第34話 今日も今日とて
俺の前世が久我遥真であることを知った真奈との話し合いはすっきりとしたものにはならなかったが、色々考えた結果、頑張っていこうと決めた。
今度こそ頼って貰えるような男になるのだと気合を入れ、まずは世話係の仕事もちゃんとやろうと、真奈に朝の挨拶をするため部屋を訪れたのだが……。
「また扉、開かないんですけど」
「……ふっ」
はいそこの主よりも顔の良い侍従、鼻で笑わない!
まったく……まだ引き篭もるのか!
真奈も何か吹っ切れたのか、明るい表情をしていたはずなのだが……。
何故かクリスタとも仲良くなっていて、こちらの生活にも馴染んできている様子なのに引きこもりと朝の雨は続いている。
「こうも泣き続けるのは何か意地でも張っているのか?」
「泣くとエドワード様が構うからでは?」
「いや、赤ちゃんじゃないんだから」
泣いて気を引くなんてことあるはず……ないよなあ?
今の真奈ならあり得るかも、と思えてしまうのが辛い。
綺麗なお姉さんはどこへ行った?
随分遠くへ旅立ったな。
いや、日本へ置いてきたのか?
もしくは綺麗なお姉さんなどいない、始めから幻想だったのか……。
「開けますよ? 聖女様」
もうすでに真奈の部屋の鍵は預かっている。
乙女のプライバシーがどうとか言っていたけれど、何か閃いたような顔をしたかと思ったら「合い鍵渡すってことね」ともじもじしながら渡してくれた。
何の妄想だ。
一人暮らしを始めた真奈の部屋の鍵を貰ったみたいだな……と、一瞬もじもじが伝染した俺もどうかしている。
前世だったら大人ぶってブランド物のキーケースをお揃いで買うために張り切ってバイトを増やしていただろう。
ユーノは廊下で待機させて部屋に入ると、見慣れた山がベッドに出来ていた。
自然と溜息が出る。
「いい加減にしてくれませんかねえ。聖女様」
「エドが聖女様って言った。真奈って名前で呼んでくれなかった……三歩進んで百歩下がった……」
「百歩って、大げさな」
呼び方だけで下がりすぎだろ。
真奈の中でどれだけ重要なステップになっているんだ。
確かに前世の「真奈」「遥」と呼び始めた頃は最高に楽しかったけどさ。
あの頃の俺の頭の中は、蝶々が乱舞してるお花畑だった。
そばにいないのに言いたくなって、へらへらしながら「真奈~」と言っていた俺を見ていた母さんの白い目をリアルに覚えている。
「いつになったら聖女様の涙は枯れるんですかね」
「また言った。エドが優しくない……もう今日は終わった……」
布団の山の中からくぐもった声が聞こえた。
この亀はいつになったら頭が出るのだ。
「終わらせるな。朝だぞ? 始まったばかりだ! とにかく起きてくれ」
俺だって色々あって、睡眠時間が削られていて眠いのだ。
こんなまったりした空間にいると眠たくなってしまう。
こっそりとあくびをかみ砕いていると、亀がひょっこりと頭を出した。
なんだこの可愛い亀は……。
髪がぼさぼさになっているのも可愛い、捕獲するしかない……じゃなくて!
今がチャンスだと布団をめくった。
これは没収します。
「お布団っ、私の涙のお供を返して! それにめくるならスカートがめくれる『お約束』のチャンスだからもっとちゃんとめくって……!」
「ちゃんとめくるって何だよ」
「あっ!」
「うん? …………!?」
またおかしなことを言っているなと思っていたら、真奈が急に顔を寄せてきた。
真剣な表情で、至近距離から俺の顔をジーっと見ている。
「な、なんだよ」
ドキドキ……するような感じではない。
なんとなく「あなた、死相が見えますよ」とか言い出しそうな気配を感じる。
顔をそらそうと思ったら――。
「痛っ!?」
「あ、ごめん。動くから突き刺さっちゃった」
真奈の人差し指が目に刺さった。
いや、眼球は免れたが結構痛い。
ちょっと涙が出た。
「唐突な目潰しは何故だ!」
「違うの! 目の下にクマが出来ていたから気になって! ちょんって触ろうとしただけなの、ごめんなさいっ」
両手を合わせてごめんなさいをする真奈をジロリと見る。
別に怒っていないが、「許してやるから雨を止めろ」と言おうと思ったらもう雨は上がっていた。
そういえば真奈ももう泣いていないな。
まだ少し目が赤いのでハンカチを渡しておく。
「ハンカチはいいからお布団返して」と言う真奈を目で黙らせて、少し濡れている目元を拭いてやる。
まったく、世話がやけるな。
「エド、頑張っているんだね」
「いや、まあ……ちょっと忙しいだけ」
「そっか。偉いねー」
俺に世話をされてにこにことご機嫌な様子の真奈が呟く。
お前今、久しぶりに会った孫の話を聞いているおばあちゃんみたいだぞ。
「うん。すっきりした。ありがとう。エド、こっちに来て」
ベッドの縁に腰掛けた真奈が隣をポンポンと叩く。
そこに――ベッドに座れと?
「そんなに警戒しないでよ」
何を企んでいるのだと顔を顰めていると苦笑いをされた。
「じゃあ、ソファならいい?」
立ち上がった真奈が裸足のままソファまで移動した。
端に座るとおいでおいでと手で俺を呼ぶ。
何がしたいんだ?
「ほら、首を傾げてないで隣に座って。聖女のお願いよ! お世話係さん?」
世話係としてはそういう風に言われると従うしかない。
いや、嫌だったら逆らうと思うが。
今回は嫌、というより意味が分からない。
「でもまあ、ベッドに座れと言われるよりはいいか」と大人しく従った。
「隣に座らせて、何か話しでもあるのか……って、おわっ」
隣に腰掛けた瞬間腕を引かれて横に倒された。
頭の下が暖かくて気持ち良いなと思ったら上を向かされた。
「寝なくても目を瞑っているだけでも回復するわよ?」
真上に見えるのは俺を覗き込む真奈の整った顔。
どうやら膝枕してくれたらしいが、ちょっと体勢がキツい。
「ほら、靴を脱いで。ソファに上がって仰向けになった方が楽よ」
「いや、こんなことしている時間はないんだけど」
中々魅力的な提案だが、生憎俺は暇じゃないのだ。
それに世話係が世話をして貰ってどうするのだ。
「この後何かあるの?」
「アルヴィン兄上に会いに行く」
「今日も?」
「今日も」
前世の知識で役に立つことがあるか判断して貰うため、アルヴィンとの面談……というか取り調べのようなことが連日続いている。
かつ丼でも出してくれれば気持ちよく喋ることが出来るのだが、貰えるのは王太子様の小言ばかりだ。
とにかく思い出すことを書き出していき、それをアルヴィンがチェックして気になったことについて詳細を聞かれる、という流れになっている。
「時間の約束はしているの?」
「兄上は会議に出ているから、会議が終わったくらいに行く。まだ少し時間があるけど、待っている間は書類をまとめるつもり」
「王子様も大変ね」
「おかげさまで?」
「……迷惑かけてごめんね?」
誰のおかげで仕事が多いのかな? というようなことを匂わせると真奈の顔が曇った。
「何しゅんとしてるんだよ」
ちょっとした冗談のつもりだったんだけどな。
ごめん、謝らせたいわけじゃない。
「また会えて良かったよ」
気にさせたのは俺だけど、気にするなよという気持ちを込めて明るく話す。
真奈が来てから俺の生活は忙しくなったけれど、本当のことを知ることが出来て良かった。
真奈の言いたかったことを聞いてあげられて良かったと思う。
会えて良かったというのは本音だ。
言いたいことは伝わったのが、真奈がホッとしたように笑った。
「エド、私ね……」
「うん」
あー……やばい、段々眠くなってきたな。
寝不足だったし、人肌が心地よい。
無意識に返事をしたけれど、言葉が全然頭に入らない。
「やっぱり帰りたくないの」
「うん」
「でも迷惑もかけたくないの」
「うん?」
「だから……頑張るね。上手くいくか分からないけど、ちゃんと出来たら褒めてね」
「うん」
「……話、聞いてないでしょ?」
「うん」
「ふふっ。おやすみ」
……あれ、俺寝てた?
どれくらい時間が経ったのだろう。
アルヴィンのところに行かなければいけないし、ユーノに待って貰っていたんだけど……。
サーッと背中に冷たい汗が流れる。
でも頭の下は暖かい……? って、そうだ。
真奈に膝枕をして貰っていたんだ。
「重いでしょう。やはりそれは床に転がしておいて構いませんよ?」
耳に入った真奈ではない声に驚く。
この声はアルヴィンだ。
もしかして約束に遅れたから俺を探しに来たのだろうか。
というか、床に転がしておけと言う「それ」って俺のことだろ!
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