第42話 名前も知らない敵
間違いない。あいつだ! と思った瞬間、体が動いていた。
「ガッ!!!!」
海老反りになったあいつの体が吹っ飛ぶ。
ベタッと地面に落ちたのを見て「決まった」と頷いた。
立ったまま何かを力説していた奴の背中にドロップキックを入れてやった!
背中にくっきりついた足跡を見て満足した。
だが、今まで感じたことのない体が燃えるような怒りはまだ静まらない。
「痛いな……何をするんだ! オレは神子だぞ! お前は誰だ!」
「黙れ! 何が神子だ! お前はただの寝取り画策性悪男だろ!」
床から這い上がるあいつを見て、今度は手が出そうになったがアルヴィンに止められた。
「やはり前世のお前と聖女様の話に出てきていた男だったか……。とにかく、冷静でいろと言っただろう。今は大人しく座れ」
「嫌です。そんなの無理だ!」
こいつがいなかったら俺と真奈は拗れなかった。
諸悪の根源を前にして落ち着いて座るなんて出来ない。
興奮する俺の視線の先には、顔を顰めているあいつがいた。
「寝取り画策? どうして知って……い、いや、何を言っている! 神子のオレを蹴るとはどうなっているんだ!」
「ああ。すまないねえ! 息子はわんぱくでさあ。足が滑ったんだよ」
女王に詰め寄ろうとするあいつを騎士団長の父、クライブが止めた。
満面の笑みだが背筋がゾッとするほど怖い。
あいつも思わず後退った。
女王に近寄ろうとしたからキレたんだろうな。
怒りで周りが見えていなかったが、部屋の中には女王と二人の父、そして兄達の姿があった。
ルーカスは空気を読んでか声は殺してはいるが、体を震わせて笑っていた。
俺のドロップキックとクライブのキレ具合が面白いのだろう。
「はあ!? 滑っただけで扉からここまで飛ぶわけないだろう!」
「いや、妾の息子は確かに滑ったのだ」
「そうだねえ。派手に滑ったねえ」
女王とルーカスがクライブの発言に同意する。
どう考えてもそんなわけはないのだが、三人で俺を庇ってくれるようだ。
「まあ、滑っただけだろ」
「異世界人には分からないだろうが、この世界では滑った拍子に魔術を行使してしまい、うっかり人を蹴り倒すこともあるのだ。くしゃみのようなものだから咎めることは出来ない」
「そう……なのか?」
兄達まで加勢してくれるのはどうしたことか。
アルヴィンなんてそれらしいことを言って丸め込んでいるし。
皆が庇ってくれる様子が面白くて……嬉しくもある。
おかげで少しだけ怒りが和らいだ。
「もういい! オレは真奈のところに行く!」
和んだ直後に再び怒りの燃料を投下してくるお前は何なのだ!
「……行かせるわけないだろ」
俺の横を通り過ぎて行こうとしていたあいつの腕を掴む。
真奈の名前を口にするだけでも腹立たしいのに、眠っている無防備な真奈に近づけるわけがないだろう!
「離せ。離さないと痛い目をみるぞ? お前みたいな弱そうな……あれ?」
一生懸命俺の手を振り払おうとしているが、俺は掴んだまま離さない。
あいつは必死になっているが俺は平気だ。
怒り任せの馬鹿力か、イーサンほどではないが多少鍛えていたのが良かったのか分からないが、あんなに立派に見えていた男がちっぽけに見えた。
どうして俺はこんな奴に劣等感をおぼえたのだろう。
手を離してやると、男は俺に向かって吠えだした。
「さっきから何なんだお前は! オレは真奈を助けるためにやってきた神子だぞ!」
「はあ?」
「この者は使命を果たすことが困難となった聖女をフォローするため、女神によって召喚されたらしい。追加での召喚は、一度目と縁のある者が喚ばれるそうだ」
女王の言葉に男が頷く。
「ああ、オレは真奈の彼氏だからな。だから喚ばれたのだろう」
「お前は……」
また真奈の肩を抱いていたこいつの姿が脳裏に浮かんだ。
オフになっていた怒りのスイッチが再び入る。
「まだそんなことを言ってるのか!!!!」
許せない、やはりこいつは許せない!
「真奈の彼氏は前世でも今でも俺だ!!!!」
「ったく、そう何度も滑るなよ」
飛びかかろうとする俺をイーサンが止める。
あいつの方にはクライブが付いている。
「前世?」
父の背中に隠されているあいつが、顔を顰めながら俺の顔を凝視した。
何を見ていやがる!
無駄にイケメンで何もかもが不愉快な存在だ。
「もしかして、漫画とかにある異世界転生ってやつ? ……ということは……お前はまさか……あの地味な高校生か!?」
「地味で悪かったな! 見た目がなんだろうが、年下だろうが、真奈の彼氏は俺なんだよ!」
イーサンを振り切って殴りかかろうとするが動けない。
くそっ、もっと鍛えていれば!
「エドワード」
アルヴィンが藻掻く俺の頭をごつんと叩いた。
軽く叩いたようだったが結構重くて痛かったぞ!?
涙目になりつつも抗議をしようとすると、アルヴィンは俺の耳を引っ張り、あいつに聞こえないよう声を抑えて話してきた。
「愚かな弟よ、落ち着けと言っているだろう! 非を作るのは相手に付けいる隙を与えるということだ。譲れないものがあるなら冷静になれ。本当に力を持った神子様かどうかは分からないが、お前と面識があるのだから異世界から来ていることは間違いない。聖女様や神子様に比べたらお前の方が立場は弱い」
「…………っ」
確かにアルヴィンの言う通りだ。
さっきのドロップキックもこの身内しかいない空間だから誤魔化せたが、一歩外に出るとそうはいかない。
ボコボコにしてやりたいが、今は我慢するのがこいつを断罪するまでの試練と思って耐えよう。
「心配するな。お前の立場は弱くても、お前の味方には立場が強い者が多くいる」
イーサンもこそっと俺に耳打ちをした。
視線を感じて目を向けると、あまり話さずことの成り行きを見守っている女王と目が合った。
女王の表情は読めなかったが、どう対処するか判断材料を集めているのだろう。
俺の母親で味方ではあるが、国の不利益になることはしない人だ。
そうだ、今の俺に出来ることは味方に味方でいて貰えるよう立ち回らないといけない。
冷静になれても湧き上がってくる怒りを耐えていると、あいつがクライブを押しのける勢いで俺に怒鳴り始めた。
「お前のおかげでどんな目にあったか! オレは寝取りを画策して真奈を自殺に追い込んだ極悪人扱いだ!」
「はあ?」
極悪人についてはその通りだと頷くだけだ。
いや、極悪人なんて大層なものではなく、単に性根が腐っている見栄えが良いだけの小者と言った方がいいか。
それより……。
「真奈が自殺というのはどういうことだ?」
「真奈がいなくなって捜索願いが出された。大学の友人達も必死に真奈の行方を捜して……皆がお前の存在を知った。それで妹とオレの目論みもバレて……。真奈はいつまで経ってもみつからないし、お前の後を追って死んだんじゃないかって噂が流れた。まさかこんなところにいたとはな!」
へえ!
こいつの悪事は白日の下に晒されたのか!
それで極悪人扱いされているなんていい気味だ。
凄く良いことを聞いた。
ここが日本なら赤飯を炊いてお祝いしたいくらいにな!
「あれだけ言い寄ってきていた女もいなくなったし、オレのおこぼれを貰っていた奴らまで周りからいなくなった!」
「わはははは」
因果応報のぼっちストーリー、なんて楽しい話なんだ。
思わず笑顔が零れてしまう!
「何を笑っている! 居心地の悪い大学は辞めて他に行きたいのに、親は反省しろと馬鹿なことを言って金を出してくれない。どうしてくれるんだ!」
「ただの自業自得だろ。金が欲しければ働け」
俺は真奈にプレゼントするためにバイトをしたぞ?
顔だけはいいんだからいくらでも働き口はあるだろうに。
というか、こいつの親が案外まともだったことに驚いた。
「だからオレが真奈を手伝ってさっさと使命を終わらせ、一緒に日本に帰る! 真奈を連れて帰れば、オレの悪い噂も消えるだろ!」
「日本に……帰る?」
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