第36話 それは立ててはいけないものだ
「失礼します。……あれ?」
真奈と話している間に去っていたアルヴィンを追い、部屋に入ると何故か暗かった。
この時間だと普段は全開になっているカーテンが閉められている。
真奈はまだ機嫌が頗る良いようで、カーテンの隙間から差し込む光が強いため、部屋を見渡せる程度には明るいが……。
アルヴィンを見ると、席について書類と睨めっこをしている。
「兄上、何故カーテンを引いているのですか? 書類を見るには暗いのでは?」
「天気が鬱陶し……眩しいからだ」
「鬱陶しい」と言いかけたが、遠回しに真奈に文句を言うことになると気がついて言い直したな。
この「鬱陶しい」も眩しくて苛々しているのではなく、俺が真奈の機嫌を良くしたということが分かっているからだろう。
要は俺が気に入らないと。
なるほど、王太子様は今日も通常運転だ。
でも――。
以前なら僅かに寂しさと苛立ちを感じたが、今はこの距離感も割と気に入っている。
なんとなく……本当になんとなくだが、アルヴィンは案外俺のことを嫌っているわけではないんじゃないか、と感じている。
ユーノよりの分かりにくいツンデレと思えば、案外慕える兄だ。
「私と同じ血が流れているとは思えない程華やかさに欠けるお前だが、私の部屋に存在していることを許してやろう。さっさとこれを読め」
すぐに脳内の前言を撤回していいかな。
全然慕えなかった。
アルヴィンは思わず半目になった俺に向けて、机の上にどかりと書類を置く。
この空間に二人でいることが心底嫌そうな顔だな?
俺も嫌だよ!
争っていても仕方がないので大人しく書類に手を伸ばす。
……結構分厚いな。
「お前から聞いた話には大きな可能性がある」
書類をめくる俺に構わず、アルヴィンが話し始めた。
「魔術のない世界の技術や知識をそのまま生かすことは難しいが、応用すればアストレアは更に発展することが出来るだろう」
俺はアストレアで生かせそうな前世の知識は思いつく限り話した。
アニメや小説であった改革ものなんかも思い出して参考にしながら、公共事業や経済、教育や医療について等。
衛生面が悪く、疫病が流行ったようなストーリーはよくあったので、下水整備やゴミ処理について等も話した。
小学生の時に社会科見学で行ったゴミ処理場の話が役立つ時が来るとは……。
専門知識があるわけではないので、深く追求されても答えられないことも多く、アルヴィンを苛々させてしまったのだが、ちゃんと収穫はあったようだ。
良かった。
何に役にも立たない! と言われたらどうしようかと思った。
「だが、どれも時間がかかる。手っ取り早く功績をあげるのは、今ある問題を解決するのが分かりやすく早い」
「え?」
前世の知識を生かしたことで何か功績をあげろ、と言われると思ったのだが……違うのか?
「その報告書には、今トロギールで起きていることについて書かれてある」
渡された書類の一番上には、確かにトロギールと大きく書かれている。
トロギールはアストレアの玄関ともいえる大きな港を抱えた都市だ。
人が多いし発展している分問題が起きるが、その分騎士団の人員は多く割かれている。
大きな問題が起こるようなことは滅多にないと思うのだが……。
「トロギールに何かあったのですか?」
「原因不明の不吉な現象が広がりつつあるのだ」
「不吉?」
「近郊の海が、まるで死後の世界のようになっていると聞いている」
何それ、怖いのですが!
オカルトは遠慮したい。
どういうことだ?
アルヴィンがジロリと俺の手元にある書類を睨む。
これを読め、ってことだな。
手元の書類――報告書にザッと目を通してみる。
「ええっと……?」
そこには海が白くなったことや、生物の減少について書かれてあった。
細かくデータを取っているようで数字もずらりと並んでいる。
海が白?
報告書を捲りながら何か思い当たることがないか考える。
赤潮に似たやつ……白潮、か?
赤潮よりも珍しくて、赤潮と似たようなプランクトンが原因だったような……。
「あ、そういえばアストレアでは赤潮とか問題になったことはありましたか?」
「アカシオ、とはなんだ?」
赤潮は確認されていないのか?
転生してから聞いたことがない。
そういえば綺麗な海ではあまり赤潮は発生しなかったはずだ。
アストレアの海は綺麗だから今までは起きなかった?
起きても稀だから広く知られていないとか?
地球とアストレアの海の成分は違うとか?
この世界の海には魔物がいるしなあ。
ここでこうしていてもさっぱり分からないが、解決出来る気も全くしない。
「これを俺に何とかしろと?」
「そうだ」
「出来ると思いますか?」
「出来るかどうかではなく、やるのだろう?」
「…………」
少し前の自分に首を絞められるとは……!
やりますよ、やるけどね!
「解決出来なくても、せめて顔を売ってこい。民はお前の地味な顔など覚えていない。私でも忘れそうだ」
「兄上、以外と記憶力が悪いんですね。というか、もしかしてそちらが……顔を売ることが目的ですか?」
「お前の存在が毎日見ていても忘れる程地味だと言っているのだ! 見学に来ただけの奴だと覚えて貰いたければそのつもりで行くがいい!」
顔を売る機会をくれたのか、難題を押しつけられたのかどっちだ?
ツンデレなんだとしたらもっと分かりやすくやってくれ。
どちらにしろ行くしかない。
行ってみないことには始まらないか。
「そうなると俺は城を離れることになるのですが」
「マナを連れて行くことは出来んぞ」
「……ですよね」
世話係だし、多分真奈は俺と離れるのを嫌がるだろう。
だったら一緒に行った方がいいかと迷ったが、やっぱり城に残った方が安全だ。
転生してチート能力を手に入れたわけではないので、何かあった時に守ってやれる自信もない。
「こっそり出て行け。泣かれては困る」
「出て行ったことが分かった時の方が泣きませんか?」
また赤ちゃんの話をしていたっけ? と思うようなやり取りで思わず苦笑してしまったが、笑っている場合ではない。
俺が帰るまで雨が降り続けたら大変だ。
「ちゃんと説得していきますよ」
「……好きにしろ。とにかく行け。さっさと行け! 気が散る!」
「え? 地味だから気にならないのでは? 忘れるくらいだと……」
「…………」
「失礼しました」
そろそろ視線で射殺されてしまいそうなので、あまり茶化さず退散することにした。
部屋を出たその足で来た道を戻り、真奈の元へと向かう。
こういう話は余計なことを考えないで、勢いで話してしまった方がいい。
だから――。
「真奈、何日か俺は留守にする! 連れて行けないから、泣かないでいい子にして待っているように!」
バーンと扉を開けた瞬間に言ってやった。
窓際に立っていた真奈はぽかんとした顔でこちらを見ている。
「…………」
何か言えよ!
「あー……ちょっと、用事が出来てな」
段々恥ずかしくなってきたので、平静を装いいながら話す。
良い子にしてろってなんだよ。
「それは……もしかして、さっきの話に関係しているの?」
「え? まあ、そうだけど……」
「そっか」
真奈の後ろに見える空は、爽やかな青が広がったままだ。
連れて行けないと言ったのだが、機嫌が悪くなる様子はない。
良かったが、それはそれで釈然としない。
離れていても平気なのか? と、ちょっと拗ねたくなるな……って、俺は何を考えているんだか。
「私のために頑張ってくれるんだもの。寂しいけれど良い子で待ってるね」
「あ、ああ……」
照れ笑いを向けられて俺の方が赤くなった。
我慢だったのか。
可愛いな。
なんだかどんな問題でも解決出来そうな気がしてきた。
「泣くのも駄目だぞ」
「それは……」
泣くことだけは何故か頑なに続けているから、毎朝の雨は変わらないかな。
「……分かった。エド、あのね! 帰ってきたら聞いて欲しいことがあるの!」
「は?」
泣くのを止めるのか?
というか、真奈。
そういうのはな、フラグって言うんだぞ。
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