第21話 追憶のセシル②

私とお父様がこの6階層の家に移り住んでから、三か月程経った頃だった。

その日も朝起きて身支度を整えるとそのままフィンの家に行き、フィンと二人で朝食を取る。

朝食後、今日は何をしようかとフィンと話していたら、何かを思いついたフィンは自分の部屋に戻り、一冊の絵本を大事に抱えて戻ってきた。


「セシルは字、読める?」

「字?うん、読めるけど?」


私はお屋敷に居た頃、毎日勉強をしていたので絵本くらいなら読む事ができた。


「この絵本を読んでくれないかな?」


フィンはそう言うと、大切そうに抱えた一冊の絵本を私に差し出した。


「お父さんが居なくなる前にくれた大事な絵本なんだけど、僕はまだ字を習ったことがなくて読めないから・・・・・・」

「お母様は読んでくれないの?」

「うん。でもこの前もお願いしたら「セシルちゃんにお願いしてみなさい」って」

「そう。いいわ、一緒に読もうか!」

「やった!セシル、ありがとう!」


そうして二人イスを並べて絵本を読み始める。

タイトルは「竜に攫われたお姫様」。

内容は悪い竜に攫われたお姫様を一人の男が救い出し、英雄となったお話し。

今までたくさんの絵本を読んできた私からすれば、ありふれた普通のお話しだったけど、私が読むたび、ページを進めるたびに、フィンはキラキラした目で絵本と私を交互に見つめ、そのお話しに夢中になっていった。

そんなフィンの様子に私も嬉しくなり、丁寧に、ゆっくりと読み進める。

その絵本はお話しは普通だったけど、絵が凄く綺麗で、私が今まで読んだどんな絵本より素晴らしい絵が続いていたので、いつしか私も夢中になっていた。

絵本に描かれているお姫様と救い出した男が銀髪だったことも私が夢中になった理由かもしれない。



それからは毎日二人で竜の絵本を読んだ。

フィンはどこに行くにも毎日その絵本を持ってきたけど、結局、乱暴に扱わないか心配になる私が持つ羽目になった。

フィンは何回読んでも初めて聞くお話しのように目を輝かせて夢中になり、読み終わった後は満足そうな笑顔を私に向けてくる。

月の明るい夜は二人でベッドに潜り、窓からの月明かりを頼りに何回も読んでるうちに、私もフィンもいつの間にか朝まで眠ってしまう。

そんな毎日を過ごしていると、私はもう絵本を見なくても一言一句間違えることなく暗唱できるようになっていた。


ヨルマに会ったのもその頃で、私は初めヨルマの事はあまり好きではなかった。

初めて会ったのは確かフィンと一緒に共用井戸に水汲みに行った時だと思う。

ヨルマも何人かの友達と来ていて、大人しいフィンを少し小馬鹿にしたような態度をとっていたので、頭に来た私は私にも話しかけてきたヨルマを無視してさっさと水を汲むとフィンの手を引いて帰った記憶がある。


多分それからだろう。私とフィンが出かける度にヨルマに会って、ヨルマが私達についてくるようになったのは。

ヨルマは初めの頃こそ時々フィンを子分扱いしたり、バカにする様なことを言ってきたけど、その度に私が文句を言ったりフィンを連れて帰ってしまったりしてるうちに、フィンをバカにするようなことは無くなっていったので、いつからか時々三人で遊ぶこともあった。


そして、私が今でも毎日、その日から毎日思い出す出来事があったのは、フィンと出会って1年半程すぎた、ある初秋の日だった。


太陽の日差しはまだ暑いけど、ときどき通り過ぎる風が清々しい午後、私とフィンは帝都のすぐ外にあるお花畑が満開なのを聞いていたので、そこで絵本を読もうと歩いていた。

もうすぐ帝都から出る所まで来たとき、後ろから走ってきたヨルマに声を掛けられ、これからお花畑に行くことを教えると、ヨルマは森へ行こうと誘ってきた。

その森には私も何回か行ったことがあるけど、少し遠いので今から行っても帰りは日暮れギリギリになってしまうかもしれない。

私もフィンも少し迷ったけれど、そんなことをお構いなしに森の方へどんどん歩いていくヨルマに引きずられるように、結局森へ来てしまった。


森へ着いてからもヨルマは一人でどんどん先に行ってしまい、運動の苦手な私は絵本を持っていることもあり、フィンに手を引かれて少しずつ森を進んだ。

どれくらい歩いた頃だろうか。ふと見上げた木々の隙間から見える空はオレンジ色に染まっていて、遠くから私達を呼ぶヨルマの声も聞こえなくなっていた。


すぐに引き返そうと元来た道を戻り始めたけど、どこまで行っても見覚えのない場所が続いている。

私達は完全に迷ってしまった。

すでに薄暗くなっている森の中でどっちから来たのかも分からなくなっていて、ときどき草むらから聞こえる小動物が動く物音にもビクビクしてしまう。

その時、半分泣きながらどうしたらいいのか分からなくなってしまった私の手をフィンがギュっと握ってくれた。


「大丈夫、セシル。大丈夫だから」


そう言って私を見つめてくるフィンの顔は疲労が見えるものの泣いたりはしていなかった。そんなフィンの様子をみたら私も少し落ち着いてくる。


「暗くなった森の中で動くのは危ないから、取りあえず風が来ない場所を探そう」


フィンは私の手を引いて、少し離れた場所にある大きな木に向かって歩き出した。


ようやくその大きな木にたどり着いた時は、辺りも大分暗くなっていた。

見上げてもてっぺんが見えない程のその大きな木の根元には大人でも3、4人は入れそうな大きなうろがあった。


「動物もいないし、ここなら寒さも凌げそうだよ」


フィンに手を引かれて入った洞は落ち葉が敷き詰められ、雨や風か吹いても大丈夫そうだ。二人で寄り添うように腰を下ろすと、


「取りあえず朝になるまでここに居よう。朝になれば誰かが捜しに来てくれるはずだから。僕も一緒だから。だからセシル・・・・・・安心して」


その言葉で緊張の糸が切れた私は泣き出してしまった。


あぁ、やっぱりフィンは・・・・・・私の知っているフィンはいつもこうだ。

大人しくて優しいフィンは普段は頼りなく見えて、私も時々弟扱いしてしまう時もあるけれど、昔ヨルマがからかっていたような弱虫や意気地なしなんかじゃない。

私が本当につらい時や悲しい時には必ず傍にいてくれたフィン。

私が困っている時には必ずフィンが手を引いてくれた。

何時からだろう、そんなフィンの事を大好きになっていたのは。


気が付いたら私はフィンの胸に顔を埋めて大声で泣いていて、そして、今まで胸の中に仕舞っていた感情をフィンにぶつけていた。


小さかった時の楽しい思い出。

お母様が居なくなった夜の事。

毎日泣いて暮らしていた事。

もう二度とお母様に会えないかもしれないと考えてしまうこと。


フィンは何も言わずにそんな私を優しく抱きしめていてくれた。

どのくらい泣いていたのか分からないけど、すべてをフィンにぶつけてしまった私はいつの間にか涙も止まっていた。


「セシル・・・・・・絵本、読んでくれないかな?」


私が持っていた竜の絵本を開いてフィンは言った。


洞から見上げた空にはいつの間にか大きな満月が昇っていて、私とフィンを明るく照らしていた。


深呼吸して、そして私はいつものようにゆっくりと絵本を読み始めた。


読み進めて行くたびに、また少しずつ涙が溢れてきてしまう。

でも、さっきまでの涙とは違う、一文字声に出すたびに心が晴れていき、幸せな気分で満たされていくそんな涙。


泣き声で、とうとう声が出なくなった私の代わりにフィンがゆっくりと続きを読み始める。


私達は何回も竜の絵本を読み続けるうちに、いつの間にか眠ってしまった。



翌朝、まだ空が白み始める前、遠くから私達を呼ぶ声で目が覚めた私達は無事保護された。

私達とはぐれたヨルマが、私達が先に帰ったと思い、一人で家に着いたのは夜も大分遅くなった頃だったらしい。

そして、夜も更けた頃に仕事から帰ってきた私のお父様とフィンのお母様が、私達が居ないのに気づき、ヨルマの家を訪ねたことで事態が発覚したそうだ。


私とフィン、そしてヨルマはたっぷりと怒られ、当分帝都の外に出ることを禁止されてしまったけど、私はなぜか楽しくてしょうがない気分だった。

お母様が居なくなってから、初めて心から楽しいと思えるようになったのは全部フィンのおかげだった。

その時からかもしれない、私がフィンの為に何でもしたいと思うようになったのは。



それからの私は幸せだった。

フィンとずっと一緒に居られて、毎日絵本を読んで、一緒に食事をして、時には一緒に眠ったりもした。


だけど、そんな幸せもあっけなく終わりが来てしまう。

あの日、森で迷った日から半年後の春。私もフィンも9才になったばかりのある日。


その日、お父様に珍しくお休みになったと言われ、6階層に来てから初めてお父様とお出かけすることになった。

5階層のお店を色々見て廻り、新しい服や本も買ってもらった。

そして、ある小物屋さんで飾られていたブローチ。

シルバーでできていて、小ぶりだけれど私の瞳と同じ淡いグリーンの宝石が散りばめられたそのブローチに目が釘付けになった。

そんな私の様子を見ていたのか、その後の久しぶりのレストランでの外食の時、お父様がさっきのブローチをプレゼントしてくれた。


「少し遅いけど、セシルの誕生日プレゼントだよ。それに今まで寂しい思いを一杯させてしまったお詫びも兼ねてね」


私は嬉しくてお店の中にも関わらずお父様に抱き着いて頬にキスをした。





次の日の朝、お父様はベッドの中で冷たくなっていた。


ベッドサイドのテーブルには私宛、フィンのお母様宛ての手紙があり、私宛の手紙には、私への謝罪とお母様の後を追う事、この後の私の事は親戚に頼んであるから心配しないように。などが書かれていた。

私を迎えに来たフィンが私とお父様の様子を見て、近所の人を呼んでくれたらしい。

暫くすると、フィンのお母様が仕事から帰ってきて、それからは全部やってくれた。

私はフィンにずっと手を握られたままボーっとしていることしか出来なかった。


次の日にはお父様のお葬式が行われ、お父様の頬に最後のキスをした。

そして、お父様のいなくなった家に帰った後、フィンのお母様に、夕方には私の親戚の人が迎えに来ることを告げられ、荷物を纏めるように言われる。


そこで私は初めて涙が出てきた。

フィンのお母様に抱き着いて、縋って泣いてしまう。

フィンのお母様の所に、フィンと一緒に居させて欲しいと。

フィンと一緒に居られるのだったらどんなことでも、なんでもするから、と。


フィンも私の手を握りながら、一緒に泣きながら、私と居たい事、何でもすることを訴えてくれた。

フィンのお母様はそんな私達を抱きしめてくれて、私の頭を優しく撫でながらこうおっしゃった。


「セシルちゃん、フィン、大丈夫よ。今は辛くても大丈夫だから。もうあなた達は出会っているんだもの。必ずまたいつか会える日が来るわ。あの人がそう言っていたもの」


私にはフィンのお母さまが言っている言葉の意味が良く分からなかったけど、フィンとのお別れが近づいている事だけははっきりと分かってしまった。


夕方頃、初老の男性と若い女性が家を訪ねてきた。

その二人はこれから私が身を寄せるお家の執事さんと侍女だと名乗った。

お父様の旅行鞄に着替えや最後に買ってもらった服や本、お母様からの封筒を入れ、最後にブローチを付けた私はフィンとフィンのお母様に最後の挨拶をする。


「・・・・・・セシル、これ」


私の前に立ったフィンが差し出してきたのは竜の絵本だった。


「だめよ、だってこれはフィンのお父様の―――」

「いいんだ。セシルに持っていてもらいたいから。それにお母さんが言っていたようにまた会える日が必ず来るから。その時まではセシルが・・・・・・」


私の手を取り、絵本を渡してきたフィンの顔は今にも泣きそうで・・・・・・多分私も同じような顔をしていただろう。


それでも最後はしっかりしなくちゃと、フィンのお母様にお礼を言い、最初は絶望し、最後は楽しい思い出が詰まった、お父様と2年間暮らした家を後にする。


外にはお世話になった近所の人たちが何人かいて、お別れの言葉を掛けてくれた。

遠くにはジッとこっちを見ているヨルマもいた。


今にも雨が降り出しそうな曇天が覆いかぶさる初春の空気は冷たく、吐く息が白く昇っていく。


お迎えの人たちに促され、私は歩き出す。

2年間の思い出とフィンのいるこの街を後にして。


「セシルーーー!」


振り向かないと決めたけど、思わず、少しだけ振り向いてしまう。


お母様に抱きしめられ、泣きながら私の名前を叫び、手を伸ばすフィンが映る。


「フィン・・・・・・」


それでも私は前を向くと、竜の絵本を抱きしめながら涙で見えなくなった空を見つめ歩き続けた。


「さようなら、フィン。・・・・・・またいつか会えるよね」


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