第5話 王太子の説得(二日目)

「真奈ちゃんだいすき! 大きくなったら俺のお嫁さんになって!」


 保育園児の俺は、身の程を知らない子供の行動力を抜群に発揮して、毎日毎日真奈に求婚していた。

 真奈には軽くかわされて相手にして貰えなかったが、卒園して小学生になっても人目も憚らず告白する俺の愚行は続いた。

 当時は全く気づけなかったが、小学生に粘着されて中学生の真奈は恥ずかしかったと思う。

 でも真奈は嫌な顔をせず笑顔で受け流してくれていた。


 変化があったのは俺が中学に入り、真奈は高校生になってからだった。

 とうとう俺が羞恥心を取得したのである。

 ようやく「真奈に迷惑をかけない」ということを考えられるようになった俺は、ところ構わず言い寄るのを止めた。

 だが言わないとストレスが溜まる。

 真奈を見ると反射的に「好きだ!」と言いたくなるから会いに行くのを控えた。


 すると何故か下校時間になると、俺が通う中学校の校門前に真奈が現れるようになった。

 綺麗なお姉さんの出現に思春期中学生男子共は騒然とした。

 雑誌に載ったことがあるというイケメンで、中学校の王子様だと言われている奴も張り切って真奈を口説きに行き、女子の嫉妬も交えてお祭り騒ぎになった。

 真奈は俺に会いに来てくれたのだと分かってはいたが、美少女の待ち人がモブ中のモブである俺では申し訳なくなり、裏からこっそりと逃げて帰った。


 しばらく真奈の待ち伏せは続いたが、逃げ続けていると今度は俺の家の前に現れるようになった。

 さすがに無視をするわけにはいかない。

 余計なことは言うまい! と下唇を噛みながら真奈の前に出る。

 俺を見ると真奈はホッとしたように笑った。

 でも、その笑顔は心細そうにも見えた。


「……最近忙しいの?」

「ううん」


 口を開くとすぐに告白してしまう。

 ようやく自重できるようになってきたのだ。

 今までの努力を無駄にしないぞ、と口を噤んだ。

 黙っていると真奈がそわそわし始めた。


「体調が悪いとか?」

「すこぶる健康」


明後日の方向を見ながら答えるが、真奈は声まで可愛いから辛い。


「……もしかして私、何か怒らせるようなことをした?」

「?」


 何もしてしていないし、むしろ怒られるようなことをしているのは俺の方だ。

 首だけ傾げると真奈の目に涙が溜まり始めた。


「じゃあ、なんで会いに来てくれないの……」

「??」


 え? え? と俺は慌てた。

 ハ、ハンカチ!

 ああっ、そんな上品なもの持ってないや!

 汗臭いタオルしかない。

 どうしよう!

 どうしてこんな謎展開に!?

 パニックになりかけたが、ふと周りに誰もいないことに気がついた。

 誰もいない……ということは、ここで真奈に思いの丈をぶつけても迷惑を掛けない!

 そう思った瞬間に口が動いた。


「好きだ。ずっとあなたが好きです」


 真奈はぽかーんとしていたが、すぐにカーッと顔が赤くなった。


「え?」


 こんな反応は始めてもことで俺もぽかーんとしてしまう。

 何も言えずにいると、真奈は赤い顔のままこちらをちらりと見て口を開いた。


「か……」

「か?」

「彼女に……なってあげようか?」


 再びぽかーんとしてしまったが、赤く染まった真奈の顔を見て「彼女」の意味を理解した瞬間――。


「お願いします!!!!」


 かつてないほど大きな声を出し、深々と頭を下げたのだった。


 そうして俺と真奈は「彼氏」「彼女」になった。

 信じられない程幸せだったが……。

 それからは埋まらない三年に苦しむことになるのだ。






「雨だなあ」

「雨ですね」

「止まないなあ」

「止む気配すらしませんね」

「やっぱり美貌っていざという時には役に立たないんだな」

「美貌も道具も、使う人間によって価値が変わりますからね」


 ユーノと窓の向こうを眺めてぼやく。


 今日もアルヴィン兄上は張り切って早朝に神殿へと出発した。

 到着している時間だが雨はしとしとと降り続いている。

 信頼関係を築くには一日二日では無理だと思うが、ずっと雨なのは困る。


「侍女達が洗濯物を外に干せないと愚痴っておりました」

「ああ、確かに困るな。俺も孤児院に行って畑を見たいんだが……」

「アルヴィン様はアストレア一の美男子を自負しておられるのですから、聖女といえど小娘一人に何を手こずっておられるのか。早々に陥落させて頂きたいものです」


 ユーノ、お前の物言いはアルヴィン兄上にも聖女様にも中々失礼だぞ。

 他の人間が聞いている場所で言うことはないから注意はしないが。

 あと俺はお前の言葉を百パーセント支持する。


「アストレア一の美少年であるお前が行った方がいかもな?」

「そんなものにはなった覚えはありません」

「俺がそう思っているんだよ」

「…………」


 ゴミを見るような目で俺を見ているが、それは照れ隠しだな?

 ユーノはまだ十四歳だが、日本の中学生より背も高くすらりとしていて大人びている。

 でも子供特有の幼さも残っているので年下好きにはたまらないだろう。

 聖女が真奈なら兄上達より断然ユーノを気に入ると思う。

 瞳の色は緑だが、髪の色は日本でもよくあった茶色なので親近感もわくはずだ。


「なあ、兄上達が上手く行かなくて俺の番が回ってきてしまったら、おま……」

「僕は行きませんよ」


 言い切る前に断られてしまった。

 名案だと思ったんだけどな。


「……あ」


 暗かった室内に一筋の光が入ってきた。

 窓の外を見ると、空を覆っていた黒雲に割れ目が出来ていた。


「雨脚が弱くなったか」

「アルヴィン様の説得が成功したのでしょうか」

「だといいな」


 自然にふーっと溜息を吐いていた。

 真奈もチョロインだったか。

 ……って、何をがっかりしているのだ、俺は。

 残念な気持ちになったのは未練があるわけじゃない。

 断じて違う!

 これで自分の出番はなくなったのだと喜んでいる。

 ああ、本当に喜んでいるとも。


「……うん?」


 誰に対してしているのか分からない言い訳を心の中で叫んでいると、窓際にある花瓶がカタカタと音を立てていることに気がついた。

 ……揺れている?


「うわっ!?」


 気づいた瞬間に部屋が大きく揺れ始めた。

 家具が動き、高いところにあった物は床に落ちた。

 廊下からも何かが割れる音や悲鳴が聞こえてくる。

 大きな地震だ。


「ユーノ、机の下に隠れていろ!」

「エドワード様は……!」

「俺はいいから言うことを聞け! 大丈夫だから! そこから動くなよ? 命令だからな!」


 ついて来ようとするユーノに指示をしてから悲鳴が聞こえた廊下に出ると、メイド達が窓の近くにしゃがみ込んでいるのが見えた。


「おい! 窓から離れろ! 硝子が割れたら危険だ! 天井照明の真下や倒れそうな物の近くにも行くなよ!」

「しょ、承知しました!」


 窓の外を見ると庭師達が近くにいた。


「建物から離れて距離をとれ! 壁が崩れるかもしれないし、上の階の硝子が割れて降って来たら危ない!」

「へ、へい!」


 前世で受けた防災の授業を思い出しながら、身近にいた者達に注意を促していく。

 そうしている内に揺れは小さくなり……。


「止まった……?」


 戻って部屋の中を見渡すと、落ちた物は散らばっているが揺れてはいない。

 ホッとしながら机の下から出てきて立ち上がろうとしているユーノに手を貸した。


「エドワード様、今の揺れは……」

「地震のようだな」

「地震、ですか?」


 前世では地震を体験したことがあるが今世では初めてだ。

 この世界では地震は稀。

 アストレアは無縁のため、ユーノは地震という言葉も知らなかったようだ。


「大地が揺れる自然災害だよ」

「聖女様と関連があるのでしょうか」

「その可能性は高いだろうな。津波がこないか確認しなければ」

「津波……?」

「ああ。地震の影響で高い波が押し寄せてくるんだよ。沿岸部には注意するよう至急連絡を入れる」

「分かりました。手配します」


 今の規模だと人がのまれるほどの津波は起こらないと思うが、無闇に海に近づくと危険だ。

 津波についての危機感があるのは俺くらいだろうし、出来るだけ対処しよう。

 それにしても、この地震も聖女様関連だとしたら良い状況とは言えないだろう。


「明日はイーサン兄上に行って貰った方が良さそうだな」

「……僕はエドワード様が行った方がいいような気がします」

「そうか? 俺が行っても良い結果にはならないと思うぞ?」

「エドワード様はご自身を過小評価し過ぎです。僕はつい先程も、エドワード様が主人で良かったと改めて感じました」

「……デレてもなんもやらんぞ」

「デレ?」

「とにかく、地震の被害や孤児院の様子を確認してから母上の元へ行く」


 今日も聖女についての話し合いをしなければならないだろう。

 ユーノが言うように俺が聖女の元へ行った方がいいのだろうか。

 イーサン兄上は強引だから、デリケートな状態の人とは頗る相性は悪そうだ。

 でも、俺が行くって言ったらイーサン兄上はキレるだろうなあ。

 頭をぼりぼりと掻きながら今日一番の大きな溜息をついたのだった。

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