第21話 逃走

 この突然の悪天候は真奈の影響だとしか思えない。

 部屋にいる真奈に何かあったのかと思ったが……もしかして、近くにいる?

 キョロキョロと周囲を見渡し、姿を探していると女王が呼びかけた。


「聖女よ、いるのだろう。出てくるといい」


 廊下に女王の張りの良い声が響くと、後方からそろりと近づいてくる影があった。


「どうしてここに?」


 女王の呼びかけ通りに出てきた聖女様、真奈だった。

 何故ここにいるのだ?

 真奈は茫然とする俺をちらちらと見ている。


「さっき会った時、エドが怒っているように見えて……。何かあったのか、私に怒っているのか気になって追いかけたの」


 そういえば真奈と話をした後、部屋に戻ったかまで見なかった。

 怒りで興奮していたからか、ついて来ている気配にも気づかなかった。


「……エド、結婚するの?」


 目に涙を溜め、自分の手をぎゅっと握りしめながら問いかけてくる。

 激しい雨の音で真奈の声も聞き取り辛いが、その質問は聞こえてしまった。

 ……真奈には関係ないだろ。

 心がささくれ立つ。

 聞こえなかったふりをしようかと迷っていると、俺よりも先に女王が答えた。


「良い話ではある」

「!」

「母上!?」


 俺と真奈が同時に驚く。

 視界の端でクリスタがパッと明るい顔をしたのが見えて困惑したが……。


「エドワード」

「はい!」


 女王の厳しい視線に射抜かれていることに気づいて直立不動になった。

 どうして急にお叱りモードになったのだ。


「婚約者を見繕ってやると言う妾に、『妃は一人。自ら選んだ人がいい』とお前は譲らなかった。ならばその相手を早く連れて来い、と妾は言ったな? だがお前はいつまで経っても連れて来ず、婚約者の候補すらいない有り様! 侍従を連れてあれこれやっているのは結構だが、女の気配が全くせんではないか!」

「返す言葉もございません……」


 この歳で結婚相手を連れて来るなんて無理だ! と思うが、この国では十代で結婚が決まるのは不思議ではない。

 女王から度々圧を掛けられて縮み上がるが、待ってくれているだけでもかなり譲歩して貰っていることは分かっているから何も言えない。


「すぐに伯爵令嬢クリスタ・ベルネットをエドワードの婚約者として認めよう」


 何も言えない…………のだが、結婚するならどうしても自分で選んだ人と二人きりの夫婦になりたい。

 前世での悔いがあるからこれは譲れない。

 でも王族である限り我がままばかり言っていられない。

 俺という存在が王家にとってマイナスになるのならば廃嫡して貰い、城を出てもいいかな――。


「……と言いたいところだが、お前の身柄は聖女に預けた」

「はい?」


 色々真面目に考えていたのに、意味不明なことを言われて思考が停止した。

 身柄は預けた?

 いやいや、俺は犯罪者にでもなったのか?

 全身に『?』を浮かべて女王を見ると、美貌が輝く素晴らしい笑顔を向けてくれた。

 母でなければポッとしてしまいそうだ。

 今はゾクッと背筋が凍っているが……。


「お前は正式に聖女の世話係になった。協力して貰う代わりにおまえのことは好きにしていいと言っている」

「……あの、更によく分からないです。どうしてそんなことに?」


 人身御供じゃないんだから、好きにしていいと勝手に差し出されても……。


「朝の話し合いで決まってな。聖女は伴侶として誰かを受け入れることはしないが、こちらの世界での暮らしを支える世話係なら――それがエドワードなら正式に受け入れるという。……聖女がお前を必要としている間は廃嫡してやらんし、王家から名を抜くことも許さん」


 後半の釘をさす言葉は、俺にだけ聞こえるように囁かれた。

 どうやら俺の考えなどお見通しだったようだ。


「お前の身柄はお前のものではない。だから聖女の意見も聞かぬとな。聖女よ、こちらの娘がエドワードの妃になることを望んでおる。聖女の世話をすることに支障は出ぬだろうし、婚約者として認めてもよいか?」

「…………っ」


 女王の問いかけに真奈はぐっと唇を噛んだ。

 雨は相変わらず激しく降っている。


「聖女様。お目にかかれて光栄です」


 クリスタの声かけに真奈がビクリと身体を震わせた。


「クリスタ・ベルネットと申します。エドワード様の隣に立つことを、どうかお許し頂けないでしょうか」


 真奈の方へ身体を向けたクリスタが綺麗な礼をし、頭を下げたまま真奈の言葉を待っている。


 いやいや……だからどうして俺を無視して話が進むんだ!

 慌てて真奈とクリスタの間に入る。


「ちょっと待ってくれ、俺は婚約者なんていらない! クリスタは急にどうしたんだ!?」


 頭を下げるのを止めるようにクリスタの腕を掴むと、にこっと微笑んだクリスタが内緒話をするように身体を寄せてきて、小さな声で「にゃあ」と鳴いた。

 ……はあ?

 思いきり顔を顰めてクリスタを見るとまた「にゃっ」とこっそり鳴いて笑った。

 いや、「ふふふ」じゃなくて……って、にゃあ? 猫?

 もしかして……クッキー?

 ちょっと待ってくれ、クッキーのことが気に入って婚約者になるとか言い出したんじゃないだろうな!?


「エドワードは黙っておれ、お前に発言権はない。下がれ!」

「名前で呼んでる……触った……近い……仲良い……ふええぇ」


 お怒り気味の女王に叱られて俺は萎縮するし、真奈は何かぶつぶつと呟いて俯いてしまう。

 イーサンとカリーナはもう俺達のことには興味はないのか、ちょっと良い感じで話をしている。

 カリーナは元から「イーサン、イーサン」うるさかったし、イーサンも王子という肩書きに関係なく慕ってくれた美人に調子が出てきたようで、もう腰に手を回している。

 ユーノはいつものクールビューティーな真顔で控えていて、当たり前だが加勢してくれる気配はない。

 クリスタは目が合うとにこりと笑い、隙があれば「にゃあ」と口が動いている。

 なんだこのカオスな空間は……。


「……いっ」


 真奈が何か言葉を発した。

 それと同時にまた雨が激しくなる。

 皆の視線が真奈に集まる。


「……いいよぉ」


 鼻を啜りながらの小さな声だったが聞こえた。

 それは先程の問いに対する答え、クリスタを俺の婚約者にしてもいい、ということか?


「今の…………邪魔、しちゃ……だめ、だから」


 シクシク泣き始める真奈を見て顔を顰める。


「……どうして泣くんだ」


 泣きながら! 雨を降らしながら! 悲しんでいるように見せながら俺の結婚について勝手に決めるな!

 伴侶の話は断ったのだろう?

 今の俺は真奈と無関係だろう?

 だったら前世の俺のことを、今の俺のことをどう思っているのかわけの分からない行動をとるな!

 本当に苛々する。

 それに……真奈に泣かれるのは本当に嫌なのだ。


「真奈様、泣かないでください。雨が降りますから……」


 ハンカチを取り出し、真奈に渡す。

 真奈が来てからは欠かさず持つようになった。


「ごめん、なさいっ。ちゃんと、するから……」


 真奈が受け取ったハンカチで目を押さえていると、雨がゆっくりと小降りになってきた。

 感情をコントロールしているのだろうか。

 抑えることが出来るようになったのであれば良い傾向だ。

 だが、今は目の前の問題が先である。


「真奈様、俺は自分で選び――」

「聖女様もエドワード様をお慕いしていらっしゃるのですか?」

「!」


 向かい合っている俺と真奈に問いかけてきたのはクリスタだ。

 突然放り込まれた爆弾に真奈は固まった。

 何故か俺も焦ってしまう。

 だがクリスタはそんなことには気づかないようで更に質問を続けた。


「エドワード様の伴侶——婚約者になることは拒んでいらっしゃるのですよね? 何か事情がおありなのでしょうか」

「そ、それは……その……」

「もしや……女神の使いであるがゆえ、伴侶にはなれないのでは?」


 あたふたする真奈にクリスタはグイグイ迫っていく。

 どうしたクリスタ、何のスイッチが入ったのだ?

 クリスタは真奈の手を握ると、真っ直ぐ目を見て力強く伝えた。


「わたくし、聖女様の前に出るようなことは致しません。聖女様と共にエドワード様をお支えできるのであれば光栄です!」


 雨は殆ど止んでいるが風が吹き、木々がざわざわと揺れた。


「私……違っ、まだ分からなっ……」

「何も心配することはございません。わたくしは聖女様もお支えします」

「…………っ」


 言葉を詰まらせる真奈の目にはジワジワと涙が浮かんで行き……。


「良いこで……どうしよ……良い子だよお!」


 謎の言葉を残すと、自分の部屋の方へ走り去ってしまった。


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