第27話 対話

 桜吹雪はすぐに止んだ。

 不思議なことに真奈の手の平に乗せていた花びらは消えた。

 あれだけ降っていたのだから花びらの絨毯が出来ていそうなものだが、地面を見ても何も落ちていなかった。

 魔術で似たようなことなら出来るかもしれないが、こんなに広範囲――しかも存在していない花びらを降らせるなんてことは無理だ。

 人には出来ない。

 ……一応信じてはいたが、女神様って本当にいたんだな。


 真奈は止んでしまった桜吹雪のことはあまり気にならないようで、すぐに話をしようと俺の手を引いてベッドの縁に座らせた。

 真奈も隣に座り、二人並んだのだが……。


「最初から話すね。私が……」

「真奈、ちょっと待って。今、これはいらないと思う」


 視線の先には繋がれた手。

 真奈にここまで誘導されてきた時にこうなったが、今は前世から持ち越した大事な話をする時だ。

 これはないと思う。


「こうしていると落ちつけるから。駄目?」

「駄目じゃ……。駄目だ」

「駄目じゃ? おじいちゃん?」

「……違う」


 上目遣いで言われ、つい「駄目じゃない」と言いかけてしまったのを慌てて止めたからそうなったんだよ!


 カミングアウトしたことで気が抜けてしまったのか、前世の一緒にいた頃のような空気になってしまう。

 こんな調子ではだめだ。

 手を解き、クリスタが持って来ていたベッドサイドの椅子に座った。

 真奈は不満げにこちらを見ている。


「そんな顔をしても駄目だ。俺は納得していないことがたくさんある」


 ジロリと目を向けると真奈はしゅんと肩を落とした。

 じわりと真奈の目に浮かぶ涙を見て「そうだ」と思い立つ。


「まずは話し合いの間、泣かないと約束してくれ。ちゃんと話が出来なくなる」


 泣かれると罪悪感が湧くし、雨を降らさないようにしなければいけないと必死になって、話を聞くどころではない。

 唇を噛んで頷く真奈を見て冷たいことを言ってしまったと少し後悔したが、これくらい心に距離を置いて話した方が冷静に考えられそうだ。

 何から話すか迷ったが、まずは事実確認だ。


「浮気を認める発言をしてたはずなのに『していない』と言ってけど、結局どっちなんだ?」

「してない!」


 ギュッと拳を握りしめて真奈が勢いよく立ち上がる。


「落ち着け」


 腰を下ろして話すように注意すると、萎れた花のようにぺたんと元の位置に腰を下ろした。


「私の友達のお兄さんが、彼女がいらないのに女の子に付きまとわれて迷惑をしていたの。私も同じような状況だったから、その人と私が付き合っているということにしたら、お互い人避けになっていいんじゃないかって話になって……。それで便宜上、付き合っていることにしたの」


 俺の眉間の皺はこれでもかというほど深く刻まれている。

 便宜上、付き合う?


「俺、その人と真奈が凄く楽しそうに買い物していたのを見たけど? 便宜上だけの関係でそんなことする必要ある?」

「それはその人に『彼女なのにいつも一緒にいないのは不自然だと友達に疑われているから、仲良くデートしている振りをして欲しい』って頼まれて!」

「はあ?」


 なんだその頼みは……。

 胡散臭さしか感じないのだが、こんな言葉を信じたのか?

 ……信じたんだろうな。


「そいつ、本当に人避けしたいだけだったのか?」

「え?」

「俺にはあの男の店での感じは、仲良くしている振りには見えなかったけど?」


 振りではなく本当の彼女として扱っているというか、「俺の女」だと自慢しているようにすら見えた。


「大体あんなイケメンだったら、真奈以外にも女の子の知り合いなんていっぱいいたんじゃないか? どうしてわざわざ妹の友達に頼むんだよ。最初から真奈狙いだったんじゃないのか?」


 話していると腹が立って来た。

 冷静に、と自分に言い聞かせるが段々語気が荒くなっていく。

 責めるように問いかけると、真奈は目を見開いて動揺していた。


「……うん。遥の言う通りだった。遥がいなくなってから分かったの。友達は最初から私とお兄さんをくっつけるつもりだったみたい。『ちょうど彼氏がいなくなったんだから付き合えばいいじゃない』って、何でもないことのように言われて……」

「は?」


 何を言っているのか瞬時には理解出来なかった。

 分かったと同時に頭の中が怒りで真っ白になった。


「……んだよ、そいつ。そんな奴友達じゃないだろ!!」


 そんなの、真奈も嵌められたってことじゃないか!

 それに死人が出ているのに「ちょうど」と言えるなんて、本当に人間なのかも疑わしい。


「そうだね。そんなことになるまで分からなかった私って、本当に馬鹿だね。遥に、相談してれば……私、本当に馬鹿」


 泣くなと約束しているから真奈は必死に耐えているが、堪えきれない涙がぽろぽろと溢れる。

 雨はまだ降ってはいないが空は暗い。


 真奈が俺を裏切るつもりはなかったことは理解した。

 それでも――真奈に対しても、許せない気持ちはある。


「『人除けのため』って、俺っていう彼氏がいることを言わなかったのか?」

「言ったよ! 最初はいるとだけ言っていたけど、疑われて本当はいないんだって言われ始めたから、遥のことも話したけど……それでもしつこく近づいてくる人がいて……」


 なるほど、と乾いた笑みが出る。


「……俺じゃ防波堤にはならなかったってことか。大学生からしたら高校生なんて相手にならないか」

「そ、そういうわけじゃ……」

「そうだろ? 実際に真奈だって、俺を頼ってくれなかったじゃないか。頼るどころか話すらしてくれなかった」


 俺じゃ力不足だから、俺じゃ釣り合わないから。

 周りが納得する奴を頼ったというわけだ。


「違うの、遥を頼りにしていないんじゃないの! 私のことで迷惑かけたくなくて! わざわざ遥を見に行った人までいたから、早くなんとかしなきゃって……これくらい一人で解決出来なきゃお姉さんじゃないって思って……!」

「迷惑だろうが何だろうが、真奈に起こったことなら俺は関わりたかったよ! お姉さんとかなんだよ! 好きな人が困っているのに頼って貰えず、他人を頼って俺は何も知らないなんて……!」


 怒りより虚しい。

 空回っていたかもしれないけど、俺なりに真奈の彼氏として胸を張るよう頑張って来た。

 でも、そんなものは無意味だったということだ。

 なんだか俺の方が情けなくて泣けてきた。


「俺は浮気だと思うよ。どんな理由があっても、本当の相手に黙って彼氏彼女を公言するなんて二股だろ」

「好きなのは遥だけなの! 本当に便宜上だけで! 一回出掛けたのと大学内で一緒にご飯食べたくらいで……」

「それ、浮気した奴の言い訳常套句だからな! っていうか、それだけしていれば十分だっつーの! 便宜上だろうがなんだろうが、俺に黙って時点で有罪だから! 執行猶予なしの実刑だからな!」

「ごめんなさいっ……遥、ゆるしてええええ」

「泣かない!」

「っんぐ」


 真奈は口お抑え、息を止めて泣くのを我慢している。

 そんな様子は痛々しい。

 前世だったら――まだ俺の全部が久我遥真だったら「もういいから」と抱きしめて仲直り出来ていただろうな。


 真奈ばかり責めていられない。

 俺も反省することがある。


「話も聞かず、一方的に別れたのは悪かった。ごめん」


 俺はメッセージを送った直後に死んでしまったから、弁明する機会もなくずっと抱えるしかなかった真奈は辛かったと思う。


「遥うぅぅ!」

「飛びついて来るなよ?」

「なんで!? だめ!?」


 また椅子ごと転ぶのは勘弁して欲しい。

 先手を打たれて飛びつけなくなった真奈はベッドに腰かけたままもじもじしている。

 太ももに手を乗せて俯いていたが、おずおずと俺の様子を伺いながら話しかけてきた。


「私達、別れてないよね? 覚えていてくれたし、また戻れるよね?」


 別れ……ていると俺は思っている。

 俺は交際について別れのメッセージを送ったが、真奈から了承を得たわけではない。

 だからまだ継続中——ともとれるが、俺達ははっきりと死に別れている。

 交際関係になるなら、もう一度やり直そうと同意して始めるべきだと思う。


 それを説明しようと思ったその時、コンコンと扉をノックする音がした。

 こんな時に誰だ?

 取り込み中だから改めて貰おうと思っていると、扉がカチャリと鳴った。

 少し開いた扉からひょこっと頭が出てきた。


「わたくし、今度ばかりは復縁に反対しますわ」

「クリスタ!? どうして……帰ったのでは?」

「不思議な花びらが降って来たので、聖女様に何かあったのかと気になり戻って参りました。そして申し訳ありませんが、二人のお話を聞いてしまいました。その点についてはあとから改めてお詫びいたしますが……失礼いたしますわ!」


 そう言うとクリスタは中に入り、スタスタとこちらに向かって歩いて来た。

 いやいや、失礼しないで。

 今は遠慮して!

 戸惑っている内にクリスタは真奈の前に立った。


「聖女様!エドワード様を信用せずこそこそと男と繋がるなど、そんな姑息なことは許せません!」

「つ、繋がってないもん!!」


 ビシッと断罪するようなクリスタに、真奈はすぐさま立ち上がり反論した。

 待って、俺をおいて二人で熱くならないでくれ!


「エドワード様が本命ならば、堂々と間男に二番手宣告をしてやればよかったのです!」

「いや、そういう話でもないんだ。クリスタ……」

「私は遥一筋だもん!」

「エドワード様一筋だというのならば、二番手には日陰に徹して貰うよう、それなりのものを渡さなければいけませんわ!」

「だから二番手なんてないの!」


 二人が噛み合わないまま言い合いを始めてしまった。

 どうしよう、クリスタが来て収集がつかなくなった!


「とにかく、出て行って……」

「中々興味深い話だねえ」


 扉の方から声が聞こえて来てビクリとした。

 気配がなかったのですが!?

 目を向けると立っていたのは、アストレアが誇る美形の二人。


「ルーカス様に……アルヴィン兄上?」


 ルーカスが手をひらひらと振りながらご機嫌な様子で近づいてくる。

 気のせいかもしれないが、目は楽しいことを見つけた子供のようにキラキラと輝いている。


「私は元々こちらで聖女様が起こす事象について調べるつもりだったから、こちらに向かっていたんだけどね。突然謎の花びらが降って来たから急いで来たよ。で、何があったか教えくれるかい。エドワード、いや、ハルクン?」

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