第49話 銀の月
フィンが馬車の中で倒れたのは、町まであと三キロ程の場所に差し掛かった時だったそうだ。
私はすぐに町一番の治療師を手配してフィンの到着を待った。
侍女が私の部屋に飛び込んできてから十分後、フィンの馬車が着いたとの連絡があり、慌ただしい音と共にフィンが部屋に運ばれてきた。
「フィン!」
担架に乗せられているフィンに駆け寄るが、フィンは意識が無くぐったりしている。
フィンをすぐにベッドに寝かせると、私は上級治癒魔法を唱えた。
「お願い!フィン!」
私の治癒魔法の光がフィンを包み込むが、フィンは目を覚ましてくれない。
もう一度!
ダメ・・・・・・もう一度!
「あの・・・・・・大奥様。治癒魔法は付き添いの治療師がすでに・・・・・・」
私の様子を見かねた侍女が声を掛けてくるが、それでも止めたくない。
「フィンお願い!起きて!いつものように・・・・・・ただいまって・・・・・・」
♢
治療師達が到着したのはそれから十五分後だった。
彼らはすぐに診察と治療を開始する。
私の即効性と威力だけが取り柄の戦場仕込みの荒い治癒魔法と違い、彼らは緻密な魔方陣を描くと、色とりどりの魔方陣がフィンを取り囲み、ゆっくりと慎重に診察を行っていく。
その後、アルレットやリゼット、仕事中だったレオンスや孫たち、ジャックさん、ニナさん、マルコさん、カミラさん、大勢の知り合いが続々とお見舞いにやってきて、夜になる頃には家の中は人で溢れかえってきた。
その間もフィンの治療は続けられていたが、一向に意識が戻る気配はない。
私はフィンの無事を祈って、診察の結果が出る翌朝まで治療の様子を見守っていた。そしてお昼前に家族だけを集めてフィンの診察結果を聞いた。
「大奥様、結果から申しますと特にどこが悪いといった事はありません。ただ・・・・・・」
「ただ?」
「若い頃の無理とお歳を召した事により、大旦那様のお身体全体がもうこれ以上は」
「そんな・・・・・・」
「今は体の内側から作用する回復魔法と治癒魔法を長時間発動することで、小康状態を保っておりますが、それでもそう長くは・・・・・・」
「・・・・・・」
「また意識に関しましても戻るかどうかは・・・・・・分かりかねます」
アルレットとリゼットが泣き崩れ、レオンスも神妙な面持ちで項垂れていた。
「それで・・・・・・あとどれくらい・・・・・・」
聞きたくない。でも私は聞かなきゃいけない。
「申し上げにくいのですが、良く持ってあと三・・・・・・二日でしょうか」
フィンに残された時間を聞いた後、私は不思議と落ち着きを取り戻していた。
いつかこんな日が来ることは分かっていたし、それに私が先に逝ってフィンに寂しい思いをさせなくて済む。
治療師達にはもう少しだけ今の治療を続けてもらうように指示をして、皆にも一旦帰って休むように言うと、私も少し休みを取るために自室に戻った。
♢
その晩、私達家族とジャックさん達ごく少数の仲間だけには、最後にフィンに会ってもらい、その後私は、フィンと二人だけにしてもらえるようにお願いした。
フィンに残された時間がどれくらいあるか分からないけど、最後はフィンと二人きりで居たかった。
みんなが出て行って静まり返った部屋を、窓から差し込む月明かりが明るく照らしている。
私はベッドに入りフィンの枕元に座ると、彼の銀の髪にそっと触れる。
涙は出てこない。
二人で歩いてきた、フィンの長い旅の終わりにこうして一緒に居られることが幸せだった。
フィンが眠りに就くまでいっぱいお話しをしてあげよう。
六階層のフィンの部屋で一緒に竜の絵本を読んでいたあの頃のように。
♢
夢を見ていた。
僕の記憶の底から迷い出てきた、遥か昔に見ていた懐かしい夢を見ていた。
凍えそうな雨が今にも落ちてきそうな灰色の空の下、僕に背を向けて歩き出す女の子。
僕は泣きながらその女の子が遠ざかるのをただ見つめていた。
(ずっと一緒に居たかったのに・・・・・・)
僕はその女の子に手を伸ばして、つかまえようと走りだそうとするけど、何かに押さえつけられているようで体が上手く動かない。
だけど僕は、今の僕はその女の子の名前を知っていた。
「セシルーーーーーー!!」
ありったけの声でセシルの名前を叫んだ瞬間、僕の中に色々な光景が次々と流れ込んでくる。
僕に向かって片膝をつき、僕の頭を撫でてくれた父さん―――
僕の見た最後の父さんの姿だ。あの絵本もこの時に貰ったんだ。
隣に越してきた、僕と同じ銀色の髪の女の子―――
僕は恥ずかしくて、母さんの影に隠れて挨拶が出来なかった。
ベッドに座り、僕の為に竜の絵本を読んでくれたセシル―――
毎日こうしていつの間にか二人とも眠ってしまったな。
森の中で道に迷った時の泣き出しそうなセシル―――
僕が何とかしなくちゃって思ったんだ。
あの木の洞で僕に縋りながら泣いていたセシル―――
僕は黙ってセシルの話を聞くことしか出来なかった。
階段から落ちる瞬間、驚いて振り返った先に見たもの―――
僕の目に映ったのは歪んだ笑顔を浮かべたヨルマだった。
僕は頭の中に次々と流れて来る光景と共に強く足を踏み出す。
一歩一歩歩き出し、ただセシルの背中を見つめながら足を動かす。
いつの間にか走り出していた僕の視界の中で、セシルの背中がグングン大きくなっていく。
あと少し―――
僕は目の前に迫った銀色の髪に手を伸ばす。
僕の伸ばした手がセシルの髪に触れた、その瞬間。
僕の目には、窓から差し込む優しい光と共に、夢の中と同じセシルの銀の髪が映りこんだ。
♢
私はフィンの手を握りながら、子供の頃の思い出をフィンに語り続けていた。
「!?」
握っていたフィンの手が私の手を握り返すように僅かだけど動いた気がした。
「・・・・・・フィン?」
私の呼びかけにさっきよりも強く握り返して来たかと思うと、フィンはゆっくりと目を開いた。
「フィン!フィンッ!」
フィンの意識が戻ってきた!
私はフィンの手を握り締めながら、何度も名前を呼んでしまう。
「・・・・・・っ・・・・・・の」
フィンは暫く私を見つめた後、私に何かを伝えようと弱々しく口を開く。
「フィン!何?」
私はフィンの言葉を聞き洩らさないようにフィンの口元に耳を持っていき、耳を澄ませる。
「りゅ・・・・・・のえ・・・・・・ほ・・・・・・」
「りゅのえほ、竜の絵本?」
フィンは、聞き返した私にゆっくり頷くと、微笑むように微かに目を細める。
「竜の絵本がどうしたの?」
聞き返す私にフィンがまた口を開く。
「これ・・・・・・むかし・・・・・・るお姫さま―――」
「!!」
聞き間違いなんかじゃない。フィンが口にしたのは確かに竜の絵本の始めの一節。
でも、竜の絵本の事は話したけど、内容まではフィンには話した覚えは無かった。
「フィン、もしかして・・・・・・」
私を見つめたまま、フィンは微かに頷いた。
「あぁ、フィン!!」
再会してからの五十数年間、私達の間には数えきれないくらいの思い出ができた。
だからフィンの記憶が戻らなくても仕方のない事だと諦めても居たけど。
「その冬のある寒い夜、一人の男が―――」
私は久しぶりに声をだして竜の絵本を読み上げる。
窓から入ってくる月明かりの下、あの頃と同じようにベッドに二人並んで。
私が朗読する絵本を聞いているフィンは、子供の頃と同じようにキラキラした目で私を見つめている。
私は絵本を読みながらいつの間にか涙を流していた。だけど悲しいからじゃない。
あの洞で泣きながら絵本を読んだ時と同じように、ただ嬉しくて、嬉しくて、幸せな気持ち。ずっとこのままフィンと二人で絵本を読んでいたい。
だけど、永遠に続くお話しなんてあるわけがない。
私が最後の一節を読み上げると、フィンはあの頃と同じように、満足気に「フゥ~」と軽く息を吐く。
「セシル・・・・・・ありが・・・・・・と・・・・・・う」
フィンの瞳から徐々に光が失われていく。
「フィン、ありがとう・・・・・・ゆっくり休んでね・・・・・・」
彼の長い旅が今終わろうとしている。
だけど、こうして見送ることが出来る私は世界一幸せだ。
「フィン、愛してる。今までも、これからも・・・・・・ずっとよ・・・・・・」
ゆっくりと目を閉じたフィンの、握った手から力が抜けていく。
私は、私の涙で濡れたフィンの頬にお別れの口付けをした。
少し微笑んだフィンの髪を銀の月明かりが煌めかせてる。
私は子供の頃に絵本を読んでいる途中で寝てしまったフィンにそうしたように、起こさないようフィンの髪を優しくそっと指で髪を梳いた。
「フィン、おやすみなさい―――」
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作者の拙い文章を最後までお読み頂き有難うございました。
本編はここで完結となります。
また、星を入れて頂いた方、応援して頂いた方、コメントをしてくれた方、本当に有難うございます。
応援して下さる方や読んでくださる方がいてくれたおかげで、何とか完結することができました。
近日中にエピローグを書いて終わります。
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