第31話 聖女様は今日も雨を降らせる

 遥達を追い出し、一人になった静かな部屋。

 ベッドに腰掛け、暫くボーッとしていた。


「最初からやり直す、か」


 遥の言葉を思い出しながら後ろに倒れると、ふかふかのベッドに身体が沈んだ。


「遥、しっかりしてるなあ」


 ベッド側に置かれた椅子に目をやり、そこに座っていた姿を思い出す。

 遥はエドになって格好良くなった。

 背も高くなったし前より体格もいいし、顔つきだって整っている。

 でも、ちょっと地味なのが相変わらずで……凄く好き。

 声も低くなったけど話し方は一緒。

 誤魔化す笑い方も一緒。

 優しいのも一緒。


「……当然モテるよね」


 私にとっては元々王子様だったけど、本物の王子様になっちゃっているし、言い寄られることは沢山あると思う。

 エセ貴公子とセクハラ筋肉より何倍も可愛くて格好良い。

 エドをロックオンしたクリスタさんは正解だ。

 間違いなく見る目がある。

 ライバルだけど握手をしたい。


「エドとクリスタさん。……似合ってたなあ」


 二人が並んで話しているのを見ると、私は異世界人——余所者だと思い知らされて胸が痛い。苦しい。

 私の方が遥のことには詳しいし、ちょっとエッチを研究しているし有利なんだから! と自分を励ましても、二人が楽しそうにしている姿が浮かぶとすぐにしゅんとしてしまう。

 一緒にクッキー作りとか羨まし過ぎるし……!


「私とあいつが一緒にいたのを見た時、遥もこんな気持ちになったのかな」


 浮気なんてしていない、私のしたことは浮気じゃないんだって、話せば分かってくれると思っていた。

 少しは悲しませたり、怒らせたりしてしまうかもしれないけど、あいつに対して気持ちなんて微塵もなかったし。

 隣の席に座られて腕が当たっただけでも「脳内消毒しよ」と頭の中で遥のことを思い出していた。

 続々と溢れ出てくる遥エピソードに頬が緩んでしまったいた私を見て、周囲はあいつといて楽しそうだと思っていたらしい。

 私ってば間抜けすぎ!


 ただの『フリ』だから、遥ならちゃんと話せば許してくれるって本当に思っていた。

 馬鹿だったな。

 遥の気持ちを踏みにじってしまった。


 どうして遥に相談しなかったんだろう。

 頼らなかったんだろう。

 遥は話を聞いただけで私が友人だと思っていた人達の悪意に気づけた。

 話していたら、遥を傷つけることも私達の関係が拗れることもなかった。

 遥が死んでしまったあの日も一緒にいることが出来て、死なせずに済んだかもしれない。

 真っ赤に染まった遥の姿が脳裏に浮かぶ。


「遥、痛かっただろうな……ごめんね」


 涙が頬に流れる。

 ああ、駄目だ。

 雨が降ると泣いていると遥にバレてしまう。


「まだまだ泣くけど、今は泣いている場合じゃないわ!」


 遥はもう違う人生を歩んでいるのに、今はエドワードなのに、私のことを真面目に考えて答えを出してくれた。

 またゼロから――。

 その想いに応えたい。

 過ちを犯してしまった私にはそれくらいしか出来ない。


「私も生まれ変わりたい。この世界の私になって、エドとやり直せたら……」


 私の夢には稀に女神様が現れる。

 思いのままに会うことは出来ず、女神様の都合次第だ。


「今回はちゃんと夢に出てきてよ。出てきてくれないと何もしないから!」


 異世界転移じゃなく、転生でやり直せないか。

 多分無理だと思うけど……。

 神様なら出来るかもしれない。

 ……でも、出来たとしてもそれでいいのかな。

 この姿の私じゃなくても好きになってくれるのかな。

 やり直すことが出来たなら、また会えたことはなかったことになるのかな。

 叶えて欲しいけど叶えるのが怖い。

 言葉に出来ない心細さを感じながら目を閉じた。






 夢の中で目が覚めた。

 いや、寝ているから目が覚めるというのはおかしいか。


「涼しい」


 夢だが風を感じた。

 芝生の上に寝ているようで、体の下はほんのりと暖かく柔らかい。

 気持ち良く日向ぼっこが出来そうな場所だ。

 どこなのだろう……って、夢はどこだろうと夢だよね。


「無理に決まっているでしょう? そんなことより、早く祈って貰えないかしら?」

「!」


 人の気配がなかったのに、突然言葉が降ってきて驚いた。

 発したのは私のそばに立ち、見下ろしている子供。

 ……いつからいたの?

 声は以前聞いた女神様のものだったが、姿は子供の頃の私だった。


「どうしてそんな姿なの?」


 寝ころんだまま率直に質問する。

 今までは「現れた」といっても、ぼんやりとしたシルエットではっきり姿を見たことがなかったのだが……。


「気分です」

「……違うのにして貰えませんか?」


 子供の頃の姿といえど、自分と話すなんてドッペルゲンガーと話しているようで不吉だ。

 これ以上遥と拗れてしまったらどうしてくれるの。


「では、これで……。…………っ!?」

「遥っ! あれ?」


 女神様の姿は瞬きをしている間に子供の頃の遥に変わった。

 条件反射で飛びついたら、遥な女神様は五メートルほど離れたところに瞬間移動していた。


「……姿があった方が話しやすいと思ったのですが、やめておきましょう」


 そう言うと見たことのあるぼんやり人型シルエットの女神様になってしまった。

 こちらの方が神様感はあるが、もう少しちび遥を堪能させて欲しかった。

 地面に腰を下ろし、芝生を指で摘んで毟る。


「やめてください。パットの練習が出来なくなるじゃないですか」


 え? パットって……ゴルフ?

 確かにここは綺麗に整備されたゴルフ場のように見える。

 芝生を触られるのは本当に嫌そうなので黙々と毟ってやった。


「あなたの用件は聞かなくても分かります。先程も答えましたが、時を戻して転生するなど無理です」


 姿についての不満はもう聞かないということなのか、女神様はサッと本題に入った。


「あなたの『死んだ彼氏に会いたい』という願いは叶ったはずです。ですから、加護のことが済んだら早くご自分のいた世界にお戻りください」

「絶対嫌」


 元の世界ではちょっとエッチの研究のために、色んな小説や漫画を見たけれど、それらの異世界転移ものでは帰ることが出来なくて苦労しているキャラクターが多かった。

 それなのにこの女神様は用が済んだらすぐに帰れという。


「戻るのは無理が定説なはずなのに!」

「あら、あなたは来た道が分からなくなる方向音痴なタイプでしたか?」

「方向音痴とか、そういうレベルの話なの?」

「似たようなものです」


 ぼやけていてはっきりとは見えないが、女神はにっこりと微笑んでいるのが分かる。

 恐らく本当に帰ることが出来るのだろう。

 転生しているから姿は違うけれど、遥と再会出来たのに遥のいない世界に帰るなんて考えられない。


「帰らないし、私は祈らない。祈っていないけど加護は多少回復しているんでしょう?」

「ええ。少しずつではありますが……。ですが、それは正しい方法ではないと申し上げたはずです」


 遥の生まれ変わった国、アストレアの加護を修復するには祈らなければならない。

 何も難しいことではない。

 目を閉じ、心を静め、女神様に呼びかけるだけ。

 でも――。


「祈ると女神様に私の体、勝手に使われちゃうんでしょう?」

「加護を与える間、一時的に器としてお借りするだけです。貴方の不利益となるようなことは致しません」

「自分以外が自分の体を動かした時点で不利益です」

「あまり動かすこともしません。アストレアの地で力を解放するだけです」

「それでも嫌です」


 女神様を信用していないわけではない。

 体を借りるのは一時的だと騙して乗っ取るつもりでは? と一瞬考えたこともあったが、恐らくそれはない。

 女神様は本当に一時的に私の体を借りてさっさと加護を修復し、私を元の世界に帰そうとしている。


「これ以上あなたが力を使えば元の世界に戻れなくなりますよ?」


 天候に影響を及ぼす力。

 それは女神様の力だ。

 でも、女神様が使っているのではなく、泣いたり怒ったりする私の感情によって引っ張り出されているので、私が無理に使っている状態なのだそうだ。


 女神様の力によって降った雨は加護を僅かに修復するが……。

 それは正しい手段――『祈り』で成されたものではない。

 だから効果が薄い。

 そして、無理に使っている私にもダメージがあるという。


「これ以上無理やり力を使うと、あなたは世界を渡ることに耐えられなくなります。この世界で生きていくことは出来ますが……。本当に、本っ当に戻れなくてもいいのですか?」

「いいの。戻りたくないからやっているんです。それに朝起きたらすぐに思い出すのは遥のことで……」


 遥が死んでしまった悲しみに押しつぶされてしまう。

 涙は勝手に流れてしまう。

 エドになった遥と再会出来たけれど、この悲しみはまだ消えないと思う。


「雨はたくさん降っても大丈夫なのよね?」

「雨といってもただの雨ではなく、私の力ですから。大きな害になることはありませんが……」


 遥のいない世界には絶対に戻りたくない。

 帰りたくないから私は泣く。


「あなたが戻らないと、運命が変わる人もいます」

「構いません」


 女神様から、運命が変わることについては聞かされた。

 いいの、あいつらなんて。


「女神様は私を元の世界に帰したいようなので。協力出来るのは帰れなくなってからです」

「……全く。後悔しても知りませんよ」


 ため息をついた女神様の手にはいつの間にかゴルフクラブが握られている。

 それで殴られちゃうのでは!? とドキッとしたけれど、女神様はスイングの練習を始めた。

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