失くしちゃったけど、私はまだ十八才だもの。

またこれから少しづつでも、まだ分からない何かに向かって歩き出せるかも知れない。


大切な事は二度と間違えないように、フィンとは―――あの頃の自分とは違う新しい何かを見つけられるように。


結局、最後のお別れの時も心からフィンに言えなかった言葉。

私はお礼の意味を込めて十五才のフィンにその言葉を笑顔と共に口にした。


「さよなら・・・・・・フィン――――――」


私からフィンへ送った最後の言葉が冷たい風に乗って消えていくと、その言葉に答えるように、再び微笑んだ十五才のフィンは前を向いて、夕日の中に溶けるように消えていった。





エレナは弱々しい足取りでゆっくりと立ち上がると、一歩足を踏み出した。

そして何かを確かめる様に、一歩また一歩と足を進め、共同井戸を後にして夕日に染まる坂道を、ゆっくりと振り返らずに登り始めた。


失ってしまえば二度と取り戻せない物もあれば、もう一度取り戻せる物もあるかも知れない。


「お母さんに会いたいな・・・・・・」


エレナは小さな呟きを零すと、いつの間にかしっかりとした足取りで坂を登っていく。


坂の向こうに何があるのか、エレナ自身にもまだ分からない。


ただ、暗闇の中で灯り始めた小さな光だけを見据えて、前を向いて歩き始めたエレナの背中は、茜色の坂の向こう側に見えなくなっていった。



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