第25話 判定

「ねえ、クガって……クガって何!?」

「お、落ち着いて」


 のしかかる勢いで迫って来る真奈を手で阻む。

 近い! 近いって!

 押し返すとまずいところを触りそうだし、今そんなラブコメ展開をしている余裕はないから絶対にくっつかないでくれ!


 クーガを誤魔化すアイデアはないか必死で考えるが、相変わらず俺の脳内コンピューターはポンコツで何も答えを導き出さない。

 ここはもう無理やり頭でもぶつけて気絶するしか……!


「落ち着けるわけないでしょう!? ねえ! 何!?」

「何って言われても……。ちゃんと座らないと危ないですよ」


 大混乱中の頭とは裏腹に余裕を見せながら話す。

 背中には尋常じゃないくらい汗をかいているが。


「危ないとかどうでもいいの! ちゃんと答えて!」

「どうでもよくはないです。怪我をしたら大変です」

「ええ。聖女様、エドワード様が仰る通り、ちゃんとお掛けになった方が……。それに突然どうされたのですか?」

「……クリスタさん!!」

「はっ、はい!」


 クリスタの方が話を聞き出しやすいと判断したのか、真奈はターゲットをクリスタに変えた。


「クガって何なの!? 教えて!」


 揺れる馬車に構わず、グイグイと身を乗り出して来る真奈にクリスタは怯えている。


「せ、聖女様。クガではなく、クーガ先生ですわ」


 顔を引きつらせたクリスタが、真奈の様子を気にしながらも間を少し伸ばすように訂正する。

 そうだ、いいぞクリスタ!

 間の棒が大事だ!

 俺は『ー』の力を信じている!!


「うん。だから! 久我って何かなって聞いているの!」

「クーーガです。真奈様」


 クリスタの言葉を俺も後押しだ。

 発音ばっちりで既に漢字変換されている気がするが、アストレアには漢字はない!


「クーガというのは、エドワード様がご身分を隠されている際の偽名ですわ」

「偽名……」

「エドワード様ご自身で適当にお決めになったとか。そうですわね?」

「ソウデスネ」


 クリスタ、そういう情報は出さなくていい。


「聞きなれない言葉で、不思議な響きがして素敵ですわね」

「へえ、そうなんだあ。ここでは聞きなれない言葉なんだあ」


 少し落ち着きを取り戻したように見える真奈がジーっと俺を見た。

 だからクリスタ、そういう情報はいらないと……!


「どうして久我にしようと思ったの?」


 案の定真奈はまたターゲットを俺に戻してきた。

 真奈の顔がスーッと俺の顔に近づいてくる。

 その目には嘘は見抜く! という強い意志が見える。

 俺はスーッと反対側に顔を背けて逃げるしかない。


「真奈様、クガです。今クリスタが言いましたが、なんとなくです。適当です」

「ふーん?」


 真奈は元の位置に戻ったが、俺を凝視するのはやめない。

 これでは本当に俺のこめかみを撃ち抜く感じで穴が空いてしまいそうだ。


「聖女様、エドワード様の偽名に何か疑問が?」


 話を広げなくていいから!

 クリスタに圧をかけるがまたスルーされてしまう。

 よくぞ聞いてくれた! という表情の真奈が、漸く俺から視線を外してクリスタを見た。

 ……もう俺はここから貝になろう。


「うん。私の彼氏、久我遥真っていうの」

「クガハルマ、ですか」

「そう! クガっていうのはファミリーネームね」

「まあ! クガとクーガ……ほとんど一緒ですわね!」

「そうなの! ほとんど一緒なの!」

「エドワード様がお考えになったお名前が、偶然亡くなられた恋人の方と同じだなんて……なんて運命的なの!」


 何のスイッチが入ったのか分からないが、クリスタの目が輝いている。

 猫スイッチを押してしまった時の状態に近い。

 嫌な予感しかしない。

 これ以上余計なことを言わないでくれ!


「……本当に偶然なのかな」


 密かに祈りを捧げる俺の隣で真奈が重たく呟いた。

 聞いていたクリスタの顔も真剣になる。


「と、仰いますと?」

「例えば、エドは私の恋人の生まれ変わり、とか――」


 探るような視線と同時に向けられた言葉に息が止まった。

 予想されているかもしれないと少しは思っていたが、実際に声にして疑われると狼狽えてしまう。


「…………」


 何もリアクションをするな、と自分に言い聞かせる。

 背中の汗はもう滝になりそうな気がするが、今は「馬鹿なことを言っているな」という冷めた態度で乗り切ろう。

 それしかない。


「違う」「気のせい」と言う準備を整える横では、真奈の推理披露が続いている。


「遥はエドに生まれ変わったけど、前世のことも覚えていた。だから偽名を考えるときに、前世の名前を使ったんじゃないかしら」

「まあ!!」


 ドンピシャの正解じゃないか。

 どんな名探偵だよ。

 いや、俺が安直なネーミングをしてしまったからか……。

 でも仕方ないと思う。

 こんなことになるなんて、誰が予想出来る!?


「どうなのですか! エドワード様!」

「すみません、聞いていませんでした」

「エド!」

「エドワード様!」


 軽く誤魔化そうとしたが、興奮が最高潮に達している二人から詰め寄られる。

 やはり逃げ場はないようだ。

 腹を括ってどう答えるか考える。

 真奈の推理を否定をして、どうやってそれを納得させるか――。


 一つ浮かんでいる案がある。

 それを言うのは、俺には少し勇気がいるのだが……仕方ない。

 真奈を見て口を開く。


「冗談ですよ、聞いています。生まれ変わりだなんて、そんなことあるわけないじゃないですか」

「ど、どうしてっ!?」

「だって――。俺が前世の名前を覚えていたとしたら、真奈様のことも覚えているはずですよね? だったら自分がその『クガなんとか』だと名乗り出ているはずでしょう? 前世の恋人に会えたのですから」

「確かにそうですわね……」


 俺の言葉にクリスタは頷いた。

 クリスタは納得させることが出来るだろうと踏んでいた。

 予想通りだ。


「ね? 偶然ですよ、偶然」

「…………っ」


 相反して真奈は表情や雰囲気、全身で不満があると言っているが、俺はスルーする。

 真奈の反応も予想通りだ。


 俺が恋人である真奈の存在に気付いているのに名乗り出ない理由があるとすれば、それは浮気の件だと真奈も考えるだろう。

 だから俺を論破するためには浮気のことを自白するしかないのだ。

 そんなもの、俺は今更聞きたくない。

 真奈だって話したくないだろう。

 だから追及は終わる、というのが俺の予想で――その通りになった。


「もうこの話は終わりです」

「そ、そうですわね」


 クリスタが気を使ってか、いつもよりも明るく笑う。

 だが真奈の不満げな空気は変わらない。

 計画通りになったが、変な空気になってしまったな。


 馬車の硬いガタガタという音だけが響く。

 真奈はまだ俺が久我遥真だと疑い続けるかもしれないが、表立って問い詰めてくることはもうしないだろう。

 スッキリしたような、虚しいような不思議な気分だ。

 馬車内の雰囲気も微妙だし、気分転換をしたい。

 外の景色を見ようと締め切っていたカーテンを開けると、晴れていた空の雲行きが怪しくなっていた。


 あー……そうだった、ここには天気予報を無意味化するお方がいるのだった。

 馬車の道中は平和に過ごしたい。

 なんとか機嫌を取ろうと考えた瞬間、突風が吹いた。

 風に煽られた馬車がガタンと揺れ、「うわっ」と御者の小さな悲鳴が聞こえた。


「大丈夫——」

「……私が浮気みたいなことをしたから?」


 御者に向けて声をかける俺と同時に、真奈が呟いた。


「浮気、ですか」


 そう聞き返したのはクリスタだ。

 俺は何も言葉が出ない。

 スーッと頭が冷えていく感じがした。


 みたいなこと、というのがよく分からないが……やっぱりしていたのか。

 分かっていたことなのに、また落胆している自分がいる。

 自白を聞くのは……結構キツい。


 脳裏にイケメンと真奈が仲よさそうに寄り添っていた映像が浮かぶ。

 あの光景を見たのはこの身体ではないのに、こんなに鮮明に思い出すなんて……。

 これこそ真奈の呪いなんじゃないかと思ってしまう。


「でも、一緒に出掛けただけなの! 食事して、買い物して……。大学では一緒にいたし、彼氏だって紹介したこともあったけど、でも、でもっ」

「あの、聖女様」

「分かってる。いけないことだったって! でも、理由が……」

「聖女様、落ち着いてください。それのどこがいけないのですか?」

「そう、いけないこと……! …………え?」


 クリスタのきょとんとした顔を見て、真奈も同じようにきょとんとした。

 二人は俺のことは見ていないが、俺もきょとんだ。

 しっかりとデートしているのだから完全な浮気だろう。

 しかも彼氏とか紹介していたのかよ。

 時空を超えてあの金持ちイケメンをぶん殴りたい。

 こんなの問題があるに決まって……って、あー……そうか。

 ここはアストレアだった。


「クガ様とお付き合いをしている時にデートをされた、ということですわね?」

「う、うん……」

「何も問題ないのでは? それのどこがいけないのでしょう?」

「え? えっ?」


 アストレアではあまり浮気という概念がない。

 相手がいる人と交際するならちゃんと話を通してから、という礼儀があるくらいだ。

 あとは自分の方が愛されているとか、高価な物を貰ったとか、競って揉めることはよくあるが、デートくらいでは殆ど問題にならない。

 真奈もアストレアが重婚出来る国だと思い出したようで「あっ」と声を漏らした。


「日本では、私たちが暮らしていたところでは駄目なの! 交際も結婚も一人だけで!」

「でしたら、聖女様はエドワード様のことはお好きではないのでしょうか?」

「え?」

「聖女様はそのクガ様を今も愛しておられるのでしょう?」

「そうだよ! だから、遥はエドに転生したから、遥とエドは同じだから!」

「それは……そうなのでしょうか」


 冷静なクリスタの声に真奈がピクリと震える。


「エドワード様が転生、というのは、わたくしには確証が持てませんのでなんとも言えませんが……。はっきりしていることはありますわね? それは『聖女様の恋人のクガ様は亡くなっている』ということです」

「そ、それは、そうだけれど……」

「何をもって同じとするか。とても哲学的なことになりますが、例え本当にエドワード様がクガ様の記憶を持っていたとしても、エドワード様はクガ様なのでしょうか。『同じ』なのでしょうか」

「…………っ」


 クリスタの言葉に真奈は思わず息をのむ。


 俺は……久我遥真の延長にエドワード・アストレアがあって……同じだと思っている。

 でも――。

 久我遥真にも今の俺にもそれぞれ家族と立場があって……果たして同じでいいのか。


「それは……それは……」


 真奈は答えられず俯いている。

 俺も同じように顔を上げることが出来ない。

 クリスタの言葉は俺の中にも刺さった。


「聖女様向かって自らの考え方を語るなど、恥ずかしいことを致しました。申し訳ございません。ですが、聖女様の大切な方の命は、確かに尽きてしまったのだと心に留めておくということは、これからのエドワード様と聖女様にとっても大事なことだと、わたくしは思いましたの」

「そんなの分かってる」


 クリスタの言葉が終わると同時に放たれた真奈の強い言葉に、俺とクリスタはハッとした。

 顔を上げた真奈の表情には鬼気迫るものがあった。


「遥が死んだって分かってる、痛いくらい分かってる! 見てたもの! 遥は私の目の前で!!」


 真奈は絶叫するように言葉を吐いた。

 とても興奮していて目には涙が溜まり、身体も少し震えている。


「真奈様、落ち着いて……!」

「血がどんどん流れて! いくら呼んでも返事もしてくれなくて! 病院に行ったのに! 治らなくて、冷たくなって!」


 真奈がヒートアップするのと比例して空の轟が増していく。

 ゴロゴロと不気味な音を立て、チカチカと閃光が走り出す。

 まずい、今まで落雷があった時がこんな感じだった。

 あっという間に空は真っ暗になり、嵐のような雨が降り始める。


「遥から貰ったものはいっぱいあるのに! ラインにも履歴はいっぱいあるのに! それなのに遥はどこにもいない! これからは何も増えないの! そんなの私がっ、私が一番分かってる! でも、でもエドに会えたの! ねえ、エドが遥だよね!? 遥だって言って! 認めてよ! また好きって言ってよ! 私、もっと綺麗なお姉さんになれるように頑張るからっ!」


 真奈は泣きながら縋りついてくる。

 過呼吸になりそうだし、天候的にもこの興奮状態は危険だ。


「真奈! とりあえず落ち着け!!」


 必死に呼びかけたが——遅かった。

 真上で空が光る。

 あっ! と思った瞬間、ズドンと馬車に重力がかかった。

 それと同時に鼓膜が破れそうな程の轟音に襲われる。

 慌てて座る真奈に覆い被さった。


「きゃああああっ!!!!」


 クリスタの悲鳴とバリバリという雷鳴が混じる。


「クリスタもこちらへ!」

「はっ、はいっ」


 地響きで揺れる中、クリスタもこちらに来たが……衝撃はすぐに治まった。

 雷の気配は去った。

 だが、雨は止まない。


 雷が直撃したように感じたが揺れと衝撃だけだった。

 し、死ぬかと思った……。

 御者も含め俺達に怪我はないし、馬車に破損もないようでホッと安堵の息を吐いた。


「大丈夫か?」

「え、ええ……。ですが、寿命が縮まった気がしますわ」


 疲れたような笑顔を見せたクリスタに頷く。


「俺もだ。真奈様、大丈夫……真奈様?」


 支えていた真奈の身体から力が抜け、座席から落ちそうになり慌てて抱き留めた。


「真奈様!」

「……大丈夫、呼吸はあります。気を失っているだけだと思いますわ」


 確認してくれたクリスタの言葉にホッとした。

 このまま神殿に連れて行き、休ませよう。

 真奈を横抱きにして座り直す。

 そのときコロンと何かが床に転がった。


「聖女様の持ち物かしら。なんなのでしょう。……あまり美しくはありませんわね」

「これは……」


 拾ったクリスタが苦笑いしながら見せてくれたのは、俺の前世での最後の買い物となったミルクティーについていたストラップだった。

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