第37話 出発準備

「真奈、映画や漫画を思い出せ。パニックものでもアクションものでも戦争ものでもなんでもいい。『これが終わったら結婚するんだ』とか、『故郷に帰るんだ』って言ったやつはどうなった?」


 真奈の両肩を掴んで真剣に問いかける。

 きょとんとしているから、俺の言いたいことは全く伝わっていないな。


「じゃあサスペンスはどうだ。殺人容疑をかけられている被疑者が何故か警察ではなく、主人公とはいえ事件を追っている一般市民に『証拠を見つけた』とか、『犯人が分かった』と電話してきて会う約束をしたら、そいつは翌日にどうなっている?」

「?」


 どうしてピンと来ないんだ!?

 二時間ドラマ好きだった久我母とテレビ番組の話をよくしていただろう!?


「警察に捕まっちゃう?」

「なんでだ! 違う! 大体次のシーンはパトカーのサイレンから始まるだろ! 十中八九殺されているんだよ!」

「そ、そうなんだ。でも……これって何の話?」

「死亡フラグの話だよ!」

「死亡!? どうしてそんな話に?」

「どうしてって……真奈のさっきの『戻って来たら話がある』っていうのは完全にフラグだぞ! さすがに死亡フラグではないと思うけれど、絶対良くないことが起きる!」

「ええええ!?」


 いいリアクションをありがとう。

 映画や漫画の例えが通じないのに、反応は漫画みたいだったぞ。


「その話ってなんだ? 今話してくれ」


 話は長くなるかもしれない。

 ソファに移動して腰を下ろす。

 真奈を見るとソファにはついて来ず、窓際に立ったまま目をキョロキョロさせていた。


「で、でも……心の準備が……」

「一分待つから今してくれ」

「一分!? そんなの無理よ! 女神様に確認したいこともあるし、とにかく戻って来てからがいいの。そんなに長くいないわけじゃないでしょう?」

「まあ、そうだけど……。後から聞いて手遅れになるような話じゃないんだな?」

「うん」


 勿体ぶられると気になるが、話してくれないわけではないから大人しく引き下がるか。

 本当にフラグが立っていたとしたら後悔するかもしれないが、まあ、フラグなんてネタだからな。

 実生活ではこんな分かりやすいフラグなんて立たないだろう。


「分かったよ。戻って来たら日本に帰っていていなかった、とかやめてくれよ」

「えっ」


 話は終わったと思い、立ち上がりながら零した俺の言葉に真奈は固まった。


「え? それ、どういう反応? まさか本当にいなくなるとか……」

「そ、そんなわけないでしょう! それより、城を出て何をしに行くの?」


 分かりやすい話のそらし方をした真奈に詰め寄るが、にこにこと愛想笑いを続けるだけだ。

 しばらくジロリと睨んだが、にこにこ顔は崩れない。

 話すつもりはないか。

 仕方がない。

 帰ってきたら話が聞けるというのを信じよう。

 それに俺も聞きたかったことを思いだした。


「真奈は赤潮とか白潮について分かるか?」


 突然話の内容が変わり、真奈はまたきょとんとしていたが、少しすると考える素振りを見せると答えてくれた。

 ……というか、さっきからきょとんとするの可愛いな。


「プランクトンが異常に増殖したことによる海の色の変化よね? 白潮はよく分からないけど、赤潮は生活排水とか工業排水の影響って習ったと思う」

「ああ。海が汚れているからって聞いた気がする。綺麗なところではあまり起きないって」

「あ、でも、塩分濃度とか水温の変化も影響するって聞いたかも?」

「塩分濃度……水温の変化…………あっ」


 塩分濃度と水温の変化という言葉、あと真奈の顔を見て思い浮かんだ可能性にサーッと血の気が引いた。


「まだ詳細は分からないんだけど、白潮が発生しているかもしれないんだ。雨が続いて水温が下がったから、とかじゃないよな?」

「えっ……」

「「…………」」


 目を合わせたまま二人で固まる。

 え?

 まさか?


「あ、違うよ! 私が降らせている雨は、元は女神様の力だから影響は出ないって言っていたし!」

「そうか! じゃあ、雨のせいじゃないな。よかった……」


 思わず安堵の息を吐いた。

 雨が降っているだけでも迷惑ではあるが、実害があるのとないのでは大きく違う。

 真奈が民から責められるようなことは避けたい。


「さっき泣くのはやめるって言っていたけど、本当にやめるんだな?」

「うん。頑張っているエドの邪魔をしないように、毎日良いお天気にするから。任せて!」


 真奈が気合を入れて微笑む。

 大丈夫そうだな?

 雨については心配なさそうだが……。


「天気が良いのは助かるけど、無理はしなくていいぞ? 離れていても真奈の機嫌が分かるのは便利だし。たまに降る雨は気持ちいいし」


 泣きたいときに泣けないのは辛い。

 今までは簡単に泣きすぎだったから「泣きやめ」と迫ったけど、本当に泣きたいときは泣いてもいい。

 精神状態を人に知られるというのもキツいだろうし、近くにいないから俺がフォローすることも出来ないし。

 とにかく以前のように、一人で抱え込むようなことはして欲しくない。

 そういうことを思って伝えたのだが、真奈はまた可愛いきょとんをしていた。

 おい、話をちゃんと聞いたか?

 そんな可愛い顔をしても俺が癒されるだけだぞ。


「エド大好き」

「はい?」


 どうしてここで突然の告白?

 何でもないフリをしているが、物凄くドキッとした。

 前世なら倒れていた。


「急に何だよ」

「私のことを気にかけてくれたり、無理をしないように逃げ道作ってくれたり――。そういうところが好き、って思ったの」


 へにゃりと顔を緩めて嬉しそうに笑う顔を見ると恥ずかしくなってきた。

 恥ずかしいというか、照れる。


「私、大丈夫だよ。今までいっぱい迷惑かけて甘えてきたけど、これからは自分のことは自分でしたいし、クリスタさんにも国のこととか、マナーとか色々教わっているの! 字も習っているからアストレアの字で手紙を書くね」


 クリスタと仲良くしているなと思っていたが、楽しくお話をしていただけじゃなかったのか。

 ハンナを困らせることもなくなってきたようだし、良い傾向だ。

 今までは真奈の悪いところが出ていたけれど、漸く良いところも出てきた。

 出てきたというより、出せる余裕が出来てきたのかもしれない。

 真奈が「困った聖女様」と思われるのは悲しい。

 このまま皆に真奈のいいところを知って貰えたらいいなと思う。


「行ってくるよ」


 離れることが心配だったけれど、杞憂だったようだ。


「いってらっしゃい。お見送りしたらついて行きたくなっちゃうから。ここで」


 真奈はそう言って手を振った。

 頷いてそのまま部屋を出る。

 扉を閉める前にちらりと真奈を見ると、またにこりと微笑んでくれた。

 微笑み返して扉を閉める。

 上手く説得出来るか不安だったが、気持ちよく「行ってくる」と言えてよかった。


「お話は済んだのですか? 早かったですね」


 真奈の部屋を出て廊下を少し進むと、俺を迎えに来たユーノと出くわした。


「良い子で待っていてくれるってさ」

「そうですか」


 興味なさそうにユーノが頷いた。

 喜びを分かち合えないこの仕様、なんとかなりませんかね。


「トロギールへ行く前に寄って行くところがある。あー……やっぱり城へ呼び出して欲しい」


 ユーノに指示を出し、俺は自室に戻ることにした。

 城を発つ準備はユーノが手配してくれているが、自分でも用意しなければいけないものもあるしな。




 しばらくすると待ち人が城にやって来たと連絡が入ったので、自室にいた俺は応接室へと向かった。

 ノックをして扉を開けると、中にいた待ち人はフォークを手にしたまま立ち上がった。


「んぐっ」


 出して貰っていたケーキを口いっぱいに頬張っていたようだ。

 口をもごもごさせていたが、必死に飲み込むとぺこりと頭を下げた。

 緊張しているのか、指先はピンと伸びているし、身体もガチガチに固まっている。

 その割にはケーキを堪能していたようだが。

 くすりと笑いながら声をかける。


「ケーキは美味かったか? ユリア」

「はい! ……え? クーガ先生!?」


 俺が呼びだしたのは孤児院のユリアだ。

 トロギールは港湾都市で商売も盛んだ。

 調査のついでに、以前考えていたクッキーについて色々調べたり試したりしてみたいので、ユリアを連れて行こうと思ったのだ。


「緊張しなくていいから。急に呼びだして悪かったな。孤児院まで行くと他の子も行きたいと言い出すだろうからさ」

「あの、私、王子様が呼んでるからお城に行けって言われて……」

「そうだ。目の前にいるぞ」

「え、ええええええ!?」


 ユリアは先程の真奈を越えるリアクションを取ってくれた。

 目は見開かれ、少しクリームのついた口もあんぐりと開いている。

 まあ、驚くよな。

 身バレの瞬間ってなんだか照れるな……。


「まさか、ユーノさんが王子様だったなんて!」

「そうきたか」


 確かにユーノはユリアの目の前にいる。

 正確にはユリアの目の前にいる俺の後ろだけどな。

 どうして俺を飛び越えた!

 言わなくても分かるけれどさ!

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