第29話 お叱り
また最初からやり直すことが出来たら――。
久我遥真ではない、今の俺のことも好きになってくれたら……そう思った。
俺と真奈はなんだかんだとあっても、最終的には意思疎通が出来ていたと思う。
だから「そうだね。また最初からよろしくね」、そんな言葉が聞けると思っていたのだが……。
「最初から? どういうこと?」
真奈は見るからに困惑していた。
「遥との思い出を捨てろってこと?」
「え? いや、そういうことじゃなくて……」
俺の言いたいことは伝わっていないようだ。
どう説明したらいいのか。
「今の私のままじゃ駄目ってこと? 私も転生にすればよかった?」
「真奈?」
転生にすれば?
ブツブツと呟く真奈の口から気になる単語が聞こえたが、今は話を聞くより落ち着かせた方がよさそうだ。
顔色は悪いし、両手で顔を覆ったり頭を押さえたりしている。
「どうした? 大丈……」
「確認しなきゃ……もう寝る!」
「え!?」
「私、寝るから忙しいの! 皆出て行って!」
突然寝ると言い出した真奈に追いやられ、全員部屋を出た。
パタンとしまった扉を見ながら呆然とする。
「急に寝るなんてどうしたんだ?」
「聖女様もゆっくり考える時間が欲しいのでしょう」
今日は色々話したし、そうかもしれない。
伝えられなかったことはまた今度話せばいいか。
帰る途中だったというクリスタは再び帰っていった。
俺も部屋に――。
「では、私の部屋に行こうか」
語尾にハートマークがつきそうなテンションで声をかけてきたルーカスに腕を組まれ、そのまま連行される。
「え? 俺もゆっくりしたいのですが」
「駄目だ。今日は帰さないぞ」
この台詞にこの状況。
相手が美女ならドキドキするが、残念ながらルーカスなので違う意味でドキドキしている。
ルーカスとアルヴィンは俺と真奈の話を聞いていた。
研究馬鹿と言っても過言ではない人だから、前世を覚えている人間に興味が湧いたはずだ。
嫌な予感しかしない。
「さあ! お楽しみの時間だ!」
ルーカスの部屋に入り、テーブルを挟んで向かいソファに座る。
アルヴィンは俺の向かいに腰を下ろしたが、ルーカスは俺の隣に座った。
「聞きたいことが山ほどあるんだ。君の身体で体験していない経験があるというのは、どうなっているのだろう。女神の御業を解析するのは無粋かもしれないが実に興味深いね」
「ルーカス様、近いです」
興奮しているルーカスの鼻息がかかりそうな距離まで詰められたので両手でブロック。
「頭の中のどの部分にどういう風にして記憶は継承されたのだろう。エドワード、君の頭を一度開いてみてもいいかい?」
「サイコパス」
「うん?」
「駄目です。いいですよ、と言うわけないじゃないですか」
「そうかな? じゃあ、麗しの妻に聞いてみよう」
「母上に聞いても駄目です! 頭を開かれたら死にますから!」
「生かしたままことを終わらせる自信はあるのだが……しかたない。君が不慮の事故で死んだら死体を私にくれるよう頼んでおこう」
「それ、絶対に本人の目の前で言ってはいけないやつです」
世の中何が起こるか分からないが、ルーカスよりは長生きしよう。
「一度滅んだ肉体から記憶を継承させる術があるのなら、とても素晴らしいことだけど、恐ろしくもあるね」
「はい?」
ルーカスが人差し指で俺のコメカミをトントントンとリズミカルに突いてくる。
鬱陶しいし地味に痛い。
「記憶と人格を残すことが出来るのなら、それは人間がついに不死を手に入れたということにならないか? 意図的に出来るなら凄いよねえ」
『不死』は漫画や映画ではよく扱われていた。
でも、不死に関わった人はどの作品でもハッピーなエンディングを迎えていなかった気がする。
だからか不死なんて単語からは不穏な空気しか感じない。
思わず顔をしかめたが、ルーカスのご機嫌な語りは続く。
「でも、生まれてくる子供の全てが誰かの記憶を継いでいるとなったら、どんな事態が起きるだろう。かつての家族、恋人を探す者は多いだろうね。生まれた子供が歩けるようになった途端、前世の大切な人を求めて生みの親元から去る事態が続出するかもしれない。新たな家族を構築していくのは難しくなりそうな世界だねえ。潰えた夢を再び追いかける者、生前の研究を続ける者もいるだろう。色んな技術が進歩しそうだけれど、禄でもないことも起きそうだ! 転生した回数で階級が生まれるかもしれない。前世の記憶がないものは差別を受けたりするかもね。アドバンテージがない者が上に行くのは難しいだろう」
禄でもないことが起きると言いながらどうしてそんなに楽しそうなのだ。
というか、コメカミトントンをいい加減やめて欲しい。
低温火傷のような微弱脳震盪になりそうだ。
「ルーカス様、やめてください」
「やめる? 話を? 突くのを?」
「両方です! それと……」
ルーカスの指先よりも鋭い視線が真正面か飛んできていて、俺の顔に突き刺さり続けている。
真奈の部屋にいた時からずっとそうだ。
「兄上はどうしてそんなに不機嫌なのですか……痛っ」
話しかけた瞬間、間にあるテーブルを蹴られた。
高級感のあるテーブルだが思いのほか軽かったらしく、斜めに動いて俺の足に激突。
上手くルーカスを避けているし、強い悪意を感じるぞ。
「兄上、テーブルを蹴るのはやめてください」
「当たっただけだ。貴様、私の嫌いなことを知っているか」
貴様って……一応弟なのですが!
「『俺』ですか?」
「そうだ。もちろんお前も好かない。だがそれではない」
「…………」
肯定した上で違うとか。
正解は分からないが、俺のことがとにかく嫌いということはよく分かった。
「私が最も嫌うもの。それは……『時間の無駄』だ!!」
目を見開いたアルヴィンがバンッとテーブルを叩きながら立ち上がった。
かなりお怒りのご様子だ。
「そんなこと知らないし」と思ったが、言わなくて良かった。
「聖女様は最初から恋人のことを言っていたではないか! どうしてお前は名乗り出なかった!」
アルヴィンの怒りの原因はなんとなく予想していた通りのものだった。
俺は自分の都合ばかり考えて前世のことを黙っていた。
兄の怒りは当然で、俺は平謝りするしかない。
「……申し訳ありません」
「……ふん」
頭を下げるとアルヴィンはどかりと腰を下ろした。
座ったが、まだ怒りが治った様子ではない。
「聖女様が死んだ恋人を偲んで泣いている、お前が前世の恋人だと名乗りでる、聖女の心は晴れ、空も晴れ、祈って貰い加護も回復――。本来は一日で済むことではないか!!」
「いや、そんなに上手くいくかどうかは……」
「なんだと!?」
「いえ、仰る通りです」
兄の血管が切れそうなので大人しく頷く。
兄の怒りはまだまだ治まるどころか過熱していく。
「大体この私に靡かない女性がいるなんておかしいと思ったのだ! 死に別れた恋人との再会――そのような運命的な背景がなければ、聖女様はすぐに私の手を取っていただろう! ……いや、世の中に一定数、私のような優秀な男には惹かれず、駄目な男に目が向くという女性もいる。聖女様もその類いか。だとすれば私に目が向かないのは分かる。私には駄目という要素が皆無だからな!」
「仰る通りでございます」
真面目に頷くとまた机を蹴られた。
口答えしているわけではないのに何故!?
アルヴィンがこんなに足癖が悪かったとは……。
それよりも気になることがある。
「兄上、俺に前世の記憶があることはどう思いましたか?」
「貴様、今の私の話を聞いていなかったのか? 余程死にたいらしいな。何故早く言わなかったのかと先程から……」
「聞いていました! その、黙っていたことではなくて、俺には異世界の人間の記憶があるわけで……気持ち悪くないですか?」
家族の中に赤の他人が混じっているというか……。
嫌な感情を持たなかったのだろうか。
元々好かれていないのは分かっているが、前世を覚えていることで拒絶され、家族と認めて貰えないのは悲しい。
反応を見るのが少し怖く、恐る恐るアルヴィンの様子を伺う。
「気持ち悪い? 何がだ?」
アルヴィンはこちらを見てきょとんとしていた。
「え? 何って……?」
気持ち悪いと言っている意味が分からないということは、そういうことは全く考えなかったということか?
だとしたら……ちょっと嬉しい。
「お前、本当に私の話を聞いていなかっただろう!」
「いえ、聞いていましたって。だからテーブルを蹴らないでください!」
不思議と蹴られてもあまり腹は立たなくなったが。
「よかったね、エドワード。私は若干気持ち悪いに一票だ」
「ルーカス様は黙っていてください」
水を差すようなことを言っているが冷やかしているのだろう。
ニヤニヤとしている顔にそう書いている。
「全く、愚弟が……。愚かだとは常々思っていたが、これ程とは! 母上にこってりと絞られるがいい」
「安心しろ。我が妻は激怒していても美しい」
二人の言葉にぎょっとする。
もしかして……?
「母上はこちらに来るのですか?」
「もう来たぞ」
バッと声の方を向くと、いつもは見せない満面の笑みで俺を見ている女王がいた。
やばい。
こういう顔を向けられたのは何年ぶりか。
子供の頃、喧嘩で勝てないイーサンにムカついて本格的な落とし穴にはめてやった時以来か。
あの時は落ちたのが狙っていた通りにイーサンだったからよかったが、他人が落ちて怪我をしていたらどうしたのだと叱られ、最終的に一日本物の牢にぶち込まれたが……。
「大まかなことは聞いている。詳しいことは本人の口から聞こうか」
今回は一日で出してもらえるのだろうか……。
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