第2話 聖女召喚

「こんなに天候が荒れるのは久しぶりじゃないか」

「そうですね。本当に珍しい」


 王城に戻って身なりを整えた俺は、長い廊下を歩きながら窓の向こうを見た。

 この国は女神の加護のおかげなのか、気候が安定していて過ごしやすい。

 これほど荒れることはあまりないのだが……。


「また酷くなった。土砂降りだ」


 夕方で普段はまだまだ空は明るいはずなのだが、今は空が黒い雨雲に覆われていて暗い。


 廊下の奥、王族のプライベートエリアに来るとユーノは離れた。


「それでは僕はここで。他の王子様方もいらっしゃるようですが……大丈夫ですか?」


 こちらを気遣うような視線に苦笑する。

 俺は両親とはそれなりに上手くやれているのだが、兄弟とは折り合いが悪い。

 ユーノは素っ気ない態度が多いのだが、時折こうやって心配をしてくれる。


「無理だから一緒に来てくれる? ユーノが代わりに行ってくれても……」

「ここから一歩でも先に進めば、僕は即刻牢屋行きです。早く行ってボロクソに言われてきてください」

「ははっ、分かった」

「もう帰ってこなくてもいいですよ」


 ……なんてつけ離すように言いつつも姿が見えなくなるまで見送ってくれるのがユーノである。

 ツンデレか。

 俺は兄弟には恵まれなかったが侍従には恵まれたと感謝をしつつ、一人で更に奥へ進む。


 呼ばれていたのは女王の私室。

 ここには魔術を駆使し、国家機密を扱う部屋と同じレベルのセキュリティがかけられている。

 私室で何をそんなに隠したいのかと思うが、女王ともなれば色々あるのだろう。

 旦那様達とのアレコレもあるだろうし。


 この国は多夫多妻制、つまり重婚を認めている。

 女王である母には俺達三兄弟の父である騎士団長と魔術師の夫がいる。

 法律的には父達も他に妻を持って良いのだが、二人は母一筋のようだ。

 前世で恋愛にトラウマのある俺も結婚するなら相手は一人で良いと思っている。

 出来れば相手も俺だけを選んで欲しい。

 兄達には甲斐性がないと馬鹿にされるが、一夫一妻が希望だ。


 とにかく、その部屋を使うということは、公的な話ではないが外部には出したくない話なのだろう。


 そんなことを考えている間に部屋の前に到着。

 王族のプライベートエリア内は見張りもいない。

 扉の前に立つとノックをした。


「エドワードです」

「入れ」


 声に促されて入ると、豪華なソファーに腰を下ろして談笑している三人の姿が目に入った。


「来たな」


 妖艶な美女が笑う。

 母である女王ヴィクトリア・アストレアだ。

 褐色の肌に豊かな黄金の髪。

 瞳の色はアストレア王家の血を継いでいることを示すアザレアピンク。

 大きな息子が三人もいるとは思えない抜群のスタイル。

 女王という地位がなくても対面すると緊張する。

 母でなければ近づく気にもなれないだろう。

 ユーノから聞いていた通り二人の兄の姿もあった。


「遅いぞ」


 王太子である第一王子アルヴィンが氷のような視線で出迎えてくれた。

 アルヴィンは女王似の美形で背が高くスラリとしている。

 肌は父譲りの色白だが、貴族のお嬢様方が言うにはそれがスマートさを際立たせているらしい。

 瞳は王族の血を引いているのでアザレアピンク。

 柔和な笑みは花舞う風のようだと言われているが、俺に対してその風は吹いたことはない。


「一番暇なお前がオレ達を待たすとはどういうことだ? ああ?」

「……申し訳ありません」


 太い腕を組み、全身で威圧してくるのは第二王子イーサン。

 イーサンは騎士団長をしている父に似て身体が大きく、厚みのある筋肉も男らしい。

 肌は母譲りの褐色、髪は父譲りの銀髪だ。

 イーサンももちろん瞳はアザレアピンクである。


 そしてアルヴィンのような華やかさもなくイーサンのような逞しさもない、地味で普通体型なのが俺、エドワードである。

 畑仕事のおかげで多少の筋肉はあるが、肌は父親の色白を貰ったのでひ弱に見える。

 髪は金色だが母やアルヴィンよりもくすんでいるのか地味な印象で、金色と言うより黄土色と言った方がしっくりくる。

 瞳は俺もアザレアピンクだが、これもどこかくすんで見える。

 俺だけ彩度と明度を生まれてくるときに落としたのかもしれない。


「そうエドワードを責めるな。外へ出ていたのは分かっていたから、お前達のこともそれに合わせて呼んだだろう。待ったと言っても少しだ」


 女王が入れてくれたフォローを聞いて、「なんだ。だったら謝って損をした」と心の中で舌打ちをしながら席に着いた。

 例え早く着いていたとしても何かは文句を言われていただろうしね。


「さて、揃ったな」


 話を聞くように促されて姿勢正した。

 母ではなく女王の顔をしているのを見て緊張が走る。

 思っていたよりも重要な話のようだ。

 少しの沈黙の後、母上が口を開いた。


「聖女が召喚された」


 ……聖女?

 確かこの国には稀に国に繁栄をもたらす聖女様が現れるという伝承があったと思う。

 だがそれは事実かどうか怪しいものだ。

 俺達三人はすぐに反応出来ずそれぞれ思考を巡らせた。

 口を開いたのはアルヴィンだった。


、ですか? 母上が召喚したのではなく?」

「ああ。召喚したのは女神だ」

「女神様、ですか?」

「そうだ。女神だ。女神が聖女を召喚し、我々に与えてくれたのだ」


 女神――。

 この国は関わりが深いから、何かと女神様を感じるものがある。

 他国からの侵入を阻んでいるアストレア周辺の海流も女神様の加護だというし、前世の世界とは違って存在はしているのだろうとは思うが……。


「聖女は聖域にある神殿に突然現れたらしい」


 王都から少し離れた所にある聖域は極限られた者しか入ることが出来ないし、忍び込むことは不可能。

 そこに現れたということは女神のお導き――ということなのか。


「聖女様はどうして我が国に? 何か意味があるのでしょうか」

「分からない。詳しいことは資料にないのだ。聖女は女神から何か聞いているのかも知れないが……。神官長の調べによると、聖女を幸福にすることが国の繁栄に繋がるらしい」

「聖女様を幸福に、ですか……」


 何もかもがぼんやりしている。

 恐らく聖女様だという者が現れたがなんのためか分からず、幸せにすれば繁栄するというが、幸せの定義も分からない。

 崇め奉ればいいのか。

 豪勢な暮らしをさせてやればいいのか。


「聖女の精神状態は国のどこかにかたちとなって現れるという。例えば天候……」


 女王の視線につられて全員が窓の外を見た。

 近年稀に見る豪雨である。

 どうみても聖女様が機嫌良くいるとは思えない。


「「「「…………」」」」


 俺達は暫く無言だった。

 沈黙を破ったのは女王だった。


「お前達には聖女の支えになって欲しい。何が聖女にとっての幸せかは分からぬが、寄り添う者がいれば心も安定するだろう」

「それは……」


 優しい言葉に聞こえるが、これを言っているのが女王なのだ。

 そしてわざわざ俺達王子を呼びだしているということは――。


「聖女様を懐柔して妃としろ、ということですか」

「エドワード」


 アルヴィンが諌めるような視線を向けてきたが、女王は苦笑いを浮かべた。


「……そうなれば母は助かる。聖女という存在は大いに利用価値があるからな」


 俺は母の忌憚のない物言いが好きだ。

 だが今回の「利益を得るために女を落とせ」などという話には流石に顔を顰めてしまう。

 とは言うものの、女王として国の利益を考え、息子を使って聖女を取り込もうとする判断は間違ってはいないと思う。

 ……自分はこの話に積極的に関わろうとは思わないが。


「ここはアルヴィン兄上の出番では? アストレアに住む全ての女性が憧れる兄上なら、聖女様もすぐに心を許すでしょう」


 ここはよいしょをしてアルヴィンを担ぎ、俺は早々に戦線離脱をしたい。

 俺の言葉を聞くとアルヴィンは当然だという顔をした。

 腹立つな、その顔。

 無駄にキラキラしやがって。


「お前に言われるまでもなく、これは私の使命だろう。私は王太子だからね。母上、聖女様は今どこに?」

「まだ聖域の神殿にいる。明日様子を見て、落ち着いているようであればこちらに移って貰うつもりだ」

「ならば私が迎えに行きましょう」

「そうだな。お前に頼もう」


 よし、関わらずに済みそうだと心の中でほくそ笑んだ。


「では聖女についての情報を共有しておきたい」


 話は終わったのかと退出するつもりだったが女王が話を続けた。

 俺は聞かなくても良いのでは? と思ったが、関わらないようにするためにも最低限は知っておくべきかと耳を傾けた。


「聖女についてはまだ公表せずに対応する。もう分かっていると思うが、今降り続いている雨は聖女の影響だと考えられる。雨が止まず、被害が出てしまった場合聖女に対する世論が厳しいものになるかもしれない。聖女がその世論を知り不幸だと感じれば更に災難が起きるという悪循環が生まれる可能性がある。聖女の心が安定し、我々も事態を把握できるようになるまでは全て秘密裏に行う。よいな?」


 なるほど。

 この部屋で話すなら公的な話ではないと思っていたが、まだ公的に出来ないということか。


「心得ました」


 アルヴィンの返事に続き、俺も頷いた。


「母上、聖女様は美人なのか?」


 真面目な空気を壊し、第二王子イーサンがニヤニヤと笑みを浮かべながら女王に問いかけた。

 ワイルド系のイケメンといえるイーサンは無類の女好きだ。

 泣かせた女は数多く――。

 聖女様とは関わらせない方がいいような気がするが、兄弟の中で女性の扱いが上手いのはイーサンかもしれない。


「妾は見ていないのだが、長い黒髪に黒の瞳の魅力的な少女らしい」

「少女ですか」


 アルヴィンも気になるらしく話に参加する。

 俺は聞き役に徹する。

 黒髪黒目か。

 ……前世で馴染みのある色合いだな。


「歳は十九だと聞いた」

「十九……思ったより上ですね」

「乳臭いガキじゃなくてよかったぜ。兄貴、役目はオレに回してくれていいんだぞ?」

「残念だがお前の出番はないだろう。母上、聖女の名は?」

「聖女の名はサクラ……いや、サクラは家名だといっていたか。マナ……聖女の名前は『マナ・サクラ』だ。

「えっ」


 思わず小さな声を漏らしてしまった。

 女王が口にした名前。

 それは二度と耳にすることはないと思っていた名前だった。


「エドワード、どうした?」

「い、いや、変わった名前ですね」

「異世界の名前だからだろう」


 アルヴィンはこちらを馬鹿にするように笑うと、女王との会話を再開した。

 そこからは話が聞こえてきても全く頭に入らなくなった。


 聖女の名前は俺に大きな衝撃を与えた。


 マナ・サクラ――――佐倉真奈。


『ねえ、はる


 長い真っ直ぐな黒髪が揺れる。

 彼女の名前と同じ、桜の花びらが風に舞う。


『私は桜で、遥君は春。私達はこの季節に出会う運命だったと思わない? 実際に私達が出会ったのも春――桜の木の下だったでしょう?』


 古い記憶の一ページ。

 あれは小学校の入学式だった。

 君は新入生で俺は隣の保育園の園児。

 あの時から君は俺にとって『綺麗なお姉さん』だった。


 中学校、高校、大学。

 入学式のために着飾っている君の姿を見た。

 その度に俺は置いて行かれるような気がして――。

 年下であることが悲しくて仕方がなかった。


はる


「……聖女様は君なのか」

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