第32話 聖女様は祈らない
『遥? 遥! 待って! 行かないで!』
追いつけない、遠ざかる背中。
迫る車。
倒れている姿。
触れると真っ赤に染まる手。
静かな病院の廊下。
静寂に耐えられず叫びそうになったところで――パチッと瞼が上がる。
「……起きたぁ」
いつもの、と言えてしまうほどお決まりになってしまった目覚め。
『ああ、もう遥には会えないんだなあ』
そう思うことから始まる一日。
自然と涙が滲むが……今はエドがいる。
話が出来る。
冷たくない、触れると温もりを感じる。
死んだ人にはもう会えない。
受け入れなければいけない現実だったのに、また一緒にることが出来て嬉しい。
「今日も会える」
悲しみで決壊しかけた涙腺が持ち堪える。
うん。
私は大丈夫。
「そういえば椅子、戻していないなあ」
なんとなく目についたベッドの側にある椅子を、元の位置に戻そうと立ち上がる。
椅子を押そうと思ったが、エドが座っていた姿を思い出すと同時に何故かすとんと座ってしまった。
「私、何してるんだろ?」
自分の行動に首を傾げた。
「……あ! まさかこれは!」
好きな人の席に座ってしまう、というやつでは?
漫画で読んだのは男子が女子の席に座っていて、ちょっと気持ち悪いと思ってしまったのだが……。
それをまさに今自分がしてしまっていることに驚いた。
あの漫画の主人公君、ごめんなさい。
「今の私、変態っぽい?」
椅子に座るよりも、この椅子に座っている遥の膝の上に座りたい……とかちょっと考えてしまったことはアウト?
遥の時よりも今のエドは体格がいいから、後ろから抱きしめてくれるとすっぽりと腕の中に収まりそう。
それって凄く……。
「やってみたい」
想像しただけできゅんとする!
「……あ!」
思いついた。
「今度は私がグイグイいけばいいのよ!」
元の世界では遥が私を追いかけて来てくれた。
今度は私の番!
いや、思い返せば中学生になった遥から距離を置かれた時も私が追いかけた。
あの時も結局は遥の方から好きだと言ってくれたけど、今度こそ……!
そしてこれが私の『ゼロから』ってことでいいのでは!?
遥が好きそうな綺麗なお姉さん像を目指していたけれど、それも勘違いだったようで、お姉さん好きというより私のことが好きだと言ってくれたし。
「ふふっ……」
椅子の上で足を抱えて座る。
我慢出来ないにやけを隠そうと膝に顔をくっつける。
また遥に好きだと言われたことが嬉しい。
……前世で付き合っていた頃の私に対してだけれど。
「好きになって貰えたら嬉しいな」
お姉さんらしくと無理をしたり、猫を被ったりしていない今の私を。
『これから』があることがこんなに楽しい。
だって、遥とはもう……。
「あ、だめ。このループだめ!」
せっかく気持ちが明るくなっていたのに、遥がいない間の感覚を思い出すとすぐに悲しみのスイッチが入ってしまう。
案の定去っていた涙腺の危機が戻ってきた。
また泣いちゃいそうだ。
元の世界に帰りたくないから、今のうちに泣けるだけ泣いておこう。
そう思い、ベッドに戻ってしくしく泣いていると部屋をノックする音がした。
「真奈、おはよう。起きているんだろ?」
エドの声に体がすぐ反応した。
むくりと起き上がり、扉の方を見る。
「また雨だぞ。朝から何で泣いてんだ?」
セリフとは裏腹に心配しているような声色。
雨ばかり降って迷惑をかけているのに……。
優しくて余計に泣けてくる。
「雨脚が強くなりましたね」
「なんでだ!」
一人ではないようで誰かと話している声も聞こえる。
恐らくエドの世話をしているという綺麗な男の子だろう。
ユーノ君、だったかな。
最初は女の子かと思った。
エドの一番近くにいる女の子!? と思ったからか、感じは良い子だと思うのに何故か苦手だ。
起こしに来てくれるなら、エド一人が良かったな。
そういえば……。
以前、エドが遥に似ているような気がして、確かめたくて日本語で手紙を書いたっけ。
あの時は読めないって言っていたのに、本当は読めていたんじゃない!
エドの婚約の件で拗ねて『喪中』とか馬鹿なことを書いたけれど、ちゃんと読めていたなんて恥ずかしい!
「仕返しで少し困らせちゃおうかな?」
紙を取り出し、日本語で文字を書く。
よし、投函!
扉の下の隙間から手紙をスッと差し込んだ。
「……またか」
エドはすぐに気がついたようだ。
『私の好きなものは?』
そう書かれている紙を広げている音がする。
「はあ? なぞなぞか?」
「何と書いてあるのですか?」
「私の好きなものは何かって……」
「好きなもの……。人ですか? 物ですか?」
「分からん」
さあ、考えて考えて。
間違いなく私が好きなもの。
「…………」
暫く沈黙が流れる。
私は扉にもたれ、にまにましながら答えを待つ。
「まさか、言わせようとしてんのか? お、俺か? えーと、『久我遥真』?」
エドの導き出した答えに一層にんまりとする。
正解!
でも、それだと物足りないの。
今のあなたは入っていないみたいでしょう?
〇はあげられない、△かな?
「あれ? お、おい、真奈……何か言えって!!」
考えている内に間が開いてしまった。
すぐに判定が出なかったことにエドが怒った。
「それはエドワード様の前世でのお名前ですよね? 返答がないということは……。『俺のことが好きなんだろう?』と言ったがハズレだった、ということですね」
「改めて言うな!」
「エドワード様、顔が赤いですよ」
「言うなって言ってんだろ!」
笑ってしまいそうになり、思わず口を押える。
可愛い、エドってば可愛すぎるよ!
仕返しは大成功かな?
「あー……じゃあ、柴犬?」
気を取り直したエドが次の答えを言ってきた。
正解から遠ざかってしまったが、柴犬は遥っぽくて好きなので不正解ではない。
「惜しい」
「惜しい? ってか、なんでさっきのはノーコメントなんだ!」
返事をしたつもりはなかったけれど声が出ていたようだ。
「不正解だ、というのが忍びなかったのでは? 聖女様のお気遣いかと」
「前々からそうだが、傷をえぐるのはお前の趣味か?」
「割とそうですね」
「認めるなよ」
仲の良いやりとりを聞くのが楽しい。
今の遥、エドの日常を覗いているようで嬉しい。
「正解しないと開けてくださらないのでしょうか? 出直しますか?」
「いや。いっぱい話もあるし、いい加減祈って貰わないとなあ」
……祈るのは困る。
フリでやり過ごせるかもしれないけれど、万が一女神様に体を明け渡すことになったら困る。
エドとたくさん話はしたいけれど、今は部屋に篭ってやり過ごそうかな。
エド、ごめんね。
扉から離れ、ベッドに潜ろうかと思ったけれど……ちょっとだけエドの顔が見たい。
聞き耳を立て、二人が話し込んでいる隙を見て少しだけ扉を開けた。
「エドワード様だったのでは?」
「あ?」
「前世のお名前ではなく、エドワード様だったのではないかと。試しに言ってみては?」
「……これでハズレだったら俺が職務放棄するからな。ユーノ、責任取れよ」
顔を顰め、くしゃりと前髪を上げているエドの姿が見えた。
その仕草も表情も大人っぽく見えた。
「好き」
「うん? 真奈?」
思わず零した言葉は二人の耳に入ったようで見つかった。
顔の幅だけ扉を開ける。
「今の前髪上げてたの格好いい。好き」
遥はよく思ったことを言葉にしてくれていた。
それを思い出していたから、私もつい口走ったのだと思う。
「なっ……」
「エドワード様、先程より顔が赤いですが」
「お前は一々言わなくていいから!」
確かにエドは耳まで赤い。
照れているらしい。
こういうところも相変わらずで可愛い。
「好き、可愛いって遥はよく言ってくれたでしょ? そう言ってくれる度に私は幸せな気持ちになれたから。ゼロからスタートしたこれからの私はどんどん言っていくね!」
「お、おう……」
赤い顔のまま戸惑っているエドにもう一枚紙を押し付ける。
『エドワード』
教えて貰ったこの世界の文字で書いた。
「前よりももっと上手になったでしょう?」
突然渡された紙を警戒しているのか難しい顔をしていたエドだったが、それを見ると笑った。
「ああ」
練習したんだな、偉いな。
そう言ってくれているような優しい笑顔だった
「その顔も好き」
「…………」
エドは何か言いたそうだが言葉が詰まっている。
その様子が妙におかしくてくすりと笑ってしまった。
「答えだよ」
「え?」
「それ、さっきの質問の答えね。じゃあ、おやすみなさい」
「答えって……え? あ、おやす……じゃない! 起こしに来たんだっつーの!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます