第23話 喪中

 ああ、これは明晰夢というやつだ。

 またくだらない夢を見るんだろうなあと冷静に思う。


『え、可愛い……』

『えへへ』


 デートの約束をしている土曜日。

 迎えに行くと家から出てきた真奈の可愛さに愕然とする。

 正式名称の分からないヒラヒラとしたブラウスに長めのスカート。

 とても綺麗なお姉さん感がある。

 凄く良い。

 先週一緒に出掛けたときに買っていた服だし、試着した姿を見ているのに心臓に悪いくらい可愛い。


『可愛さが先週の真奈を越えてくるのが困る』

『困る?』

『困る』

『どうして?』

『…………』


 だって、いつまで経っても慣れないじゃないか。

 こんなに動揺していてはクールな俺プランを想定通りに実行出来ない!


『困らせてばかりだと嫌いになる?』

『まさか。死んでもないわ』

『そっか。じゃあ、どんどん困らせちゃおう!』


 そう言って飛びつくように腕を組んできたのは嬉しいが――。

 真奈さん、当たっています。

 そう口には出さないし、腕も外さないけどね。


『ふふっ、上手くいってる』

『うん?』

『なんでもない。早く行こ!』




「まさか、俺は微妙にフラグを立てていたのか?」


 目が覚めたと同時に呟いた。

 夢の中の俺――いや、過去の俺の「嫌いになるなんて死んでもないわ」という台詞には乾いた笑いしか出ない。

 まあ、嫌い……ではない。

 関わりたくない、と言った方が的確だ。


 女王の私室から自分の部屋に戻った俺は神殿に移る準備を始めた。

 向こうに居を移してもすぐに戻って来られるし特に困ることはないのだが、ある程度区切りをつけておこうと書類と睨めっこをしていたら転た寝をしてしまった。

 婚約のことがあったりして、今日は眠りが浅かったからだろう。

 五分か十分程度の転た寝だったが、いやにはっきりとした夢を見てしまった。

 夢の中の真奈、可愛かったな…………って何を前世の俺に毒されているのだ。


「そろそろ現実の真奈の様子を見に行くか」


 俺の方の準備は殆ど終わったが、一緒に行くのであちらの進捗も確認しなければならない。

 眠気の残る身体を動かし、真奈の元へと向かった。




「聖女様……聖女様……私はどうしたらよいのでしょう……」


 真奈の部屋に近づくと聞こえてきた途方に暮れる声。

 聞き覚えがあるなと思いつつ扉の前を見ると、これもまた既視感のある光景があった。

 人数は減ったが、真奈の世話を任せられている女性が閉め出されている。

 遠慮がちにノックを繰り返しているのは神官のハンナだった。


「おはよう、ハンナ。シーナは?」

「エドワード様! ああ、助かりました……。彼女は移動になったそうです。神殿にもついて来ないそうで……」

「ああ……」


 イーサンのところから走り去ったのを報告しなくても女王も見ていた。

 だから配置を変えられたのだろう。

 それくらいで済んでよかったと思う。

 まあ、悪いのはイーサンだしな。


「昨日預けたクッキーは渡してくれましたか?」

「ええ。お渡ししました。受け取ってすぐに部屋に篭もられましたが……。それで今朝……またこれが……」

「……手紙ですか」


 ハンナから紙を受け取る。

 こ、これは……。


「何と書いているのか分かりませんが、なんだか恐ろしくて……」

「確かに」


 紙いっぱいに書かれていたのは達筆な漢字二文字。


『喪中』


 ペンしかないのに工夫して毛筆で書かれたような仕上がりになっていて、漢字を知らないアストレアの人が見ると執念のようなものを感じる。


「…………」


 いや、どういうこと?


 これはツッコミ待ちなのか?

 罠なのか?

 つい「意味が分からん」と口から出るところだった!

 とにかくこの真意を確認しなければ。

 昨日のことがあるから少し緊張していたが、そんなものはどこかに行ってしまった。

 ゴンゴンゴンと強めに扉をノックする。


「真奈様! おはようございます!」

「エド! おはようございますご婚約おめでとうございますばかぁ」

「何故最後に罵倒が入った」


 声は段々小さくなっていったが最後までしっかり聞こえたぞ。


「とにかく開けてください。また神殿に移動ですよ。聞いているでしょう?」

「知らない。私、今忙しいの。そこに書いてあるでしょう!」

「だから! 俺は真奈様の世界の文字は読めません! これはなんと書いてあるのですか!」

「生きるってつらい! って書いてあるの!」


 いや、喪中って書いてあるじゃないか!

 どういうことだよ、誰か死んだ……って、俺か?

 俺が死んで喪中ということなのか?


「起きたら……やっぱりいないんだって悲しいし……エドはお嫁さん貰っちゃうし! 私の心は再起不能なの!」


 ええ?

 真奈の心が喪中ということか?

 もう何を考えているかよく分からん!


「あの子……良い子だし……。……うん? ……良い子? 良い子!? 良い子はダメェェェェ!!」

「うわ!?」


 突然の絶叫と共にバンッと扉が開いた。


「危なっ! 急な開けな…………あ」


 出てきた喪中真奈の顔を見て驚いた。

 今までも泣いてばかりいたから、目が真っ赤だったり瞼が腫れていることがあったが、それでも真奈は可愛かった。

 でも今は瞼がパンパンだし、鼻も赤いし、結構な有り様だ。

 昨夜は雨は止んでいたと思うのだが、制御しながら泣いていたのだろうか。


「真奈さ――」

「良い子は危険だよ! 何を考えているか分からないもの! 騙されちゃうよ! 天使の皮を被った悪魔だっているんだから!」

「はあ……」


 泣いていたのか聞こうとしたが、謎の勢いが凄くて聞けない。


「はあ……じゃないわよ! 危機感を持って! 騙されてからじゃ遅いのおおおお! うわああああんっ」

「ちょ、落ち着いて! 泣かないで!」


 ぐわんぐわんと襟首を持って揺さぶられる。

 俺が赤ちゃんだったら確実に揺さぶられっ子症候群になっていたぞ。


「そうだ、そうだよ! だって、好きな人と他の女の子が仲良くするのを支えるなんておかしいもの! 何か企んでいるんだわ!」

「それは……この国では重婚が認められていますので、配偶者に複数の伴侶がいることは予め心構えとしてあるからだと思いますが……」

「え? そ、そうなんだ?」

「はい」

「じゃあ私、本当に良い子のこと悪く言っちゃった? なんて嫌な奴なの! ふええぇ」

「だから、泣かないでください! ……頑張って制御しているんでしょう?」


 俯く真奈の肩を掴んで正面を向かせると、小さくこくんと頭を下げた。

 そのまま少し待っていると落ち着いたようなので手を離したが……。

 扉の前で長々と何のやり取りをしているんだか。


「エドもそうなの? 心構えがあるの?」


 もう一度準備をするように伝えて去ろうかと考えていたら、真奈が恐る恐る聞いてきた。


「いえ、俺はお互い相手だけ――二人だけの夫婦が理想です。それと俺はまだ婚約していません。今は保留中です」

「保、留?」

「ええ。俺が近いうちに他の候補を連れてこなかったら、クリスタと婚約することになりますが」

「そう、なんだ……」

「…………」


 目を伏せて神妙な顔をしているが、どんなことを考えているのだろう。

 真奈かクリスタ、どちらかを選べと言われていることを伝えたらどんな反応をするだろう。

 一瞬そんな考えが過ぎったが……試すようなことは止めよう。

 俺はどんな反応を期待しているのか。

 馬鹿げている。


「神殿に移動しなければならないのですが、寄り道しませんか?」


 それよりも今、真奈には息抜きが必要だろう。

 神殿と城に閉じ篭ってばかりだったからストレスも溜まっているだろう。

 だから余計に泣きやすいのだ。


「寄り道?」

「アストレアで買い物をしたことはまだないですよね?」

「買い物? デート?」

「買い物です」

「買い物だけ?」

「昼食も外ですませますか? あと俺がよく行っている孤児院も行ってみますか?」

「行く! 買い物からのランチ! そしてお気に入りの場所! やっぱりデート!?」


 俺の話を聞いているようで聞いていない気がするが、楽しそうだから良しとしよう。


「あっ、服……」


 真奈が着ている服に視線を落とす。

 そういえば日中はいつも神殿で出された真っ白の神官服を着ている。

 素材もいいし作りも良いのだがお出掛けには向かない。


「服でしたら何着かご用意しておりますが……」

「ほんとですか!?」


 おずおずと申し出て来たハンナに真奈の目が輝く。


「待ってて! 可愛過ぎるって困らせてあげる!」

『どんどん困らせちゃおう!』

「!」


 先ほど見た夢の真奈と重なってどきりとする。


「じゃあ、また………あ、あとね!」

「!?」


 着替えようと部屋に入っていた真奈がひょこっと戻って来て焦る。


「柴犬のクッキーありがとう! 凄く可愛くて美味しかった。私ね、私の大好きな人に似ているから、柴犬が大好きなの! ……エドも似てるね」


 そう言うとにっこりと微笑み、真奈は扉を閉めてしまった。

 ハンナも中に入ったので一人扉の外で取り残される。


「……犬に似てる?」


 俺が?

 大好きな人って……?

 よく分からないが――。


「……なんだよそれ」


 何故か俺はカーッと顔の熱が上がったのだった。

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