第20話 婚約者

 コンコンと部屋をノックするがイーサンは現れない。

 だが部屋の中に気配はある。

 絶対にいる!


「兄上! イーサン兄上!」


 ドンドンドン! と扉を殴るように叩くがまだ反応がない。

 あの筋肉達磨め、無視するとは耳まで筋肉になったか!


「兄上! セクハラ筋肉! 脳筋! 女性の敵!」

「ふざけんな! ぶっ飛ばすぞ! うるせえ! お前に用はねえ! 失せろ!」


 やっと反応があった。

 聞こえているならさっさと出て来い。


「俺は用があります! 大事なことです! カリーナとクリスタのことです!」


 ――ガタンッ


「?」


 誰もいない廊下から音がした。

 見渡してみると外の木が揺れていて、窓もカタカタと音を立てていた。

 ……ただの風か。


 そんなことより馬鹿兄を早く引き摺り出し、カリーナとクリスタの前に連れて行かなければ。


「脳筋兄上出てきてください! あなたが二人に頼んだこと、全て母上に報告しましたからね!」

「誰が脳き…………なんだと!?」


 扉がバンッと開き、ようやくイーサンが姿を現した。


「兄う…………え……」


 話しかけようとしたところで部屋の中にいる人と目が合ってしまった。

 朝少し話した真奈のメイド、シーナだった。


「エ、エドワード様! 違うんです! 私、ちょっと手伝ってくれって……!」


 メイド服が少しはだけているので、何をしていたかは説明して貰わなくても分かる。

 口説いて聖女の情報を聞き出したりしていたのだろう。


「……何やってんですか、兄上。万年発情期ですか」

「ああ!?」


 強引に連れてこられたのかもしれないが、シーナには早く戻らないと職を失うぞと脅してお引き取り頂いた。

 これも一応報告しておいた方がいいだろうし……頭が痛い。

 額に手を当てて溜息をついているとイーサンが目の前に立っていた。


「何を報告したのか知らないが、オレはカリーナとクリスタをお前に紹介しただけだぜ? それより、カリーナとクリスタはどうだった? 今日は一日楽しんで来たんだろう?」


「話をしただけだ」と反論しようとしたところで、ガタガタッと窓が激しく鳴った。

 風が強い。

 ……まさか、真奈に何かあったのか?

 アルヴィンが押しかけてきたとか!?

 振り返って真奈の部屋の方を見るが……静かだ。

 真奈の感情とは関係ない自然現象の突風だったか。

 最近自然現象には過敏になり過ぎているな。

 イーサンの方へと向き直す。


「二人は兄上の婚約者候補でしょう。彼女達の気持ちを道具のように利用するのはやめてください。慕っているあなたに俺のところに行けと言われてどれだけ傷ついたか……」

「だったらそのままお前が慰めてやればいいだろう? なんだ、男として自信がな……ぐっ!」


「慰めてやれ」だなんて、二人を軽視する侮辱の言葉を聞いた瞬間カッとなった俺は、目の前に立つイーサンの高い鼻目掛けて頭突きをしていた。

 殴り合いなら負けるが、頭が硬い俺は頭突きでなら勝つ!


「あなたと言う人は……。脳筋なだけだと思っていましたが……失望しました」


 鼻を手で押さえ、痛みと戦っているイーサンに侮蔑の目を向ける。

 脳が筋肉なだけでいいところもあると思っていたが、俺の目は曇っていたらしい。


「お前に何と思われようが知ったことか!」


 怒りに任せ、イーサンが殴りかかってくる。

 おう、上等だ!

 勝てる気はしないが、なんとかもう一発頭突きを入れて鼻をジグザグに曲げてやる! と勇んでいたら――。


「妾も失望したぞ」


 背後からかかった声に振り向く。

 するとそこには三人の女性の姿があった。

 その後ろにはユーノと護衛の騎士の姿もある。


「母上! カリーナとクリスタも! どうしてここに?」

「妾が立ち入りを許可して連れて来た。ユーノの報告を聞いてな。当事者たちもいるというから、まとめて話を聞こうとしたのだが……。イーサン、お前はどうしたというのだ。お前に期待している父も泣くぞ」

「母上! 聖女のことは兄上よりオレに任せてください! オレの方が女の扱いが上手い!」


 イーサンの直談判に女王が真顔になった。

 女王が本気で怒った時の顔だ。

 俺は知らないからな……と、逃げたくなったと同時に女王の怒声が響いた。


「女の扱いが上手いなど、どの口が言うのだ!! ここにお前の浅はかな考えに傷つけられた娘がいるではないか!!」


 女王の覇気に自然と直立不動になる。

 怖い。

 俺は絶対に怒らせないぞ。

 怒りをぶつけられたイーサンは大きな体を小さくして狼狽えている。


「は、母上! そんなことはありません! その女もどうせ、オレが王子だから近づいてきたにすぎないのです。傷ついてなど……」

「それは違います!」


 今まで申し訳なさそうに大人しく立っていたカリーナが声をあげた。


「わたくし、パーティーでイーサン様と踊って頂いたことがあるのです……」


 前に出てきたカリーナが話し始めたのは、彼女がイーサンと初めて会った時のことだった。

 それは国主催でのパーティーでの出来事――。


 大きなパーティーは初めてだったカリーナは、とても緊張していて場に上手く馴染めずにいた。

 そんな時に声を掛けてくれ、ダンスに誘ってくれたのがイーサンだった。

 嬉しかったがまさかの王子様からのお誘いに更に緊張してしまったカリーナは、踊っている最中に躓いてしまった。

 転びそうになったところをイーサンは紳士的に助けてくれたらしい。


「イーサン様はステップを崩さぬまま、わたくしをふわりと浮かせてくるりと周り、見事なターンに変えてくださったのです。そしてわたくしの踊るさまが蝶のように可憐だったから、ひらりと舞って飛んでいくのではないかと遊んでしまった、と仰ってくださったのです。わたくしのミスを許してくださっただけではなく、そのように気遣ってくださって……」

「多分それ、別人だと思いま…………黙ります」


 我慢できずに思わず口を挟んでしまった俺に女王が「口を縫うぞ」という視線を向けて来たのでお口をチャックした。

 でも絶対別人……。


「そのお人柄、わたくしを軽々と浮かせてしまう逞しさに、わたくしは心を奪われてしまいました。イーサン様……あの日からずっと、お慕いしております……」


 そこまで話すと、カリーナはぽろぼろと涙を零し始めた。

 ちゃんと想いがあるのに目の前で権力目当てで近づいたと言われ、更に傷ついただろう。

 イーサンもかなりバツが悪そうだ。


「蝶……瑠璃色のドレスを着ていた、あの時の子か」


 イーサンの記憶に思い当たるものがあったらしい。

 本当にイーサンなのか?


「……あなたの気持ちを踏みにじるようなことをしてすまなかった」


 俺だけはまだ疑いの目を向けていたのだが……イーサンが謝った!

 こんなに素直に謝っているところは見たことがない。


「俺にも謝ってください」

「迷惑をかけた。……悪い」


 イーサンが俺に素直に謝った!

 絶対に言わないだろうと思い、便乗したのだが……。

 俺が記憶しているかぎり、イーサンが俺に謝るときはいつも女王の目があるから嫌々仕方なく言っている。

 でも今はそういう気配はない。


「イーサン、お前の婚約者として正式に決まっているのは一人だな?」

「はい」


 イーサンは確か……。

 騎士を多く輩出している公爵家の令嬢との婚約は決まっているが、更にカリーナとクリスタを含めた何名かもまだ候補としてあがっている状態だったはずだ。


「ではこの二人を正式に婚約者として加えるように」

「女王陛下!?」


 カリーナが涙が止まるほど驚いている。

 俺も驚いた。

 候補の中にはもっと爵位が高く王家としても繋がりが欲しい家の令嬢もいる。


「……分かりました」

「そしてアーレンス家、ベルネット家の令嬢。聖女の件、周知されるまで黙っておくように」

「しょ、承知しました……」


 なるほど、口封じも含まれているのか。

 あとイーサンに責任を取れということなのだろう。


「恐れながら陛下、発言の機会を与えて頂いてよろしでしょうか」


 恐る恐る声をあげたのはクリスタだ。

 感情的なカリーナとは違い、ずっと静かだった。


「ベルネット家の令嬢。許す」

「……ありがとうございます。わたくしにはカリーナのような想いはございませんでした。ですがイーサン様の婚約者に加えて頂ければ、我がベルネット家には名誉となります。わたくしは利益を考え、イーサン様のお話を伺っただけに過ぎません。ですから、純粋な思いがあったカリーナと共に正式に婚約者として加えて頂くわけには参りません。恐れ多いことではございますが、辞退させて頂くことをお許しください」


 やはりクリスタはイーサンが好きだというわけではなかったか。

 ずっとカリーナと熱の差があったし、イーサンについても頼まれたこと以外話していなかった。


「辞退することは構わない。だが、家の利益を考えてイーサンの馬鹿に付き合ったというのに、不本意とはいえ得られた利益を捨ててしまって良いのか?」

「それは……」


 クリスタと目が合った。

 え、何?

 何か打ち合わせしていたようなことがあっただろうか。

 いや、ない……はず。


「……身に余る光栄を辞退しておきながらこんなお願いをするなど、厚顔無恥であると重々承知の上で申し上げます。わたくしをイーサン様ではなく、エドワード様の婚約者にして頂けないでしょうか」


 …………は?

 俺?

 急に名前が出てきてびっくりした。

 思わずクリスタに向けて自分を指さして首をかしげてみると、にこっと笑顔を返されてしまった。


「いやいや、クリスタ。何を言って……」


 ――ズドオオオオオオオオンッ


 突然の落雷。

 地響きで城が揺れる。

 近くに落ちたのか!?

 動揺している内にザーッと雨も降り始めた。

 バケツをひっくり返したような豪雨だ。


「まさか」


 突風に落雷、そしてこの土砂降りは……。

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